第10話 私の研修

 内部研修は小林さんから青山さん指導に移っていて、リモートワークで仕上げたレポートに青山さんは目を通し、満足そうに頷いた。

「思った以上だよ。じゃぁ、今度はこの資料を渡すから、レポートに仕上げてみようか。レポート報告テンプレートは今回と同じ、ただし追加した資料と一緒に比較して分析すること。できれば課題を挙げてくれると助かるけどね」

 青山さんが差し出したのは今期の資料で、しかも「今現在」のレポートを出せということだ。複数店舗にわたるレポートを出せということらしい。

「これは…」

「今やっているのは3カ月の短期レポート、この後3年の長期レポートやって、最終的には10年単位のレポートから今後の経営判断する資料を作れるようにする。ここまではレポートの書き方に関することだから。書式慣れしてしまえば楽だよ」


 とは言ってくれたが。

 頭が変になりそうだった。これ、実際の数字を使っているし、実際の店のデータだ。つまり、社外秘。いいの?私が扱っても。


「ところで、誰かから接触があった?」

「誰かから、ですか?」

「そう、個人的な携帯メールとか、SNSとか、携帯に変な連絡があったとか」

「いえ、それはないです」

「そろそろじれてくるころだから気を付けてね」

 青山さんはそういった。


「じれてくるって…何か仕掛けたんですか?」

「いや、何も。藤堂は出張に行っているし、小林も彼女を相手にしていない。だからこそ、連日朝と夕方、藤堂はどこに行ったかという確認の連絡が小林に入っているよ」

「え?」

「仕事用の携帯にね」

 青山さんはくすくす笑うようにそう言った。


「藤堂は君とは別に姿を隠している。まぁ、仕事で出張で東京から北海道に行っているんだ、別に『出張です』で通ることなんだが、同時に君も姿を消している。どう考えても、意味があるのかと疑う余地が出てくる」

「それを狙ったんですか?」

「出張はあらかじめ決まっていた出張だからね。わざわざ教える必要はない。しかも北海道出張は極秘案件だ。次の仕事の仕掛けを、どうして社外の人間に話すんだ?」

「そうですよね。じゃぁ、相手がじれて何かする、ってことを心配しているんだ、小林さんは」

 青山さんはいたずらっぽく笑った。


「毎晩、発信機つけた車で尾行者をひっかきまわして遊んでいるけどね」

「え?」

 横からレポートを取り上げたのは小林さんだ。

「昨日はあんまりにも頭に来たからファストフードでゆっくり夕飯食べて、即、峠道攻めてやったわ。途中でついてこなくなったから、酔ってリタイアしたんじゃないの? 続けてやってきた応援の2台目はそのまま峠道でぶっちぎって家に帰ったわよ」

「は?」

「あんまり運転上手な人じゃないよね、尾行している3台の車。おとといは湾岸線で仕掛けて、見事ネズミ捕りの餌食になってくれたし」

「はい?」

「市街地の細い路地とか苦手だし。だったら車幅の小さい車にすりゃ良いと思わない?」


 小林さんの告白に、開いた口が塞がらない。

 モータースで仲良くなった人たちから聞く小林さんは、ごく普通のOLだというのに、いざレースになるとえげつないほどシャープなラインどりをする攻めのドライバーだと言っていた。私には信じられない。


「青山さん…」

「うん、俺も驚いた。自画自賛して良いレベルだ。即戦力は難しいと思っていたんだが、それ以上だよ。あのモデルケースもこの分析も文句ない出来だ」


 はい?


「今3カ月レポだよね?そのまま3年レポと10年レポをレクチャーなしで提出してみようか。うわぁうれしいなぁ」

「解説すると、寺岡さんの頭をヘッドロックしてぐりぐりなでなでしたい気分、だよ。小躍りしてもおかしくない。ヒールはいてるから踊らないけど」

 江崎さんがそう言って解説してくれた。

「解説しなくて良いって、江崎さん」

 小林さんはくすくす笑っている。楽しそうだ。

「わかりにくい室長をいかにわかりやすくするか。ホント、かわいい寺岡ちゃんだから手放しちゃだめですよ」

「本当にな。これで思い残すことはない」

「青山さん冗談にもシャレにもならない」

 これにはみんなのツッコミが入った。


 でも、私はトップリードというホームセンター事業の中では「店に立てない邪魔者」でしかない。

 現場に立ってナンボ、の事業部なのだから。

 だから私は、私ができることをするしかない。


「店に立つことが事業部のすべてじゃないのよ。それ言われたら、私なんて現場に出てたの短いよ。ちなみに、長野は研修期間の1カ月くらいしか現場に出てない。店舗経験はほとんどないよ」


