第2話 悪魔が住む部署


 営業統括本部

 またの名を、「悪魔が住む部署」とか、「カオス」とか、「魑魅魍魎が住む場所」とか、つまり、普通じゃない人たちが揃っているという意味で恐れられている。けれど、店舗側の人間からすると、「絶対に何とかしてくれる人たちが揃っている部署」とか「困ったときの本部頼み」とも呼ばれて、絶対的な信頼を置かれている。

 即断即決の場合もあるし即断じゃない時もあるけれど、現場の声を拾ってくれるという意味では信頼できる人たちが集まっている部署だ。


 まぁ、ひとくくりにしてはいるけれど、店舗のハコモノを作るところから、チラシ一枚までの運営にかかわる部署なんだから一筋縄ではいかないのは確かだ。


 しかも、私が呼ばれたのは通常の転属時期とは違って8月の終わり。9月1日付の転属は割合珍しい。秋の転属は10月1日だから。



「いっす」

 営業統括本部の部屋に入ってすぐ、その男性は私を見るなりそう言った。店舗で見かける姿とは違って、コップを片手にちょっとオッサンぽい。というか、挨拶してくれようとしたんだけど、しゃっくりが出ちゃったという状態。


「すまん、しゃっくりが止まらなくて」

 いつもはきりっとしている井上本部長が「おっさん」になっている姿を見てびっくりする。


「ナイスタイミングです」

 笑いながらそう突っ込んだのは小林室長。お嬢さん、ぽい人だけれど、実は「漢」と評されている人でもある。

「ようやく来てくれた、ありがとう、どうぞ入って」

 小林さんは当たり前のように私を奥に案内してくれた。


 机は三つの大きな塊があって、小さな塊が一つ。その机の塊二つでそれぞれわさわさミーティングしている最中だった。

 三つ目の塊は机の上にパソコンモニターが並んでいるけれど、誰も座っていない。モニターがないデスクには見慣れない男性が座っていて、缶コーヒーを飲んでいた。


「ようやく、って?」

「本社に欲しい、返せって何度も打診してたのに、店長がそれを拒んだから今回は爆撃落として君を引き抜いたんだよ」

 そう解説したのは缶コーヒーの男性だった。


 彼は優雅に缶コーヒーを飲んでいる。その隣の小さな塊になっているデスクは、本部長の席らしい。井上本部長がヒクヒクしながらしゃっくりを我慢している。並行しているデスクが二つあって、可愛らしい小物が置かれたデスクと、どんと資料が置かれた空き机があるのだが、そっちが小林さんの席らしい。


「県外事業部営業部長の九条さん。今日は北河常務に呼ばれて古巣のウチに寄ってくれたの。お茶してるだけだけど、実際は偵察スパイと一緒よね」

「お前は育てた恩を忘れやがって」

「トサカ頭ですからね」

 ぴしりと言い返す姿は、あの柔らかな印象とは程遠い。

 店舗に視察に来るときは、いつもやわらかく笑っている。にこやかにてきぱき動く小林さんが、ハードモードになっている。


「で、どんな爆撃落としたんだ?」

「戦力になりそうな新人3人を配属して、副店長をもう一人追加しておいた。店の規模と売り上げからしてまだ足りないと思うから、パート3人までなら追加OKとしたけど」

「つまり、どこか削ったわけだ」

「不採算店舗は閉めるわよ。県外事業部でも同じですけど」

「ワオ、怖いなぁ」


 軽口のごとく言い合っている。

「ちょっとごめん、全員注目」

 事業部の全員がこちらに注目してくる。


「今日から配属された寺岡道子さん、ウチの事務業務をやってもらいます。ただし、彼女の左足は事故の後遺症が残っています。重量級のものを持ったり、飛んだり跳ねたりはアウトです。走るのもアウトです。だから社外のお使いは要注意、過剰な負荷は絶対にダメ。あとは皆さんと同じです。江崎さんと鈴木さんについて仕事を覚えてもらうので、最初は接点ないかもしれないですけど皆さん、よろしくね」

「はい」

「寺岡です、よろしくお願いします」

 続けて頭を下げた。一瞬で終わった自己紹介だった。

 ミーティングの最中だからということもあって、皆さんはよろしく、と小さな声で言ってくれたり、顔見知りの人は手を振ってくれたり。リアクションを返してくれたあとでまたミーティングに戻っていく。半数以上は知らない顔の方が多いかな。


「メンバーの名前も何をやっているかも、順番に覚えていけばよいから。一番に覚えなきゃいけないのは岩下課長が店舗開発関係。つまり、ハコを作る方ね。不動産から契約から、設計事務所とか、デザイン事務所とかの連絡は殆ど彼の課が関係しているかな。それから藤堂課長の方は入れる方の商品関係。販売戦略も藤堂課長対応だから印刷所とかデザイン会社とか、卸問屋さんとかの連絡は彼の課が関係している。慣れるまでは戸惑うだろうけど、わからなかったら聞くのが一番。外部からの電話取りは誰もいない時は仕方ないけど、まぁ、ほとんどかかってこないから心配ない。これが直通電話ね」

