いらっしゃいませ、が言えなくて

藤原 忍

第1話 どうして私が?


 子供のころから大して頭はよくなかったし、容姿もごく普通。ごく普通の女の子だった、といえる。

 だから高校をそれなりの成績で卒業して、あこがれだったホテルのコンシェルジュになりたい。その一念で、専門学校への進学を決めた。ホテルサービスの仕事に興味があったから、というのは単純な理由だけれども。


 当然のように地元の専門学校を受験することを選んだけれど、競争率は大学以上だった。

 地方の中堅高校なんて大学進学が30パーセント、短大や専門学校への進学が50パーセント、残り20パーセントは普通に就職する。


 担任は十分大学が狙える、大学進学後の方が夢に近づけるとは言ってくれたけれど私は、ビジネススクールのほうに行きたかった。だって地元から通学できるから。

 両親も専門学校進学は了承してくれた。自分の人生なんだから、と背中を押してくれた。

 だから、問題なく志望校は決まったし、第一希望の専門学校への学校推薦も得られた。秋に行われた難関の推薦枠に合格した。


 合格した、んだけど。

 笑っちゃうほど、あっさり、両親が亡くなった。


 11月半ば、合格発表の数日後、手続したよ、と母が知らせてくれた日。

 いつもは自家用車で通勤する父は、車検中だから母と一緒に出勤していった。

 夕方帰ってきた母と一緒に夕飯を作って、皆で食べようね、と言っていたのだけれど父は残業になったとかで夕食は母と二人で食べた。

 9時過ぎ、駅に迎えに行くという母と一緒に車に乗って、ちゃっかり駅のコンビニでお気に入りのラテを買って父と一緒に車に乗った。

 先頭のタクシーに続いて、ロータリーから通りに出た瞬間、何か黒い物体が車にぶつかってきたのは覚えていた。


 でも、そこから先の記憶がない。


 時々意識を取り戻したのは覚えている。真っ白の天井が見えて、痛くて苦しくて涙が出た。すぐにお医者さんが来てくれて、何か処置してくれて。

 時々、叔父さんか叔母さんが心配そうに付き添ってくれているのもわかっていた。二人とも仕事があるのに、と思う。

 私と目が合うなり、良かったよと泣き、ガンバレガンバレとエールを送ってくれた。


 そんなことが何回か続くうち、体についていたチューブや点滴が外されてゆく。

 それで今いる場所はICUと呼ばれる重傷者が入る病室だとやっと理解できた頃、両親の死を知った。


 一般病室に移ることができたのはクリスマスのころだった。

 ベッドから起き上がって、個室のトイレに行くだけで息切れする。

 そんな状態だった。


 そこからが、大変だった。

 日常生活を送れるように、とリハビリが始まった。

 父のたった一人の身内である叔父夫婦は、実は毎日来てくれていたんだよ、と看護師から聞いたのは一般病室に移ってすぐの事だった。

 ずいぶん心配をかけたし、二人の仕事上、ずっと付き添うことはできないのもわかっていた。二人が来られない時には高校一年生の従兄弟と中学一年生の従姉妹がやってきて、他愛ない話をして洗濯物のやり取りをしてくれた。


 私にできることは、頑張って体を治すことしかできない。

 正月明け、ようやく一人でベットから部屋に備え付けのトイレに行けるようになり、リハビリを始めた頃、結構ショックなことを言われた。つまり、私の左足の機能が、普通の人と同じようにはならない、ということだった。足首の関節可動域の問題とかなんとか、つまり、歩けるけれど、走ったり跳んだりはできないということだ。


 リハビリだけ病院に通うことになるのなら、と、叔父夫婦は私を退院させ、自分の家に引き取ってくれた。

 生活に慣れるまでは、そして成人するまでは一緒に暮らすこと。高校はきちんと卒業すること。

 叔父から出された宿題は簡単そうに見えて、実はそうではなかった。


 叔父の家から高校までは徒歩5分ほどである。目の前に校舎が見えているのに、体力が回復していない私には片道30分の道のりだった。

 同じ学校に通う従兄弟はひょいっと私の荷物を持つと、宅配便よろしく先に学校に荷物を届けてくれる。部活動があるから出かける時間は違うけれど、荷物を持たなくても学校に行けるというのは私にとってはかなり楽なことだった。

