第8話 それ、まかり通るの?


 吉川あかりさんの来訪は午前中だったけれど、それ以降は静かだった。

 本人と同行してきた弁護士はあっさり1時間ほどで総務部長と話をして帰ったという。

 衣笠総務部長が北河常務を伴って部屋にやってきたのは午後2時過ぎ、何故か私と青山さんもミーティングルームに呼ばれた。

「井上さんが大激怒しててな、藤堂を東京から呼び戻す必要はないと言って話を聞かない」

 北河常務が苦笑していた。初めて会ったけれど、噂以上に若い人だった。

「私もそう思います。向こうは藤堂と交渉したいでしょうから、同じテーブルにつかせるのはどうかと思います」

 あっさりと同意したのは小林さんの方だった。

「で、何故寺岡を?」

「いや、ちょっと確認したくてね。野田はこれを見て怒り狂ってだな、宥めるのに苦労したよ」

 衣笠部長が差し出したのは、封筒に入った、引き伸ばされた写真だった。



 出されたスナップ写真は、あの日、アパートに引っ越してきた当日の私と藤堂さんの写真だった。もちろん、顔がはっきり映っている。あの時大倉夫妻もいたはずなのに、わざわざ私と藤堂さんのツーショット写真にして、しかも夜、大倉夫妻を見送りながら部屋に帰った私と見送った藤堂課長とを、悪意のように切り取ったツーショット写真もあった。


「野田君は、この女性が寺岡君だといったし、事実、ここに写っている車のナンバーは君のものだ」

 常務は厳しい目を向けた。

「ホント、悪意の塊だわ、胸糞悪い。巻き込んじゃって悪かったね、寺岡さん」

 写真を見るなり、小林さんがぶんむくれる。


 けれど、その悪意に頭が真っ白になる。

 確かに、藤堂さんは良い男だけれど、それ以上に小林さんとは相思相愛の夫婦だ。あの日曜日、何時間か一緒に過ごしただけでそれがよくわかる。

 なのに、こんな写真が公表されたら。


「わ、わたし、こんなの、うそです。こんなの藤堂課長と小林室長に何て言って良いのか…」

「知っているよ、引っ越しが終わってふたを開けてみたら隣に二人が住んでいたんだろう?そりゃ驚くよね。小林から連絡を受けて、引っ越しの住所を見た野田がびっくりしていたし、あの日、大倉夫妻も一緒だったことも聞いてる。野田が怒っているのはこういう悪印象を与えるような写真を撮ることだよ。知らない人は信じるだろうからね」

 北河常務がそう言ってくれた。


「住所申請で誤解が起きないように次の日に野田さんに話を通しておいたのよ」

 そういうことか。誤解されなくてよかった。

 けれど、向けられた悪意には腹が立つ。

「で、面白いことにこの彼女が新恋人だと誤解していたよ。つまり、小林の次は寺岡君がターゲットになる可能性がある。何より、隣に住んでいるからね」

 解説する常務の隣で、トントンと小林さんは写真をまとめた。


「真面目な話、寺岡、叔父さんの家から会社に通うことは可能?」

「いや、それはちょっと物理的に無理です。叔父の家は今リフォーム中で、叔父一家もアパートに仮住まいしてて…」

「となると、女子寮空いてたかな?野田さんに頼もうかな」

 小林さんが考えながらそういったが、部長が否定した。

「空いてない。今ホテルを確認中だが、ホテルじゃない方が良いかもな。足のこともあるし」

 即答したのは青山さんだった。

「え??」

 何の話だ?


「つまり、こういう角度から写真を撮ったりするってことは、プロがやったってことですよね。しかも私たちは気が付かなかった。寺岡さんの動向も監視対象に入っているはずだ。今後、アパートに帰らないとすると、セキュリティのしっかりした安全な場所に避難するのが一番で。無理ならうーん、どこか考えます。寺岡はすぐに家に帰って、1週間分くらいの荷物まとめてくれる?車も自分のじゃない方が良いよね、誰か一緒に行ってもらって、安全な場所に身を隠した方が良い。探しておくから荷物だけ持っておいで」

