第7話 おじょうさまとおぼっちゃま

 座ったところにお茶を出されて、頭を整理した。

 正直、引っ越し作業で左足がずきずきしていたからすっごく楽になって助かったんだけど。


「え?もしかして藤堂課長と小林室長が一緒に暮らしてるの、内緒とか?」


 お二人が結婚しているなんて話は公には聞いたことがない。私が知っているのは車の中で、吉崎課長が口にしただけだもの。だけど、毎日同じ部署にいるのにそんな雰囲気は全くない。逆に夫婦じゃないっていうことの方が信じられるくらい、仕事に徹している。

 おしゃべり雀の噂話で、それぞれ長年の恋人がいて、結婚秒読みの婚約状態だとかという話を聞いている。噂話だから信ぴょう性はない。藤堂課長には実業家のお嬢様が、小林室長はイケメンの実業家のお坊ちゃまが婚約者だという。

 確かに藤堂課長はイケメンだけど。

 二人とも実業家の息子に娘?

 あれ?


「なに、会社で公表していないの?」

「あー、本部では公表しているけど、わざわざ知らせることじゃないから本社でも知っているのは総務の一部とウエ関係かなぁ。社長とか未だに気にしているし」

「寺岡さん、混乱の極み、みたいよ」


「あの、あの、あの、間違っていたらごめんなさい。藤堂課長は実業家のお嬢様と婚約されていて、小林室長は実業家のお坊ちゃまと婚約されているって噂で聞いていたので、二人が暮らしているってことはその…」


「まず、はっきりさせておこうか。総一郎君と楓ちゃんは夫婦だよ?双方の両親と親族立ち合いのもとで婚姻届けを書いたし、顧問弁護士がそれを役所に提出している。両家とも祝福したし、俺たちも結婚に賛成した」


 戻ってきた男性が、そう言った。

「え?夫婦?ですよね?」

「半年ほど前にね。仕事で商品を扱うから、傷つけないように指輪はしていない。代わりにぶら下げているけどね」

 なるほど、藤堂課長の首元にはネックレスに通された指輪があって、同じように小林室長の胸元にも指輪があった。


「この土地はそもそも楓の祖父母の持ち物で、遺産相続の時に楓がもらったものだ。賃貸業で維持費くらいは出そうという話でアパートや駐車場にしている。で、小林モータースって知っているか?」

「あ、はい、レースに出ている会社ですよね?それだけじゃなくて、県内の輸入自動車販売会社でもある」

 あ、同じ小林だ。

「楓ちゃんの実家だよ。モータース関係はお兄さんたちが引き継いでいるけどね」

 そうだったんだ。


「恵子さんは総一郎さんのお姉さん。大倉さんはお姉さんの旦那様。お姉さんは結婚して名前が変わってしまったけれど、椿グループのカフェ・カメリアの副社長、お兄さんは社長、お兄さんはカフェよりもレストラン事業部の仕事が多いかな」

「え?え?え?いや、そうだよね、藤堂って、椿グループの創業家だもんね。あれ?でも、何でトップリードなんですか? 二人ともそれだけの才能が有ったら椿グループも小林モータースも手放すことなんかないのに」

 そうだよね、トップリードにいても十分だけど、あんまり利点がないような気がする。


「だから、こうして時々戻ってくれないかと口説いているんだけどね、総一郎君はトップリードから動く気がない」

「何より、楓と組むのが楽しいからな。それにあの井上さんと北河君がいる。兄さんと仕事するのも楽しそうだけど、北河君との仕事はもっと楽しいよね」

「わかる。常務の理想論を現実に動かしているのは井上さんで、その井上さんを陰で動かしてるのが野田さんなんだよね。そうっと人材を配置してさぁ。悔しいけど、しゃくなんだけど、これがまた適材適所の人材で、どうしてそういう目を持っているのかとコンコンと突き詰めたくなる。」

「それな。皆で飲んでても話聞いてるだけでわかったようなわからないような感じなのに、ピンポイントで問題点はここだよ、て一体どういう人なんだろうね」

 なんか、聞いてはいけなかったことを聞いたような気がする野田さん最強説である。


「ふぅん。つまり、寺岡さんはその野田さんの審美眼にかなって本社に引き抜かれた人なんだ」

「残念、青山さんと私が前々から目をつけていた人なのよ。野田さんが一番渋って店から手放さないって」

「そうだったんですか、初耳です」

「店の要になる人物を、簡単に動かすのはどうか、ってね。あの時のやり取りを公表したい」

 藤堂さんが笑いながらそういった。その交渉は楽しかったのか、そうなのか。


「あー、でも、うん、私たちが隣に住んでいることが嫌なら、申し訳ないけど他の物件を紹介するように不動産屋に言うわ。もちろん、引っ越し料金もこちらで負担する。仕事もプライベートも視界に入るというのは嫌がる人もいるから、遠慮しなくて良いわよ」

「そうですね、でも私あまり気にしないので」

「遠慮することないのよ、もっと良いところ引っ越して引っ越し料金ふんだくってやりなさい」

 大倉副社長はそう言ってからからと笑った。


「ねぇ、かえちゃん、夕飯、寺岡さんを誘ってよい?」

「え?ちょっと待ってください、私そんなつもりで…」

「大丈夫、フルコースフランス料理じゃないから。兄さんと総一郎さんが良いなら私は構わないわよ」

「ぜひ、あの家の話が聞きたいな。恵子から聞いたとき、イメージがばばばばっと沸いたんだ。今度、東側の部屋に手を入れて、庭が見えるようにして客を入れたいんだ」

 どういうこと?


