第11話 だいはくりょく


「それで、吉川さん、ご用件はそれだけですか?」

 冷たい声で言い放ったのは、室長だった。

「貴女はお父様である吉川社長の代理として、仕事上必要な書類があるからと私を訪ねていらした。だから来室を許可しましたのに、仕事に必要な書類とは、このことですか?」

 床に散らばった写真や調査書を指差した。


「そうよ。吉川物流の娘なのよ、私は。だから今まで以上に椿との関係を深める必要があるの。だから総一郎さんには私のような女がふさわしいの。現に、総一郎さんとの子供がここにいるわ。私たちの子供よ。私たちは結婚するというのに、どこの馬の骨ともわからない、欠陥だらけの女とか、車の運転しか能がない行き遅れとか、ふさわしくない。家柄もちゃんとした私のような若い女と結婚すべきだわ」


 ふん、と鼻息荒く彼女はそう言った。


 どこの馬の骨とも知れない欠陥だらけの女、だって。

 私、貴方とは一面識もないんですけど。


「まぁ、車の運転しか能がないって言われればそうなんだけどさぁ、私の部下を侮辱したのは許せないなぁ、謝ってよ」

「事実でしょ?彼女は会社には何のメリットもないわ。しかも、事故で足が不自由って、何よ。欠陥じゃないの。お店に立てない人を採用した段階でおかしいでしょ? ちゃんと調べましたのよ。御両親もいらっしゃらない、きちんとした出自を持たない女など、総一郎さんにはふさわしくありませんもの。私の父も憤慨していましたわ。

そう、貴方もよ。貴方は自動車事故で子供を産めない体になったんですってね。実家は自動車販売と名乗っているものの、実際は油まみれの工場でしょう?そんな労働者階級の人間が藤堂家の嫁とは、家格が違いすぎますわ」


 彼女の言葉が突き刺さる。

 私は欠陥品、なのか。


 それを打ち破るように、はぁ、と小林さんは深呼吸して立ち上がった。

「もう一度言います、耳の穴かっぽじって良く聞けこのバカ女。私の部下を侮辱することは許さない、今すぐ謝れ」

 ものすごく殺気立っていることは一瞬で分かった。その殺気立ちようが、普通じゃないことだけは分かる。迫力に気おされたのか、吉川さんは黙ってしまった。


「よくわかりました、謝罪する気もないようでしたら時間の無駄ですし、私は貴方の顔を見たくもありません。仕事の話と言いつつ、結局は貴方が言いたいことを言って、私の部下を侮辱し、場所も自分の立場もわきまえず喚き散らすだけの脳内お花畑の近年まれにみる手の付けられないお嬢様だということが良くわかりました。聞くに堪えない暴言の数々もありがとうございます。これ以上は精神衛生上よろしくないので即刻お引き取り願えますか?」


 げ、怖い、普通の迫力じゃない。力が入らないくらい圧倒される。


 その迫力に、へなへなへなとメガネ男が後ずさり、虚勢を張ってはいるが、吉川さんが数歩下がってヘタリ、とよろめいた。


「おや、動けなくなりましたか。仕方ないですね。そこの色男、連れて帰りなさいよ」


 とは言われたが、メガネ男はわなわな震えるだけで足ががくがくしている。

「仕方ないわね、特別だよ。御妊娠していらっしゃるようなので丁重に送って差し上げますわ」


 小林さんは一つ深呼吸すると、よいしょっと、の掛け声で、全く動けなくなった「おじょうさま」をお姫様抱っこした。


「ちょっと、放しなさいよ」

「暴れると落ちるよ。歩けないんだから大人しくしてなさい」

「そんなこと」


 けれど、小林さんから立ち上った「怒りのオーラ」が彼女を黙らせた。

 漫画なら、背景に「ゴゴゴゴゴ」って特殊効果が付くくらいの迫力だった。

「アンタは歩ける? まったく、お嬢様の護衛ならこれくらいのことで腰抜かしてるんじゃないわよ」


 メガネ男は顔を真っ赤にしながらも、がくがくしている足を叱咤激励してシャンと立とうとするが、まだがくがくだ。


「帰ったら…パパに言い付けるんだから。絶対に許さない」

「はいはい、そのお言葉、そっくりそのままお返ししますよ」


 全く相手にしていないようで、小林さんはお姫様抱っこのまま、さっさと部屋を出て行った。


「すげ…お姫様抱っこのまんま、しかも5センチヒール。相変わらずカッケー」

 平木さんが口元を緩めながら感動している。

「お前、誰だと思ってるんだよ。現役時代と同じだけトレーニング積んでるんだぞ」

 よいしょっと、机の引き出しから何故か塩の入った袋を取り出したのは本部長で、護衛のメガネ男の腕をぐいっとつかんだ。

 どうして引き出しに袋入りの塩がはいっているんだこの人の机に。


「何だ、お前細っこいなぁ。もっと鍛えろ」

 カチンときたメガネ男は技をかけて本部長の手を外そうとしたけれど、ニヤニヤ笑った本部長はそれを許さず、塩の入った袋を片手にそのまま部屋の外に連行していった。文字通り、ズルズル連れ出すというう具合だった。


