第12話 考えたくない
そんなことがあった夕方。
「動きましたね」
岩根さんが電話を置いてすぐ、そういった。
「野崎社長からです。吉川物流はトップリードから手を引く。その理由は、藤堂が吉川物流の娘を妊娠させた、なのに藤堂は結婚しないという。そんな男が在籍している会社とは取引したくない、と言っています。ほかの会社にもそう声をかけているそうです、って連絡がありました」
苦笑いしながら報告をしている。
「で、いつ離婚するんだ?お前聞いていないのかよ、ってカウンターパンチが来たんですが」
「んー、吉川物流とは離婚しますよ、って言っておいたじゃない。野崎さん、若年性痴ほう症?」
これには岩下が笑った。
「何か申し合わせているんですか?小林ならそういうだろうって予測してましたよ」
「じゃぁ何か違う切り返しネタ探しておこう」
「静観してよろしいのですか?」
長野さんが不安そうにそういった。
「あー、そうか、長野は個人的にお父様に情報を漏らしてくれない?私からリークしたとは公には言えないから、あなたから」
「はい?父に、ですか?」
「そう。余計な動揺を与えるつもりはないからね。予測していたし、手当てしているから、と言えば意味が通じると思う。そうか、小売りルートは考えてなかったな。うん、これは修平さんに相談しよう。あの人タヌキだもんね」
小林さんはうんうん、とうなずいてタスクリストにメモをしている。
「小林、6番に上田企画の神崎さんから電話」
青山が声をかけて電話を取り次いだ。小林さんはにこやかにその電話を取る。
「上田企画?初耳なんですけど」
「ああ、イベンターの会社だ。何度かイベントで世話になっている会社なんだけど、まぁ、そこにいる神崎さんも神崎女史も普通の人じゃない。そしてあの二人はサンライズにつながっていてだな、サンライズはキャラメルボックスに通じてもいる」
「意味わかりません」
「あはは、如月先輩動かしたんですか?こわっ」
倉本さんがそう言って肩をすくめた。
「さぁて、明日の朝日が拝めるのはどっちの会社かなぁ。明日は大丈夫でも、明後日の朝日は拝めないだろうなぁ」
青山さんはそういった。
明日の朝日を拝める、って言ったよね。何気に恐ろしいこと言ったよね。
「久しぶりにお姫様抱っこしたのを見たなぁ、格好良かったなぁ、写真撮ればよかった。残念」
一方の本部長はそう言いながら書類の決裁をしている。
「私、びっくりしました」
そうなのだ。女性をひょいっとお姫様抱っこ、って普通にできることではない。
「鍛えてあるからな。ガキの頃から暴れるレーシングマシンを扱ってきたんだ。昔はガチで筋トレやっていたぞ。まぁ今は必要がないからそこまではやっていないだろうが。あんなほそっこいガキなんかメじゃないさ」
ふふん、と本部長が自慢する。
当の小林さんは笑いながらにこやかに話をして、電話を切った。
「経過を知りたいんだけど、時間だよ、行こう」
倉本さんにせかされて、私は店舗に向かうことになった。
時々、店舗で情報を仕入れるのも重要な仕事なのだ、という。
倉本さんとの店舗視察は順調にいった。閉店までの視察だったから、午後8時に勤務終了、翌日は遅番勤務の時間帯で出勤となる。
だから明日のお迎えは小池さんだそうだ。
指定された出勤時間は11時までというから、小池さんは10時30分に会社に到着できるように迎えに来てくれて、実際10時35分に出社したら。
なんと、吉川物流のあの「おじょうさま」と、どうやら「おとうさん」らしい男性が営業統括室にいた。
今日は通常出勤で本部長や課長たちが出勤しているはずだから、いないのは北海道出張中の藤堂課長だけのはずだった。
けれど、小林さんの姿がなかった。
「やぁぁぁっと出勤してきた。優雅なものね、こんな時間に」
「あとはお前だけだ。さっさと会社を辞めて、藤堂君の前から消えないか」
出勤した早々、そんな言葉を投げつけられた。
「何度も言いますが、関係ない話でしょう、お引き取り下さい」
「だったら堂々とここに小林さんを連れてきなさいよ。車があったから出勤しているのは間違いないのよ。なのにここにいないってどういうことなの。逃げてるだけじゃないの」
あかりさんは金切り声でそう言った。
「押しかけられても困りますな。藤堂は出張中で帰ってきていませんし、小林は今日は遅番出勤なのでここに出勤していなくても問題はありません。契約に関してはあなた方が通達してきた通りにしましたので、これ以上の議論はできないと思いますが」
突っぱねているのは本部長だった。その本部長の目の前にいる吉川社長と思しき初老の男はいらいらとしている。
