第3話 悪魔、悪魔、悪魔

 午後、休憩から戻ってくると、パソコン越しに複数の人と話をしていたらしい小林さんは笑顔で通信を切ったところだった。

「よっしゃ」

 小さくガッツポーズをして手元のファイルに付せんをつける。

「まさかのプレゼンでしたね」

 江崎さんが苦笑しながらすっとドリンクホルダーを差し出す。一緒に添えてあるのはチョコレートだ。

「ありがとう」


「小林、店長会議に行ってくる」

 本部長がそう言ってタブレット片手に手を挙げた。

「しっかり予算ぶんどってください。玄海陶器さん乗り気ですよ」

「岩根に言え。あいつのプレゼン次第だな」

「私、責任重大ですか?」

 いえいえ、数字を「ぶんどる」のは本部長ですよ、とさらりと言う小林さんは笑顔のままだ。


「お前、だんだん怖くなるのよな。俺はドッキリするわ」

「どんなペースでも良いから走り続けろといったのはどこの誰でしたっけ?」

「俺だ。そうか、自業自得だな」

 本部長はそうごちて、岩根課長と一緒に部屋を出て行った。


「さてと、寺岡さんは筆記用具とノートパソコンもって、人事部に行くからね」

「あの、研修ですか?」

「そう、基礎知識叩き込む研修ね。これから毎週月曜日の午後はこの研修が入ることになる。タイムスケジュールも知らせるから」

 小林さんは机の上を片付けると、チョコとコーヒーを流し込みながらタブレット端末を操作しながら何か準備を始めた。

 私も言われたようにノートパソコンの準備をして筆記用具と研修用のノートを準備して二人で移動した。


 ずっと店舗勤務だったから、本社の中はまだ不案内だ。だったけれど、同じフロアの一番端の、奥にあるちょっと広い研修室に通された。

 そこにはすでに15人の男女がいて、その中にはさっき会った吉崎課長もいた。

「空いているところに座って」

 小林さんはそういうと、一番前に立った。

 空いている席は一番後ろ、吉崎課長の隣の席で、バインダーファイルとUSBが添えられてあった。


 小林さんは前の壇上に立つと、一礼した。

「こんにちは。今日はお集りくださりありがとうございます」

 すっと顔を上げて一同を見渡した。

「どうしてこんなところに来たんだろうって人もいると思うので、簡単に説明しますね。ただし、これは極秘事項ですので誰にもしゃべらないでください。シークレットの試験研修です。所属課長や部長には、営業統括本部に登用するための試験だと言ってあります。試験に変わりありません。でも試験内容はシークレットに願います。今週、来週、再来週と計3回、月曜の午後から2時間から4時間くらいの試験を行います。今日は2時間の試験です。そのあと、課題を出しますので金曜日の夕方17時までにレポート提出してください。月曜日に試験を受けて、金曜日にレポートを提出する、これがワンサイクルです。試験結果は翌日土曜日の夕方17時に発表します。合格した人は月曜日の試験に続けて受験してください。不合格の人は不合格通知を出しますけど、試験解答と提出されたレポート内容は週明け月曜にか火曜日に本人にお返しします。ここまで良いですか?」


 しんと静まり返っている。

「合計3回の試験と3回のレポートで判断して、本部に登用するのは2名の予定ですが、そこまでの実力がないと判断すると一人も登用しません。基準点クリアが最大の目標になります。それから、ここには新卒社員も中途入社の社員もいます。肩書を持っている人間もいます。ですが、そこにハンデはありません。手元のファイルにこれからのスケジュールと試験内容を簡単に書いてあります。確認してください」


 何気なくファイルに目を落として固まった。いや、固まっているのは隣の吉崎課長もだ。

「確認、か」

 吉崎課長はふっと笑う。それもそのはず。試験は「経営分析」レポートは「店舗運営に関する経営分析レポート」としか書かれていない。一回目とかのナンバリングとタイムスケジュール的に30分のレクチャータイムと2時間試験が第一回目、二回目は容赦なく4時間の試験、三回目は3時間の試験が課せられている。

 その都度、ノートパソコンと配布USBを持参すること、とされている。


「まぁ、何のことだかわからないからまずは今日は一発目にどんな試験なのかやってみましょう。配布したUSBに今日の試験問題のファイルと、レポート課題のファイルが保存されています。提出方法はそこに指定されたメールアドレスに添付ファイルとして送付してください。紙で提出しても構いませんけど、時間厳守でお願いします。ネットで検索するのは自由ですが、盗用は不可。それから、早く提出出来たら退席して結構です。トイレや飲食も自由。ただし、試験中に参加者と相談するのは禁止。レポートに関しては試験参加者との共同提出を認めますが、その際は共同提出者の名前を必ず書くこと。注意事項は以上です」