 私の心を読んだように、小林さんはそういった。

「自分ができることをやる、それができる人しか、営業統括には来れないんだよ。ぶれている人はこの仕事は務まらない。自信もって良いよ。自分の力で会社をプロデュースするの」

 そう言ってくれて、ちょっと安心した。


 私の足は治らない。だから、本来の夢もあきらめた。それは現場の第一線の仕事だったから。

 事務限定でこの会社に入ったけれど、やっぱり現場の人のオシが強い。今まで何度泣いたことだろう。そういう日もあった。


 でも、ほんのちょっとだけ、営業統括本部に来て気が付いたことがある。


 長野さんは自分の直感で売り込みたい商品があると、とにかくその商品をどう売るかを考えて企画を立ててくる。コストも考えないし、ほかの企画との連動も考えない猪突猛進型。


 けれど、それをうまく利用して一つのきちんとした企画案として立ち上げちゃうのが藤堂さん。


 倉本さんは調整役であちこちパイプがある人で、その案が実際動けるところまで手配というか、差配するというような感じである。


 そして必要な道具やハコモノをひょいっと調達するのは白鳥さんや小坂さんだ。


 そんな彼らをニコニコ見ながら多少修正しながら本当に軌道に乗せるのは小林さんと井上本部長で。


 節目節目で、びしっと「赤字だから駄目」と許可を出さないのは青山さんで。


 チーム、なんだよね。できることを、できる人がやる、って感が強いけれど、足りないところはみんなでカバーしている。


 だから、一人じゃないんだよね。


 だから、私も早くそうなりたい。

 そう思ってきた。だから、これは第一歩。


 今日、初めて認められた私の第一歩。


「レポ自体はパターン化されているから、あとはどう分析するかなんだけど、それは寺岡自身の言葉で書いて良い。それがあなたの強みだから」

 とは言われたけれど、書式だってものすごくざっくりとしたものだ。


「もっと自信持ちなさい。それが今後の研修課題だね」

 私のレポートが帰ってきた。耳と目を疑うくらい、青山さんと岩根さんと井上本部長のコメントが入ったレポートなのだが。

 でも、それらは私への励ましに聞こえて。



 相変わらず忙しい人たちの間で、私は研修ということで課題をこなしている。今日は午後から倉本さんと一緒に店舗周りに連れて行ってもらえるという。帰りはそのままモータースに送ってくれるのだと言っていた。

 10時半過ぎてから、小林さんのデスクの内線電話が鳴った。

「お疲れ様です、統括本部小林です」


 小林さんは話を聞きながらメモを書き、本部長にそれを見せた。本部長は短くOKと書き残し、社外秘のものは片付けて、全員着席して仕事をするように小声で指示を出した。

「お願いします」

 話を聞き終わった小林さんは相手にそう答えて電話を切った。

「悪いけど、ちょっとだけ協力して」

 倉本さんが自分のパソコンと携帯を抱えて小林さんの隣の席に移動する。私の席は青山さんの隣で、通路を挟めば倉本さんの隣だ。


 あれ、と思った時には、ヒールの音をカツカツさせながら、目鼻立ちのくっきりした女性とひょろっとした銀縁メガネの男性がやってきた。


「彼女が吉川あかりさんだよ」

 青山さんがこそっと話しながら全然関係ないプリントを差し出してくる。


「失礼するわ」

 吉川さんはまっすぐ、小林さんの前に立った。

「何でしょうか」

「あなた、私の忠告をまだ耳にしていないようね」

「何のことでしょう?」

「総一郎さんと今すぐ別れて。総一郎さんには私がふさわしいの。貴方なんかじゃない。何度も言ったわよね。あなたが総一郎さんに付きまとうからあんな女に総一郎さんが…」

 そう言って、視線が私のところに止まった。

「あら、あなた、こんなところにいたのね。手間が省けて助かったわ」

 メガネ男がバサリ、と私の前に封筒を置き、同じように本部長の前に封筒を置いた。

「確認しなさいよ、今すぐ。あなたたちがいかにふしだらな関係なのか、この場ではっきりしましょう」


 あの写真だとわかった。けれど、それを今ここで出すのは違うと思った。

 少なくとも、アパートのことはプライベートだ。会社に持ち込むことではない。

 だから、封筒には触らなかった。


 それが気に入らなかったのか、彼女はいきなり封筒を掴むと、中身を全部ぶちまけた。

 部屋中に、引き伸ばされたあの写真がばらまかれ、親密そうな藤堂課長と小林室長のツーショットの写真もひらひら舞った。


 吉川さんが何か言おうとしたところで、小林さんがゆっくりと立ち上がった。

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