「兄さんは建築設計士でもあるんだ。あのカフェのコンセプトデザインを手がけたのもそうだよ」

「本当ですか?あんな素敵なカフェにしてくださって、叔父も叔母も喜んでいたんです」

 藤堂課長の説明に反射神経で食いついてしまった。


 それを見た副社長と小林室長はくすくす笑っている。

「竜田揚げとがめ煮とサラダ。みそ汁はお豆腐とわかめ。遠慮してると横からかすめ取られるから気を付けてね。嫌いなものはある?」

「いえ、ないです。あ、手伝います」

「だめです。左足プルプルしてるのに無理するんじゃありません」

 室長は笑いながらそう言って私の申し出を断った。代わりに差し出されたのはランチョンマットと箸と箸置きだった。


 思いがけず、楽しい時間だった。

 小林室長のことも藤堂課長のことも、職場じゃないからそう呼ぶな、と言われて。

 そうなると大倉社長も役職で呼ぶな、が始まってにぎやかな夕食となった。

 そして最後は恵子さんが自らコーヒーを入れてくれて。ああ、バリスタのコーヒーっておいしい、と思った一杯だった。



 それから数日後。

 藤堂課長は仕入れのことで東京に、井上本部長は京都に、岩根課長は新規店舗のプレゼン開催に向けて忙しくしていた。

 小林さんは室長として通常業務の他にそれぞれの課長の仕事のフォローと本部長の仕事のフォローをしつつ、全店舗の運営に目を光らせるという通常業務にいそしみつつ、資料分析の仕事もしつつ、私に仕事を教えてくれている。


 内線電話は私の顔を売り込むのに一役買うから、というので内線電話は私の仕事になっているのだが、受付から戸惑った声で電話が入った。

「室長、あの、吉川あかりさんとおっしゃる方がいらしていますが、面会予約はありますか?」

「ないわよ、誰?」

 面会予約はないと受付に伝えると、わかりました、と電話を切られた。


 ほぼ同時に入ってきたのは真顔の野田課長だった。まっすぐ室長のデスクに対峙すると声を潜めた。


「悪い、緊急だ、藤堂はいるか?」

「東京に出張中です。今頃飛行機の中か羽田着くらいですか」

「吉川あかりの名前に聞き覚えは?」

「面識はないですけど、吉川物流の社長の娘じゃないですか?」

「藤堂との面識は?」

「あるかも?くらいです。椿の傘下の企業ですからね。本人に確認しないとわかりません。トラブルですか?」

 その話をしながら、野田課長はメモ用紙にいくつかの会社の名前と人間をメモしている。

「落ち着いて聞いてくれ、自分は藤堂の婚約者だ、小林が寝取った、ついては婚約不履行で藤堂を訴える、小林を不貞原因として訴える、と受付で一気にのたまわってくれた。今、衣笠部長が別室に案内して話を聞いているが、居合わせた取引先が何件かある。担当者から詳しい説明は避けさせたが、こちらでの調査を待ってほしいと言ってある」

 野田課長はメモを渡した。

「藤堂をすぐに呼び戻すことは?井上本部長は?」

「井上は京都です。今日の夕方には戻ります。藤堂は向こうで顔合わせを控えていますから、同行している桃井に任せたとしても、向こうを出るのは夕方です」


「お前はどう思う?」

「もちろん、何かウラがあるんだと思いますけど」

「藤堂の話を聞いていないのに、か?」

「それで私が揺らぐとでも?」

「彼女は妊娠中だそうだ」

 耳を疑う言葉が、野田課長から飛び出た。

「だったら余計に。すぐに調べます」

「俺も調べる」

「井上と藤堂にも伝えておきます。北河常務の耳に入れておいた方が良いですかね?」

「俺から入れておく。おい」

「何ですか?」

「今猛烈に怒っているだろう?」

「怒っていますね、猛烈に。対処できることは対処します。こっちに影響させませんから」

 そういった小林さんの目が、怖かった。


 野田課長が帰った後、井上本部長と藤堂課長に連絡を入れた後、立て続けに何件かの会社に連絡を入れるとのことで、奥のミーティングルームに入ってちゃっちゃと電話している。


 あんな話を聞いて、誰もが驚いてはいたけれど、鈴木さんも平然と仕事をしていたし、青山さんは気にも留めていない。

「寺岡」

「はい」

「顔洗ってこい」

 青山さんは私を見て笑っている。


「動揺する必要ないよ、あの二人見てるとやきもきするだけ無駄だから」

 くすくす笑いながら声をかけてきたのは隣のブロックにいる長野さんだった。

「あ、そうだ。青山さん、ちょっと電話かけてきて良いですか?」

「何だ、私用か?」

「あ、ええ、まぁそうなりますけど。すぐに戻ります」

 長野さんはそう言って小林さんとは別のミーティングブースに入ると自分の携帯電話でどこかに電話してすぐに戻ってきた。

「親父さんか?」

 戻って来た長野さんの顔を見ながら一言、青山さんが言ったのを聞き逃さなかった。

「父なら業界長いので何か知ってるかと思って。わかったら連絡するって返事でしたが」

 つまり、長野さんもドコゾのお嬢様なのか、と思った次第。

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