 課題を見て、固まった。

 今日の試験内容として出されているのはある店舗の部門別売り上げ状況から現状の売り上げ分析をし、今後5年間、10年間、15年間、20年間ごとに課せられた売り上げを立てるためには何をすればよいのかをレポートしろ、といった課題が出ている。

 手元にあるのは過去5年間分の部門別売上データの他、分析に必要な店舗の固定費や変動費などのデータもある。

 楽なのは、固定費や変動費は一定であり、物価の上昇を考慮しなくてもよいということ、だけである。

 つまり、損益分岐点がかかわってくる問題だということはわかる。


 一方のレポート内容はほぼ同じ内容だが、数値は全く違う店舗の部門別売上データを使っている。こちらの方がほかの資料もあるので複雑かもしれない。

「終わらなかったら、できたところまで、で提出ね。質問ありますか?」

「あの」

 手を挙げたのは男性社員だった。

「上司から営業統括本部に、という推薦を受けて私はここに来ました。試験で登用するのはびっくりしたんですけど、実際に登用されたら、どんな仕事をするんですか?私は入社以来総務で働いていて取引先との営業とか店舗に出ての接客はあまりしたことがないんですが」

「あ、そういう仕事はあるけれど、基本やってもらわない。ざっくりというとね、営業統括の頭脳になってほしいの。店をこういう風に作る、商品はこれを置く、というのが営業統括の仕事だと思うんだけど、売り上げが立たない場所に店を出店してもだめだし、コストがかかってもだめでしょう?だったら、どういう場所に立地をとるのか。10年後も20年後も店を存続させられるような立地はどこ?会社に利益を出せるだけの店は?経営方針は?そういう分析仕事をやって、営業方針を立てる人材を登用したいわけ。つまり、うちの会社の頭脳ね」


 吉崎課長がはっと顔を上げた。

「今、その部門を担当している社員が二人、私ともう一人います。メインがこの二人。ほかに関わっているのが数人いるんだけど、この柱を強くしないと会社の存続は危ぶまれることは確かなわけだ。そして、まぁ正直に言うと、新しい人材を入れないと新旧交代がうまくいかなくなるという事情がありましてね」


 確かに、その通りだった。

「では、よろしいかしら?」

 質問者は納得したようだった。

「では、始めてください」


 全員一斉に課題に取り掛かった。

 分量的に、2時間はかなりきつい内容ともいえる。どこまでピンポイントで分析するかがカギになる、と頭を動かした。



 夢中で課題をやっていたのでわからなかったが、今回の試験で途中退場したのは吉崎課長ともう二人くらいだった、と記憶している。

 小林さんは説明だけすると、あとは部屋を出て行った。良いのか、それで?

 そう思いつつ、休憩する暇もなく悪魔のようなというか、悪夢のようなレポートを書き上げて時間ギリギリに提出すると席を立った。


 宿題レポートをするのは気が重い。


 部屋に帰ると、小林さんは店長会議を終えた店長と藤堂課長とバイヤーの何とかさんと、仕入れ商品についてあれこれ話をしていた。

「帰りました」

「お疲れ様」

 机の上には店舗に振り分ける社内メールのファイルがある。鈴木さんがそのファイルをせっせと作っていた。

「これ…」

「今そこで話をしている店長さんに持って帰ってもらえばよいから。これが最後ね」

 話が終わったらしい、小林さんは各店店長に社内メールを持ち帰るように指示を出す。

 私は、というと、各店店長にあいさつしながらそれらを配った。お昼休みにも会ったし、一応、面識のある店長もいるからその点は早いが。


「寺岡さん」

「はい」

「残りの社内メールをボックスに振り分けたら今日はもう良いわよ。時間まで課題のレポートやってて良いから」

「いや、でもそれは…」

「残り時間じゃぁ次のレクチャーできないからそうするだけよ、気にしない」

「ありがとうございます」


 悪魔のような試験に悪魔のようなレポートだったんだけど、でも、実際の小林さんって、もしかして普通の人、なのかな?


 そう思ってPCを開いた私だった。


 でも、固まった。宿題レポートって、悪魔のように、ムズイ。

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