第4話 悪魔、本領発揮する

 私がここに配属されて、3週間目の火曜日。

 どうにかこうにか、月曜日に試験、そのあとレポート提出、土曜日に合格発表、のペースで二度目の合格をもらって三度目の試験を受けた。


 正直、毎回悪魔のような問題だ。しかも難易度は上がっている。


 試験は経営分析レポートを時間内に終わらせることに終始している。一度目は店全体の長期スパンで考慮した分析レポート、二度目の試験は特定の部門に絞ったデータで、短期データと長期データの両方の分析レポート、三度目の試験は過去データから掘り起こした反省点を洗い出して、売り上げを立てるためには何をすればよかったか、という経営分析レポートだった。


 はっきり言って解答時間が足りない。けれど、解説をガッツリ削っても要求されている要点だけはきちんと上げて、その根拠は明示して時間内に求められていることすべては提示した。


 レポート課題もえげつない内容だった。

 経営分析レポートを書かせるのはよいが、先週の課題は一週目に出された資料と、

追加資料として、別の複数の店舗についての資料が複数添えられていた。課題は、想定外の閉鎖候補店舗の洗い出し、である。10年経過後、15年経過後にどの店舗を閉鎖すればよいのか、根拠を示して特定せよ、という課題だった。

 絶叫ものの課題だ。

 一介の、元店舗事務員が取り扱うべきデータじゃないし、経験がないのに予測できるデータでもない。


 そして3回目のレポートは提示された資料から、閉鎖された二店舗を除いて、設定された売上目標に達するには、残った店舗それぞれで「どんな戦略を立てるべきなのか」自分で2店舗チョイスして、それぞれの戦略を提示しろ、といった困難課題が提示されていた。


 えげつない。


 もっと言えば、最初は16人いたメンバーは次の週には6人になっていた。

 3回目の試験に進めたのは3人。私と、経理課長の吉崎さんと、中原店から参加している北沢さんという中途入社の男性だった。


 そして、目の前で小林さんはうんうんうなりながら2回目の試験とレポートで不合格となった二人の解答添削に目を通してコメントを入れている。


「もしかして、受験した全員分を添削して返却したんですか?」

「試験問題や資料は渡せないけど、解答は返却してあるよ。模範解答は付けてあるけど、それだけがすべてじゃないわけだし」


 見れば、小林さんの筆跡だけではない。井上本部長の筆跡もあったし、岩根課長と藤堂課長の筆跡もあった。


 あの毎日の激務の中で回覧して一言コメントを入れるのがどんなに大変か。

「江崎さん、寺岡さんの事務引継ぎ、どこまで行った?」

「ほぼほぼ終了しています。早いですよ」

「おおお、早いね。長野君より数倍速い」

「え?」

「まぁ、新入社員と寺岡さんを比べても仕方ないけどね。土壌が違う。寺岡さん、今日は弁当?靴は運動靴?」

「いえ、今日は食堂で食べようと思っていて。靴はパンプスがはけないので運動靴ですけど」

「じゃぁ、初めての外回り行こうか。お昼は美味しいところに行こう」


 ニッコリ言われて背筋が寒くなる。何か考えている、この人。

「3回目のレポートに必要な補足説明するだけだよ。吉崎君とも北沢君とも合流するから」

 そういうことだったのか。


「持ち物は何が必要ですか?」

「財布と携帯と筆記用具とメモ帳? 私は野田さんの所によってから行くから、玄関で待ってて」

 見れば、出退勤ボードには、研修のため戻りは13時半、同行者の名前には私と、経理の吉崎課長、現地合流で北沢さんの名前もある。行先は安川、としか書かれていない。

 視線を戻すと小林さんはもう部屋にいなかった。


 安川?

 安川って、川だよね?


「心配しないで行ってらっしゃい」

 江崎さんはそういって手を振ってくれたけれど、何かあるんだろうな、と思う。

「行かなくてもとがめだてするヤツじゃないけど、あの問題を作ったのが小林である以上、行った方が問題を解くポイントになるぞ。あいつはそういうところ、無駄にやさしいからな」

 そういったのは藤堂さんだった。


「そういう解説しちゃうのも藤堂さんですよね。私の時は何にも言ってくれなかったのに」

 茶化すように笑ったのは長野さんだ。

「お前の陰謀暴くために口出し厳禁、でかん口令引いたのはあいつだぞ?

 え?陰謀って何?長野さん、あなたは何をやったんですか?


