第6話 そんなことがあるのか、と


 登用試験の結果は、公表はされなかったが内示という形で吉崎課長の転属が決まった。新課長に引継ぎをした後、来月、11月初旬から転属するというのだ。


 バタバタしていて会社が優先だったけれど、ようやく、アパートが決まって引っ越しに取り掛かった。月半ばの入居だけれども、10月分の家賃は日割り計算してくれるとのことですんなりと話がまとまった。


 周囲にスーパーや病院がある、幹線道路から一本奥まった場所にあるアパートで、本社から車で15分。

 オシャレな外観の二戸つながりの平屋建てで、玄関前に一台の駐車スペースがある。これだけ聞けば、某雇用促進住宅っぽいが、玄関から駐車スペースまでは小さなアプローチがあり、タイル煉瓦で飾られたシックなアプローチと落ち着いた外観は周囲に溶け込んでいて、しかし没個性ではない。

 三列、計六戸同じ建物が立ち、四列目、幹線道路に近い建物だけはちょっと違っていた。

 平屋建ては同じ作りだし、アパートと同じ作りだったが、道路側はスペースが削られていてアパート住人のごみ集積場がある。その隣はこの住居専用の来客用の駐車スペースがあり、そこから平屋のアパートが建っているのだが、ここは目隠し用の板で囲われたウッドデッキがあった。つまり、この家だけは二戸つながりではなく、一棟一戸らしいのだ。


 幹線道路側の隣家は貸し駐車場となっていて、一戸ごとのガレージが10戸、屋根はないが、砂利式平面の駐車場が10台となっている。住人たちの来客用の駐車スペース2台もここに設定されている。

 道路を隔てた反対側は住宅地で、一軒家が並んでいることを考えると駐車場の需要はあるのだろう。

 そしてその向こうに広がるのは、田んぼや畑である。ザ・田舎のよくある風景だった。だからこそ、ここを選んだ。


 不動産屋さんの話では、オーナーは代々の地主さんだそうで、今は受け継がれてお孫さんの代だそうだ。そしてオーナーさんはここに住んでいるそうだ。そう、あの一棟一戸の家らしい。ここに決めた時も、鍵引き渡しの時も会えずじまいだったけれど。


 もともと、私と両親が住んでいた家は祖父母が自分の親から受け継いだ古民家を今の場所に移築したとかで、かなり大きなものだった。それだけ古いものだから、築年数も経っていてリフォームするにはお金がかかるし、足が悪くなってしまった私が使うのは不便な家だと叔父とさんざん悩んだのだが。


 どこでどう聞いたのか、いつも家のメンテナンスをお願いしている工務店の棟梁から椿グループのカフェチェーン部門が新しく店を出したいので、この家ごと譲ってくれないかという話が持ち上がった。


 一番の希望は土地付き、家屋付きで譲ってほしいという話だったが、賃貸でも良い、家が良い、という話らしい。とにかく、一度話を聞いてからという話になった。


 指定された日、工務店の事務所で待っていたのは不似合いなほどに落ち着いた雰囲気の男性が二人とほんわりした雰囲気の女性が一人。男性の一人は店を担当するバリスタだと名乗り、その上司で営業課長だと名乗る男性と、会社の副社長だと名乗る女性が名刺を差し出してきた。


 間違いなく、県下有数の、椿グループのカフェチェーンの会社だったことに絶句した。その女性が副社長の大倉恵子さんだったことにも驚いたが。


 大倉副社長は、新しいコンセプトの店舗を展開する予定で、その一号店として候補に挙がっているのだという。古民家カフェが目指すところではあるが、ごく普通の古民家の方が趣があると、外観で惚れたと言ってくれた。


「もちろん、ご家族の気持ちを無碍にして話を進めるつもりはありません。断ってくださって結構です。ですが、わたくしどもの熱意を感じていただければ幸いです。本来は社長が同席すべきことですが、豆の買い付けに同行しておりましてそれがかなわず。けれど、社長はノリノリで今回の話を楽しみにしておりましたので、一考くだされば幸いです」

 大倉副社長は飾らぬ言葉でそう言って頭を下げた。


 それが決め手だったといっても良い。

 ほかにも、何件もの不動産会社から引き合いはあった。私の所にも叔父の所にもあった。けれど、気持ちよく話ができたという点と棟梁の紹介ということもあって、家の権利は譲渡したが、土地に関しては賃貸ということですんなり話が決まった。

 万一気が変わって、土地を売買する場合には交渉権第一位の権利を与えてほしい、というのが向こうの言い分で、家屋の値段も賃貸料も相場の取引となった。


 叔父も私も異論はなかったので家を片付けて引き渡したのは事故から一年後のことだった。

 そこから改修を経て、今は町の名前にちなんて「桜カフェ」として人気スポットになっている。

 家の半分は全面改修して客を迎えられるようにしてはいるけれど、半数はそのままで、おいおい手を加えてゆくという。ただ、改修された部分は見事な改修としか言えない、雰囲気のあるカフェになった。



 だから、私は学校に行っている間は学校の近くに、社会人になってからは程よい近さの場所でアパートを借りていた。今回も条件に合う物件をいくつか回ってから気に入ったこのアパートに決めたのだが。


