第5話 登用試験は基礎知識?
金曜日の昼休みにもう一度目を通してから課題レポートを提出した。当然、今までの試験問題が入ったUSBも回収された。
終わった。終わった、長かった。
これで引越しできる。
課題という足かせが外れた。あとは結果だけ。
充実感に満たされた昼休みの終わりごろ、本部の部屋に目の下にクマを作った吉崎課長が現れた。
「あら珍しい」
「出張旅費の決済処理が終わった。室長のハンコ、お願いします」
毎月の承認決済の話だ。
「それから、課題レポートはメール添付で送っておいた。それとUSBの返却だ」
「ありがとう、お疲れ様です」
決済書類に目を通すと、小林さんは承認印を押した。
事務的に吉崎課長からUSBを受け取り、同時にメールを確認する。30ページほどの厚さのレポートで間違いないことを口頭で確認すると受け取ったと了承した。
たぶん、同時に中身のチェックもしているんだろう。
「発表は、明日?」
「そう、明日の午前11時の予定。今日の通常業務が終わったらみんなで回覧して、添削して協議して、登用するかどうか決める。登用基準に至らなかった場合は登用しない」
「三人とも登用基準に至った場合は?」
「三人の年齢がばらけているから、今回は三人とも登用する案が浮上中。まだ決まっていないがな」
口をはさんだのは井上本部長だった。
「野田がかみついているのはそこなんだよ。三人は多くないか、とな」
「野田さんがやってみればよい。ハードすぎる仕事だぞ。それに、あの試験問題なんて基本的な基礎問題にすぎん。基礎知識だろ、本物はそうはいかない。人事畑のあの人が解ける問題じゃないよ」
今なんて言いました?岩根課長、基礎知識とは何ぞや。
岩根課長は話はこれで終わりとばかり、メモ書きの書類をひらひらさせた。
「やりましたよ、ともえ設計、プレゼンに参加したいって」
「お、いいな、それ」
本部長はグーパンチで岩根課長もグーパンチでノリノリのタッチを交わしている。
「で、え?えええ?」
あ、心の声が漏れた、と思ったら、吉崎課長だった。
「この問題で基礎知識?」
「そう、基礎知識。何考えてるの、私が欲しいのは営業統括本部の頭脳なのよ、頭脳。この会社の頭脳」
ひっ、と思って頭を抱えた。
「ハード担当の岩根、商品担当の藤堂、店ごとの特徴を抑えてカジ取りして売り上げたたき出すのが小林、この三人をトップにして、三人を支える会社のブレーンが欲しいんだ。あんな問題、基礎知識にすぎんだろうが。実際に相手にするのは全店舗に来る客と、そこにいるスタッフと、毎日の売り上げだ」
何を言う、と言いたげな井上本部長のお言葉である。
「役職など関係なくこの三人に対等に意見を言えるようなメンツじゃなきゃ、意味がない。ここにいる連中はみんなそれができるからここにいる。俺が見るポイントはそこだからな」
小林さんや岩根さんや藤堂さんに意見を言えるような?
「わ、私、そんなこと言えません」
「そうかな? 特売商品の配送に不備があったとき、きちんとゴリゴリと配送業者に圧力かけて追跡させて、その上特売商品の販売方法変更をその場で取り仕切った話は報告を受けているが?」
「え? え? え?」
かつて店舗にいた時、本来なら前日夕方に入荷する商品が配送業者の手違いで当日朝の搬入になるはずだった。しかし、当日の朝になっても荷物は届かず、出勤した時点で配送業者に30分おきに報告を入れろと言っておいた。同時に、その商品が欲しくて並んでいるお客様向けに、状況を説明して、数量分の引換券を発行してお客様の連絡先を控えておいた。必ず手元に届くようにしますと約束した覚えがある。あの時は夢中で、お客様に不自由かけないようにという思いがあった。
結局、特売商品は配送業者の拠点営業所の一つで放置されていたことがわかり、それは小林さんが車で届けてくれて、今度は店長と二人、お客様に連絡して回った。数にして30個余りの人気のゲーム機本体。社用車に詰められた箱を見た時、どんなに安心したことか。
「あれ?」
つまり、私、あの時に目をつけられたわけ?
「貴女に一番最初に目を付けたのは青山さん。入社試験の時からよ。入社試験の結果を見て欲しいと言ったのが私。ところが、野田課長は店舗事務がいっぱいいっぱいだから駄目だと一蹴されたのよ。それよりも店舗事務を助けてくれってね。ところがその後で特売の対応を見て欲しい欲しいと駄々をこねたオッサンが現れて、ようやく野田課長は貴方の移動を認めたのよ」
小林さんは私に欲しい答えをくれた。
でも、ハードルが高い。ココの事務だけでもハードルが高いのに、ブレーンだなんて。
ひぇぇぇぇ、転属するの、早まったかも。
「後悔してももう遅い。二人の解答は本部長と課長二人に転送したから」
にやにやしてそういったのは小林さん。やっぱり悪魔だ、コノヒト。
「俺のチームだ。イエスというやつもいるし、ノーというやつもいる。個性も趣味も様々でプライベートも様々だ。唯一共通していることは、この会社をプロデュースすることに喜びを感じているかどうか、だ。まぁ、上に上がればそれだけ見えてくるものも背負う責任も違うが、小林の下で、やれるものがやれることをするだけだ。簡単だろう?」
追い打ちをかけたのは井上本部長だった。
悪魔の元締め、大魔王?