「で、藤堂さんは問題の内容を知っているわけでしょう?」

「当たり前だ。岩根課長と本部長も目を通している。まぁ、俺だったらもっとえげつない問題出してるがな」

「そうだな。小林はそういうところ、問題設定がやさしいからな。まぁその分、解答がきっちりしてなきゃバッサリ落とすわけだが。ほれ、寺岡、早く行け。ちゃんとトイレ行っておかないとあと困るぞ」

「本部長、それセクハラですよ」

「忠告だ」

 藤堂さんのとがめだてにふるふると首を振るとさっと支度をして一礼して部屋を出た。


 ちょっとした雑談でそれぞれの人柄が出てしまう。仕事には厳しいけれど、中身は優しい人たちなのだ、と思う。多分。




 緊張しながら玄関に立つと、吉崎課長が「よう」とあいさつしてくれた。

 同時にすっと横付けされたのはドレスアップされた「走り屋」の国産車である。上品にまとめてあるが、ホイールはバリバリドレッシーな走り屋さん仕様である。

「これ、もしかして、例のお母上の?」

 車から降りてきた小林さんに、しげしげと車を見ながら吉崎課長は驚嘆している。

「そうなのよ、私の車、返してくれなくて。サス固めにしてるのに文句言いながら乗るってどうよ」


 そう言いながら小林さんは、後ろのドアを開けた。

「二人とも後部座席にどうぞ」

「助手席に乗りたい、小林の運転だし」

「助手席には総一郎さんと兄貴しか乗せません」

 小林さんはそういって促した。


 渋々、吉崎さんが反対側に回って後部座席のドアを開けたので私は運転席側に座った。

 車の中は、思った以上に普通だった。特別な装備はない。けれど、ふんわり爽やかな柑橘系の匂いがする。

「北沢君は今日はお休みの日だから現地合流ね。レポートに関して必要なレクチャーだから、内容は三人そろってから。行先は安川操車場跡地。30分くらいのドライブね」

 そういってさっさと運転し始めたんだけど。


 小林さんて、何者?


 というくらい、運転が上手だった。

 吉崎さんはそんな私を見て始終笑っている。なんでも、入社以来一緒に仕事をしたことはないけれど、同期なのだという。

「仕事じゃない時はダラダラに扱ってくれるし、割合どうしようもない人なので緊張しなくて良い」

 とは、小林さんの吉崎さん評。

「女じゃなくて『漢』だ。未だに結婚したことが信じられない」

 とは、吉崎さんの小林さん評。


「え?結婚されているんですか?」

「知らないの? 愛しの総一郎さんは君の知っている藤堂課長と同一人物だよ?」

 その爆弾に、驚きしかない。

「え?え?え? 普通は夫婦で同じ部署はないですよね?」

「ウチは条件が付くけど、普通にあるよ。店舗でも何組か働いているし」

「それは知らなかった…。え?条件があるんですか?」

「職場の混乱を最小限にするために、配慮が必要ってくらいで。名前の呼び方とか、職場に私情を持ち込まないとか」

「うわぁ、わからなかった」

「それから北沢は途中入社で、食品会社からの転職だけど、俺の大学時代の後輩なのね、緊張することはない」

「そうなんですか」

「そうなんですよ。今日の研修はレポートに関する補足的説明だから。店舗開発に在籍しているのなら当たり前に知っておくべきことなんだけど、残念ながら二人はずっと事務畑にいたわけだし、北沢君は他社にいたから知らないだろうし、って内容なの。現場に何年か勤務すれば当たり前にレクチャーされる内容だから極秘事項でもないけど」


 気易い二人の同期に囲まれた後輩、というアングルで吉崎課長おすすめのラーメン屋でお昼を食べる。文句なく美味しい。そして繁盛店だった。ファミリー向けのメニューもあるから、吉崎課長も家族で良く来るらしい、と会話の中で気が付いた。


 お昼を食べた後は、車は山に向かった。車を止めたのは安川操車場近くの山の展望台だった。小さいけれど、操車場一帯が一望できる。そして北沢さんが先着していた。

「おはようございます、お疲れ様です」

「おはようございます、休みの日にありがとうね」

「ここって…」

「走り屋としてはチューンナップした後の足慣らしにちょうど良い山道なのよね、私のドライブコースの一つ。カーブが多いからデートには向かないわよ」


 最初はそんな軽口から始まったんだけれど。

 小林さんの紙袋から出てきた双眼鏡と、補足説明資料のレジュメは、私たちをゲンナリさせるほどのハードな内容だった。

 これ、普通5年以上店舗経験がある人間が現場知識の理論的補足のような形でレクチャーされると頷けるものだし、店舗開発に在籍するなら真っ先に覚えておかなきゃいけない知識だと思う。


 だから、無駄ではない知識だと思うけど。

 この知識があってレポート書くのと、知識がなくてレポート書くのでは全く違うけれど。


 知恵熱出る。


 そして、この人がこの若さで営業統括本部を任されるだけあるわ、と納得。

 密かに、店長たちの間で、あの人の研修は受けたくない、悪魔の研修だよ。

 そう囁かれているのがよくわかる。


 小林さんが見ているのは、トップリードだけ、業界だけ、の視線ではない。もっと大きな視線で自分の会社を見ている。

 この地域に今後何が起きるのか。人の推移、産業の推移。インフラがどうなるのか。この地形が何に影響するのか。そこに自分の会社を置くということは、どうなるのか。

 生き生きとレクチャーする彼女を見ていると、同じようにワクワクしている自分がいることに気が付いた。


 悪魔に魅了されたかな、ワタシ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る