「本当に、遅番ですか? 何か事情があって出勤できないだけではないですか? 仕事用の携帯にも、プライベートの携帯にも応答がない、違いますか?」
「本部長、平里さんとおっしゃる方がお見えになっていますと受付から。それがもう、こちらにいらしているようで」
江崎さんの取次の声むなしく、部屋に背広姿の男が入って来た。年のころは50代から60代、本部長と同じくらいだ。
「悪い、井上、仕事で来ている。緊急性が高い案件で来た。小林のお嬢さんはどこにいる?」
「…本人から口留めされているので教えられませんが、社内にはいますよ、タイムカード切っていないだけで。第一、今日は普通に勤務すると言っていたので普通に遅番勤務で出勤すると思います」
そう答えたのは、倉本さんだった。
「倉本?」
「出勤のタイムリミットは?」
「11時なのであと15分あります」
「君が他に話せる情報は?」
「昨日、退勤した後一晩中8台の車につけまわされて、朝型ようやく振り切って身の危険を感じたからガソリン満タンにして家にも帰らず会社に来た、ってことくらいですかね。居場所は口止めされていますが、それ以外のことは口止めされていないので。僕が言えるのはそれだけです」
倉本さん、何気に怖いことを言いました。
「8台?」
「そう、8台。言っておきますが、あの青のランエボですよ。壮大な鬼ごっこですねぇ。相手は何を考えているんでしょうねぇ、車に発信機6コもつけて。おおっと、これは口が滑った」
倉本さんが口をふさいだ。
くつくつと井上が笑う。
「ふざけた真似をしてくれたもんだ」
「おっはようございまーす」
まさに雰囲気を読まない声で、平里の後ろから陽気に出勤してきたのはその小林さんだった。
「あら、平里兄さんおはようございます」
そう言ってすうっと通り過ぎて出勤用のタイムカード代わりに身分証をスラッシュしようとして、思い出したように井上本部長の顔を見た。
「本部長、藤堂からメールが入りました。例の契約、こちらの提示した条件で全部とれたそうです。今、先方で正式に契約を交わしているので、午後に報告を入れますとの第一報です」
「お前、携帯出なかっただろう?」
「両方とも電池切れで」
カードをスラッシュさせてから自分の席に着く。「吉川親子」のことは丸ごと無視している。
ブラウスはボウタイ付きのブラウスで昨日とは違うが、スーツは昨日と同じスーツで、けれど、ふわりと石鹸の香り。
ようやく思い出す。本社のロッカールームには緊急時に備えて女性用のシャワールームと女性用の仮眠室がある。
「あ、そうか、仮眠室」
やっと私は気が付いたが、江崎さんも青山さんも、というよりも、みんな気が付いていたらしい。
なんだ、そういうことなのか。
「どうしてあなたがここにいるのよ」
「え? 何の話?」
「あの人たち、馬鹿なの? ちゃんとつぶしてって言ったのに」
「え? どういう話よ?」
「二度と私の前に現れないようにしてって頼んだのに。貴方が目障りだからつぶしてって」
平里さんの片眉が上がった。本部長の知り合い? 小林さんの知り合い? 話が全く見えないけれど、急用で来たんだよね?
その平里さん無視して、あかりさんは話を続けている。
「え?じゃぁ、昨日の8台の車って、アナタノサシガネダッタワケダ」
「そうよ、嫌がらせすれば絶対に手を引くと思って」
「あかり、そんな大事なことをしゃべるんじゃない」
「だってお父様も言ったじゃないの、この女が邪魔で邪魔でしょうがないって。事故にでも遭えば考え方も変わるだろうって」
「つまり、貴方達は8台の車を使って、小林を追い詰めようとしたわけだ、一般公道でカーチェイスして。しつこく事故に見せかけようともした」
平里さんの剣幕に、親子は黙った。
「いや、そんなことはみじんも言っていない」
「そーれーよーりーも」
急に話を変えようとしたのか、あかりさんはぎっと小林さんを睨んだ。
「ちょっとあなた。すぐに総一郎さんと連絡を取ってよ」
「取るわけないでしょ?その必要性を感じない」
「この子の父親は総一郎さんよ」
「どうだか。DNA鑑定しますか?出るところに出ても結構ですよ」
その言葉にひるんだのはあかりさんの方だった。
「それはこっちのセリフだ。あんたのことを調べた。若いころ、事故に遭って体が傷だらけでもう子供が産めないそうじゃないか」
「それが、何か?」
「子供が産めないなど、藤堂の嫁にはふさわしくはないだろう」
その言い方に、小林さんはふん、と鼻で笑った。
「あ、こりゃ完全に怒った」
青山さんが呟き、江崎さんが頷いた。
「もう私、考えたくない」
そうっと、江崎さんが呟いた。
なに? 考えたくないって
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