「うそでしょ」


 引っ越し初日。

 あらかたの荷物を片付け終わったので、偵察がてら幹線道路の向こうにあるスーパーに行こうと駐車場に来てみれば、会わないはずの人に会った。


「あららぁ」

 ブランドのポロシャツにジーンズ姿という、ラフな格好ではあるが漂わせているほわんとした気品はそのままの女性だった。

 見間違いではない。大倉副社長だった。

「あれ?どうして?」


 私の家の売買で知り合った大倉副社長だった。取引の時に2度ほど会った後、実はオープンしたカフェで何度か会ったことがある。前に会ったのは墓参りの時だから、半年ほど前の話だ。

「大倉副社長」

「寺岡道子さん、だ」

 二人同時に顔を見合わせて笑ってしまった。

「どうした、恵子、知り合いなのか?」

 買い物袋を手に車を降りてきた男性は当たり前のように副社長の隣に立った。

「ココ、入居者誰もいなかった部屋だろう?君、引っ越してきたの?」

「あ、はい。今日引っ越してきました」

「ねぇ貴方、この方、桜町通りの土地オーナーの寺岡さん」

「うわぁ光栄だな。あの家に住んでいたんでしょ?丁寧に住んでくれて、感謝しています」

 男性はそう言って頭を下げた。

 私も反射的に頭を下げる。あの家をあんな風にリフォームして憩いの場所にしてくれたことに。


「かえちゃんいるかしら?」

「いるだろう?」

「紹介してあげよう。かえちゃんも桜カフェ大好きなのよ」

「え?」

「ここに管理人がてら住んでいるんだ、もう会った?」

「いえ、まだです」

「じゃぁ紹介してあげよう、おいで」

 やわらかな物腰の男性にそう促され、例の一棟一戸のアパートの方に向いたら、向こうから男性が歩いてきていた。

「兄さん姉さんいらっしゃい。ん?寺岡さん?」

 目の前にいたのは、藤堂課長だった。


「総ちゃん、寺岡さん知ってるの?」

 そ、そうちゃん、といったよね、コノヒト。

 そして兄さん姉さんといったよね、藤堂課長。


「楓の部下だよ。統括本部のニューフェース、期待の新人」

「へぇ、そうなの。じゃ、知ってて引っ越してきたわけじゃなくて?」

「いや、どうして姉さんが寺岡さん知ってるんだよ?聞いてないよ」

「桜カフェの、あの土地家屋のオーナーだった人。今は地主さんだけど」

「え?あの家の?うわぁ、素敵な家をありがとう。ザ・日本家屋って感じで好きなんだよ。これは楓に教えなきゃ。あいつ、大ファンなんだよ」

 そう言いながらこっちへどうぞ、と案内される。


 展開についていけない。

 大倉副社長と知り合いなの?藤堂課長が?

 あれ?ここは課長の住居なの?


 疑問が渦巻く中、例の平屋に足を踏み入れると。

「うわぁ、素敵」


 目に入ったのはアメリカの西部劇で出てくるような丸いダイニングテーブルだった。カントリー調のそのテーブルを中心に、シックに茶色と白で彩られた家具とファブリック、要所要所に飾るように置かれたグリーンの数々が目に優しい。

 ウッドデッキまでオープンにしたLDKは私のアパートと基本的な構造は同じらしい。リビングの奥は上手に隠してあるけれど、バスルームと洗面所やトイレがあるだろうし、その奥は部屋があるっぽい。ドアが見えた。


 そして目を引いたのは。

 キッチンでデニムのシャツにジーンズ姿で包丁を握っていたのは、小林室長だった。もう訳が分からない。いや、藤堂課長と結婚しているのは知っているけど。


「あれ?寺岡さん、いらっしゃい」

 ダイニングテーブルの上には和食のおぜん立てがされていて。部屋にはホワン、と醤油の香りが漂っている。

「向かいに越してきたの、寺岡さんだよ」

「あら、そうなの、よろしくね」

「いやそうじゃなくて、かえちゃん、寺岡さんは会社の同僚なの?」

「そう、期待の新人さんですよ。戦略班登用試験に文句なくトップ合格したの」


 それは聞いていない。


「どうしてここに小林さんがいるんですか?」


 頭がパニックになりそうだった。


「え?ちょっと待って。私、夕飯の買い物に出ようとしてだな、お隣さんは小林さんなんだよね?なのに藤堂課長がいて、大倉副社長は藤堂課長のお姉さん?あれ?でも小林室長は藤堂課長と結婚しているから不思議じゃないよね?」

「合ってる合ってる、まぁ座ろうか」

 藤堂課長がくすくす笑いながら椅子を引いてくれた。自然と座ってしまったけれど、大倉副社長もくすくす笑いながら一緒に座ってくれた。

「かぁわいいなぁ、恵子がいい子だというのがよくわかるよ」

 そう言いながら、兄さんと呼ばれた男が洗面所に向かう。

「そうなのよね、このほわぁ、とした雰囲気に騙されちゃうんだけど、しっかり者の有能さんなのよね」

 そう言って当たり前のように冷たい緑茶が出てきた。

「ココは私が相続した土地で、高校卒業後からずっとここに住んでるの。半分は貸し駐車場にして、半分はアパートにしてあるから土地の無駄遣いと言われているんだけど、あんまりキツキツで暮らすのはつらいからね」

 そういったのは小林室長だった。

「で、総一郎がここに転がり込んだんだよね。本当に、もう。男としてどうなのよ、姉さん情けないわ」

 藤堂課長が、転がり込んだ?

 つまり、二人はここで暮らしているということだ。

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