「じゃぁ倉本と長野を行かせよう」

 青山さんが立ち上がってすぐに二人に声をかけた。


 私はというと、体が震えてうまく立ち上がれなかった。

 その様子を見た小林さんは、座っている私の目の前に座って手を握ってくれた。私よりも、小林さんの方がつらいのに。

「大丈夫、心配しなくても良い。何か起きないようにするための先回りだから」

「は、はい、大丈夫です」

 とは言ったものの、指先が冷たくなっているのがよくわかる。

「そうだよね、こんな悪意にさらされちゃったら普通驚くわよね」

「いえ、大丈夫ですから」

 そう言って立ち上がった。まだヘナヘナしているけれど、大丈夫だとアピールした。



 アパートから引き返して会社に戻ると、仕事を早く切り上げた井上本部長がいた。

「おう、大丈夫か?」

「かわいそうに、動揺しちゃってブルブルしてましたよ」

 倉本さんがそう言った。事実、私は今でも動揺している。

「陰湿な脅迫だからな。安心しろ、きっちりカタをつけてやる」

「はい」


 奥のミーティングルームには、青山さんと小林さんが難しい顔をしてホワイトボードを見つめていた。

 倉本さんは報告のため、一緒に中に入る。

「そういうことか、うん、わかった」

「今あちこち連携とれるように動いています」

「で、藤堂会長には?」

「連携とらなくても動いていると思います。ちょっと別ルートからコンタクトがあったので」

「了解。こっちに支障がないように動く。で、寺岡さんはどうする?」

「安全が担保されるまでリモートワークで預かろうかと」


「アパートにか?」

「まさか。私の実家に」

「は?」

「我が家が大激怒の嵐で手に負えないんですよ。実家の女子寮ならセキュリティも安全だし、まさかあんな所にいると思わないので連中は手出しができない。まぁ、手を出したら袋叩きにあって終わりですが」

 その言葉に、隣の井上本部長がにやりと笑った。


「盲点だったな、あそこはなぁ…」

「にぎやかだから退屈はしないでしょうしね。で、倉本、今日これから例の視察に行くんでしょ?」

「はい」

「頼みがあるの。この封筒をどこかのサービスエリアのごみ箱に捨ててきてくれない?用事はそれだけ」

 ぴらぴら振っている封筒には、小さい何かが入っている。

「何ですか、これ」

「寺岡の車についていた発信機。ちなみに、藤堂の車の分は白鳥に頼んだ」

 倉本さんはくすりと笑った。

「やりますねぇ」

「やり返しますよ、反撃開始にはちょっと早いけどね。この警告が効果なかったら次の手を打つ」

「で、小林さんの分は?」

「当然そのままよ。私のランエボに取り付けたこと、後悔してもらいますからね」

「それで本気モードで怒っているんですか」

「はい、本気モードです。寺岡は明日からリモートワークで。今日は残りの作業をして、退社。悪いけど、車はここに置いておくことになるからそのつもりで」

「わかりました」


 ホワイトボードを見つめていた井上本部長がトントン、とある一か所をたたいた。

「ここまで大胆にできる何かがあるということか」

「先日、常盤運送との業務提携の話が決まりかけているという情報が入ってきましたけどね」

「なるほど」

「何を考えているんでしょうねぇ、って話です。ビジネスはビジネス、プライベートはプライベートです」


「もしかして、藤堂課長とあの人を結婚させるために?」

「たぶんね。要求は藤堂に出すだろうし、その藤堂は交渉窓口に出てこないしだから、私たちの結婚をどこまで知っているのかつかめなくてね。どっちにしろ、藤堂との結婚を迫っても、藤堂の名前を貶めても自分たちの目的は達せられるように考えているってこと。トップリードの物流は吉川が30パーセント握っている。メインの物流はウチの子会社だけど、吉川は物流としては大手だから、ほかの会社に圧力をかければ、ウチの外注部分のほぼすべてを手にできると思っているんじゃないの? 当然椿グループとしての物流のからみで椿グループにも影響を与えることになる」

「じゃぁ、ごり押しして政略結婚という話が出るってことですよね」

「そうね。藤堂が東京出張で助かったわ。時間稼ぎができる」

「どこが時間稼ぎだ、向こうが乗り込んできてから、まだ4時間足らずだぞ。で、オマエ、藤堂が別れてあの吉川のお嬢と結婚すると言ったらどうする?」

 本部長がにやりと笑った。


「藤堂がその選択をするのなら止めませんよ。あの人の人生ですもの。ただ、トップリードの客を人質に脅しをかけてきたことに関してはオトシマエをつけていただかないと、と思うのは営業統括室長としてのわたしの仕事です」

 さらりと小林さんは答えた。真顔だ。

「おう、良かった。そこで目が曇っていたらぶんなぐっていたところだ」

「19のままじゃないですからね」


 二人のやり取りに、はっと気が付く。

 つまり、あのお嬢さんは政略結婚のために藤堂課長と結婚しようとしたということなのか? 仮に、課長のことが好きだとしても自分の感情で父親動かして会社動かしたってこと?


 それ、まかり通るの?


 いや、通さないでしょう。いや、でも、どうやって?


「あとで解説してあげるから、今はおとなしく仕事してくる」


 疑問が渦巻いたけれど、頷いて仕事に戻った。

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