「俺、早まったかなぁ」
「そうなの?でもまぁ、登用されるかどうかなんてわからないから。落ちても二人とも一年もすれば登用できるでしょう。次回までの猶予ってことで」
今恐ろしいこと聞いちゃった。
来年もあるのか?これ。
発表の日、土曜日の11時に私たち三人は何故か本社のカフェテリアに集まっていた。まぁ、なんとなく、なんだけど、一番は11時半から課題に関する解説があるというのだ。それが目的だった。
それぞれの会社から支給されたノートパソコンやタブレットに結果通知が来るわけで、せーの、で全員で見た。
そして。本当に唖然としたんだけど。
ワタシ、合格していました。
ゴウカクです。
一大事です。
「嘘だろう…」
と、絶句したのは吉崎さん。
「俺はだめでした。やっぱり甘かったんだ、あのレポート」
とは北沢さん。原因がわかっているところが、凄い。
私の通知の一行目には、営業統括本部室登用試験に合格しました、と書かれて、続けて「営業統括本部戦略班に正式登用」する、と明文化されてあった。
吉崎課長は現在の所属と調整がつき次第、営業統括本部戦略班に登用します、と明記されていた。だから正式転属は11月くらいかもなぁ、とぼやいていた。
続けて、今回の課題の解説がこのあと11時30分から、統括本部で行うとしてあった。
約束の時間前に、本部に戻ってみると土曜日だから静かではあるが、黙々と作業をしている人もいる。
「あ、こっちに来てね」
小林さんは私たちを奥の応接室に通す。
「今回は、ちょっと意見が分かれた内容だった。まぁ、設問が意地悪だったからね」
小林さんはそう言ってざっと2回目のレポートの課題の解説を始めた。
「2回目のレポートで、2店舗を排すことを決定しなさい、と言ったんだけど。基本的に問題ないのはAとB店舗なの。したがって、C、D、Eについてどの店舗を選択するか、になるのよね」
何度もシュミレーションして、悩んだ結果、私が選択したのはCとDだった。模範解答では、CとDまたはDとEの選択が正しい。
「数字的に単純に切り落とすことに専念すると模範解答はDとE、吉崎君の解答で正解、3回目のレポートもそれだけ回復できる企画を立て着実に売り上げ回復できるテコ入れしちゃえば損失はカバーできる、わけなんだけど。寺岡と北沢君はCとDを選択して、実は3回目のレポートでじゃぁ戦略を立てるか、ということで二人の意見は分かれました。それが合否の判定材料です」
やはり、悪魔のような問題だったわけだ。
「短期回復か長期回復か、ですか。新規店舗の応援セールをどう使うか、ですよね。僕はそこを通常セール売り上げとみなして戦略を立てました」
北沢さんは、自分の分析を立てて、戦略を取ったという。
「その戦略は、私はチャンスロスと見た。若い世代が多い地域は移動して新店舗に向かうだろうけれど、Eの地域は比較的年配者層が多い。加えて、新規店舗からはかなりの距離がある。そして売り出しの内容が生活用品の割合が6割としてある」
北沢さんははぁ、と深呼吸した。それ、一番迷ったんだよなぁ、とごちた。
「自分の判断ミスです。不合格でも納得です」
「でも、欠員が出た時の真っ先候補が北沢君になるからね」
「え?」
「こういう言い方、好きじゃないんだけどはっきり言っておく。今回の登用試験は戦略班を独立させるためなの。今までは井上と私と、青山、パート社員の鈴木と江崎が分担して担ってきたんだけど、鈴木さんがご主人の転勤で10月には退職されるので、事務担当がいなくなる、というので寺岡を事務担当として配属させたのよ。でも、本部の事務は多岐にわたるけれど、全員が基本的にできるわけだし、常にしなきゃいけない事務はみんなのカバーで何とかなるんだけど、戦略関係の仕事はおいそれとは任せられないのよ、極秘情報も扱うわけだし」
確かになぁ、と思う。
「お前、仕事では真面目なんだなぁ。飲み会ではちっともそんな話しなかった」
「同期の飲み会といえども情報漏洩はご法度よ」
吉崎課長の茶化しに笑って答える小林さんはお嬢様だ。
「だから、北沢君を予約して良い?次、戦略がピンチの時には来てもらうから」
「光栄です」
「もちろん、ほかにやりたいことができたらそっちを優先してね」
「なんか実感ないよなぁ、俺、本当に転属できるんだ」
「転属してもらいますよ。仕事を覚えたら2か月か3カ月目安で班長就任してもらいますからね」
「え?俺が班長?」
「課長から降格主任役職で移ってくるの?お望みならそうするけど、あたしも井上もその案には反対。仮にも経理課課長だった男に降格人事までさせて登用するなんて井上の沽券が許さないわよ」
「お前、古臭いこと言うなぁ。俺はこだわっていないのに」
「でも仕事で譲れない部分は絶対に譲れない、でしょ?去年だかおととしだが、岩根と大喧嘩した時に、私は惚れ直したね。それを見ていた井上も藤堂もにやにやしていたから、あのころから二人に目をつけられていたんじゃないの?」
これには、吉崎課長が黙った。
「私は営業本部以外の人事権がないから何とも言えないけど、井上はいろいろ動いていたようだしね。貴方が思い切って動いたとき、ちゃんと対応できるようにと動いていたのは井上の方よ。私じゃないわ」
「正直、経理課はみんなから歓迎されてはいない。厳しいことも言うし、受け入れにくい部署だと思うが」
「だから?」
何をそんなことを言うのか。
そんな目で、吉崎さんを見ていた。
「客観的に数字で見ることができる人って、ウチの連中は当たり前だと思う。だから意見が違っても、時には激しいバトルやっても、お互いの仕事を尊重してるからできることじゃないの? 何を呆けたこと言ってるの?」
「会社をプロデュースする、か。お前の口癖だよな」
「いろいろなアプローチでプロデュースするの。こんな楽しい仕事はないわよ」
小林さんはそう言って笑っていた。
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