 そう言って指差したのは、小林室長の隣の席にある電話。

 資料が山積みになっている机が、私の机だという。


「これ…」

「事務マニュアルは殆ど店舗と一緒だから補足的に必要かな、それから分厚くて後免なんだけど、店舗開発関係と商品開発関係とに分けてあるけど、課員の構成と担当部署のあれこれ、今現在取引している会社のリストと担当者の名前、先週までの作業進捗状況、つまり、今何をやっているかの話ね、それと、これから何をするのかと言った、そういった資料が入っている」

 一番分厚いのは事務マニュアルだが、薄い方のファイル二冊が現在進行形のプロジェクト関係含めての資料らしい。


「当分はココのデスクで仕事をしてくれる?研修が終わってから、あっちに移ってもらうから」

 指さされたのは基本、誰も座っていない塊の方だった。

「あそこの席ですか?」

「そう。パートの江崎さんと鈴木さん二人があそこに座って、私の仕事のサポートをしてくれているの。それから、在宅勤務の青山さんもそこの席。ノートパソコンがある席があなたの席だよ。システムがすぐに使えるようにセッティングしているはずだから、今日はパソコン起こして設定の確認してくれる?メールと社内アカウントの使い方は大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

「とりあえず、パソコンの確認したらファイルの資料に目を通してくれるかな?ざっとで良いから。それが終わったら仕事内容の説明と、最低限のレクチャーするから」


「小林さん、ちょっと良いですか?」

 書類を片手にやってきたのはきちんとスーツ姿の男性と、ふわっとしたOLさんといったような女性だった。彼女は長野さん。時々顔を見せる商品開発部門の人だ。スーツ姿の男性は藤堂課長、キレモノ悪魔の一人、と評されている人だ。

「はい、何でしょうか」

「長野君が面白い企画を出してきたんで、目を通していただきたい」

 目の前で藤堂課長がひらひらと書類を見せると、小林さんは苦笑しながら受け取った。


「長野君」

「はい」

「手隙の時に寺岡さんにロッカールームの使い方教えてあげてくれる?お昼、連れ出して良いから食堂の使い方とかも」

「ご一緒されないんですか?」

「お昼は会議があるのよ。リモート会議だから。悪いんだけど、各店の店長に会わせてほしいんだけど」

「そうだな、ロッカールームはともかく、食堂は俺も一緒に行こうか。店長たちに売り込んでおくよ」

「よろしくね、藤堂課長」

 長野さんが首を傾げた。


「店長とのコミュニケーションよりも優先する人、ですか?どちらの方か聞いて良いですか?」

「キャラメルボックスの吉住副社長とサンライズの黒田営業部長とテレワーク会議が入っているの。時間が合えばもう一社も参加する」

 長野さんの目がシャキン、と見開いた。

「もしかして、展示即売会の話ですか?」

「本当は玄海陶器さんも、って言っていたんだけど、スケジュールが合わなくて今回は会えないかもしれない。時間が合えば玄海陶器さんが参加するよ」

「豪華メンバー」

「如月先輩のご縁だよ、感謝感謝」


 そういいつつも、書類から目を離さない。

 一枚一枚読んでいるが、それを私の手の中に置いてゆく。つまり、読めということなのか。目を通してゆくと、それは漠然とした企画書というよりかは提案書のようなものだ。レジャー用品を売り込む広告企画、というようなもの。

 今流行のBBQとか、アウトドア関係のグッズをどう売るのかという提案だった。来年2月の企画というところがすごい。


「うーん、これ、面白いけど長野君の単独企画じゃぁ面白くないわよ? ほかのバイヤー巻き込んで共同企画にしちゃえば?季節的に2月はまだアウトドア商品の動きは鈍いでしょうし」

「え?」

「つまり、レジャー用品ってくくらないで目的特化の間口広げてやるのはどうかな?」

 戸惑っている長野さんと、頷く藤堂課長さん。

「やはり室長もそう思いますか」

「今の流行に乗っかってこういう提案するのも良いかもね。ってことで、長野君の指導をお願いします、藤堂課長」

「承知しました」

「次は企画書としてプレゼンできるだけのものにして、PDFで起こしてきなよ、長野。本部長裁可が取れたら店長会議にかけるから。来週末か週の半ばに再提出ね」

 その言葉に、長野さんは花が咲いたような笑顔を見せた。

「はいっ」


 午前中は資料に目を通し、10時から出勤してきたパートの江崎さんと鈴木さんを紹介されて社内メールのあれこれを教わってお昼になった。

 藤堂課長と長野さんに連れられて社員食堂に行くと店長さんたちと顔を合わせた。それから、経理の吉崎課長という人も紹介された。眼光鋭い怖い人、っていう感じ。でも藤堂課長と笑いあっている姿はそんなに怖くはない。

「あ、吉崎課長って人見知りなのよ。だから店舗応援には絶対に行かないくらい」

「はい?」

「もちろん、バックヤード配属の店舗応援には行くわよ。でも接客業務はしないの」

「そんなことできるんですか?」

「そんな戦力無駄遣いすることはしない、というのが井上本部長の信条よ。のほほんとしたおっさんなんだけど、だめだと思ったら切り捨てるのも早い」

「そうなんだ」

「だから本部長をやっているわけだし、頑張ってね」

 と、長野さんに励まされた。


ん?


 そして、本当に悪魔が住む部署だと知ったのは午後のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る