「あ、部長は空手の有段者で、奥様は県の警察学校で柔道の教官として働いているんだ。二人とも県のシニア部門ではトップクラスだから、ああいう荒事はお任せしちゃうに限る。さ、もう大丈夫だよ。気分変えて仕事に戻ろうか」


「見た、見た?かっこよかったよね、今の小林さん」

 ぽーっと見惚れていたのか、平木さんの言葉に小池さんがぽっと頬を赤らめた。

「俺も惚れるなぁ、初めて見た。カッコイイ」


「大丈夫? 初めてだよね、びっくりしちゃったよね」

 鈴木さんがくすくす笑う。

「大迫力に大激怒だわ。怖かったぁ、私の時の比じゃない」

 とは、長野さん。長野さん、やらかした経験があるんですか? かわいい顔したお嬢様なのに。


「で、これで本当に娘の言いなりになってバカをやるようじゃぁ、吉川物流は終わりだ」

「本当にやりますかね、トップリードから手を引くって、これ、結構冒険だと思うんですけど」

 平木さんが呆れたようにそう言ったのだが。

「やるだろう。椿のバックがあるからそこまでやると踏んでいるんだろう、俺はそう思うね。バカ社長だけに」

 小池さんがはっきりそう言った。


「え? じゃぁそんなことになったら大変じゃないですか」

「大変だろうね。公私混同して会社にまで乗り込んでくれたんだから、本部長も小林さんも許さないと思うよ。そしてあの二人の事だからもう、手を打っているはずだ。不気味なのは、椿の動きが全然ないってことなんだよなぁ。つまり、これ、裏で藤堂さんが実家と連絡とっているんだろうなぁって考えるんだけど」

「藤堂には最低限の連絡しか入れていないよ。北海道の取引がかなり大きい賭けになるからね。本部長も室長もそっちに集中してほしいのが本音だろう」

 青山さんが解説してくれた。

「しっかし、むかつくなぁ。こーんなカワイイ部下を侮辱するなんて。寺岡は優秀な部下だぞ。仕事ができて礼儀作法がきちんとできるカワイイ部下なんだぞ」

「脳内おかしいヒトになっているんでしょうね。気にすることないよ」

 青山さんの嘆きに小池さんが笑って応じた。

「あ、青山さんのカワイイは、優秀な部下という意味の『カワイイ』だからセクハラじゃないからね」

「いや、美人さんの部類に入ると思うが、それを言うとなんちゃらハラスメントになるだろうが」

 青山さんが反論する。なんとなく、ここでの「美人」と「カワイイ」の区分け方を知ってしまった。良く「カワイイ」って連発されるからセクハラまがいなのかと思っていたけれど、ここでは違うんだ。そうか、だから小林さんは男性にも本部長にも「カワイイ」って連発する…んだ。


 それだけでみんな仕事に戻ったのだが。

 10分と経たないうちに、こっそり、といったふうに北河常務が部屋に入って来た。

「岩根課長」

「どうかしましたか? 藤堂からはまだ連絡は入っていませんが」

「いや、そうじゃなくってだな。井上本部長と小林室長、何かあったのか? 玄関先にてんこ盛りに塩をまくなんて大人げないって、衣笠部長に叱られながら仲良く二人で掃除していたが」

 全員が全員、顔を見合わせた。

 途端に、笑いが起きた。


「本当に塩を撒いたんだ」

「それで部長に叱られながら掃除って、やるなぁ、二人とも」

 倉本が笑いながらすげぇ、と拍手喝采した。

「私も塩を撒いて来ればよかった。うん、本部長カッコイイ」

 長野さんがそう言ってくれて、気が晴れた。


 岩根さんが常務に何があったか報告すると、逆に常務は記念写真になると言い始めて岩根さんが止めるという、何故かお笑い状態になってしまった。


 大迫力の小林さんだったけれど、帰って来た時にはいつもの小林さんで。

 部屋の雰囲気もいつもの雰囲気になっていた。


 コーヒーを飲んでいた北河常務はそんな二人の雰囲気を確認すると、安心したように執務室に帰っていった。

 常務は常務で心配していたんだな、きっと。

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