 この叔父一家のスパルタのおかげで回復は早かったらしい。

 リハビリの先生は回復具合に驚いていた。



 事務手続きや、両親と事故にまつわるあれこれの手続きは叔父夫婦と一緒にやった。辛いことばかりだったけれど、仕方ないことだった。

 幸か不幸か、事故の記憶は一切ない。

 信号無視して突っ込んできたダンプカーは、前を走っていたタクシーを弾き飛ばし、車に突っ込んできていた。両親は即死。私が助かったのも奇跡に近い、と現場検証に立ち会った警察官が言ったらしい。


 だから、いきなり普通に生活できなくてもびっくりすることじゃないんだよ、と叔父夫婦は常に言っていた。


 専門学校に入学金振り込みの手続きをしたまま、その後の定期的なオリエンテーションにも入学前の講習会にも行けなかったというのに、入学する意志があるならこのまま待ち続ける、と言ってくれた。

 高校から連絡が行ったらしく、入学の意志があるのなら入学する権利を2年間保持したままにします。リハビリの経過によってはそれ以上延長しても構わない、身体の負担を考えて別の学科に転科しても構わない。入学する意志があるなら、医師の診断書を添えて誓約書を学校に提出してくれ、と高校まで会いに来てくれた。


 私が行きたかった学科は観光学科。ホテルのコンシェルジェになりたかった。けれど、私の足は激務には耐えられないだろう、との医者からの返答。

 日常生活に不自由している状況で、コンシェルジェの仕事は、というよりもホテルの仕事自体が無理だと判断していたから、叔父とも担任とも相談して転科する方向で考えてはいるけれど、とにかく体を治すことが先決で。


 だから、入学延期を申し立てる書類を送ってリハビリに専念することにした。


 何とか高校は卒業できたけれど、身体は思うように動かない。まぁ、あちこち骨折していたりしていたから仕方ない。

 週に三回、リハビリのために病院に通い、頭が鈍らないようにと独学でいくつかの資格の勉強を始めた。一年遅れて専門学校に入学した時、叔父一家はもろ手を挙げて喜んでくれた。


 専門学校は就職のことを考えれば資格があった方が有利かもしれない、と前から興味があったビジネス学科の経営経理コースに転科した。

 幾つか資格の勉強をしたことが役に立って、在学中に取得できた資格もあり、学校推薦で思いがけず地元では大きな会社に就職できた。

 エリア限定枠採用、つまり、限定されたエリア内での転勤はある、という滅多に採用されない枠で採用されてしまったのだ。

 しかも、トップリードという、県下随一のホームセンターの会社に、である。


「どうして私が店舗勤務なんですか?」

 目の前で採用決定という内定の返事をもらった。ただし、最初は家に近い店舗勤務になるだろうと言い添えられて。だから思わずそう尋ねてしまっていた。


 人事課長の野田さんは、おや? と顔を上げた。

「ごめんなさい、私は足に障害があるので店に立つことはできません。もちろん、やれと言われればやりますけど、そう言った意味ではあんまり…」

「僕もそう言ったことは期待していないよ。君を接客業務担当にするつもりはないから安心してよ」

 野田課長がカラカラ笑いながらそう言った。


「君の体のことは配慮します。例えば、災害とか起きてどうしても店が回らなくてちょっと手伝う、程度なら接客業務があるかもしれない。でも基本、君は事務職採用だから店舗勤務になっても事務職だよ。そうか、本社業務は理解できても店舗業務はピンとこないか。そうだよな、うん」

 すっとぼけた返事をしてしまった私に、野田課長が笑いながら説明をしてくれた。


「店舗勤務の仕事はいろいろあってね、接客がスタンダードだけれど、店舗の奥には事務所があって、結構な事務作業があるんだよ。今まで、例えば社員やパート社員に割り振っていた仕事でも、店舗の規模やパート社員のあれこれを考えると専門の事務職員がいた方が良い場合もあるんだ。店の規模にもよるけれどね。君は経理の資格を持っているし、ガッツがあるから大丈夫だと思うんだけど」


「そんなに大変なんですか?」

「事務担当からは思った以上に、意外に業務が多いという感想はもらっているよ。もちろん、君一人で頑張ることじゃないし、ちゃんとできるようにレクチャーするから心配はいらないけれどね。安心して来てください」



 そう口説かれて入社して、本当に楽しく、接客業務は一切経験しないで店舗勤務満2年経過後。

 何を思ったのか、今度は本社勤務になった。

 しかも、魑魅魍魎渦巻くと言われる営業統括本部に、である。

 可愛らしく言って、悪魔の住処と言われる営業統括本部に、である。

 やめてくれ。私、何にもしていないのに。

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