終話 久遠の空

「はい、それでは今日の授業はここまでです。それでは皆さん、さようなら」


「さようなら、先生」


「はい、さようなら結女ゆいめ様」


 帰り支度を済ませ、先生に挨拶をしてわたしは教室を出た。

 下駄箱へ向かう途中、帯包おびかね家の繭里まゆりちゃんが廊下で待ち構えていた。


「……櫃木ひつぎの。少し、変わりましたか、貴女は」


「なにが?」


 質問の意味が分からなくて、聞き返す。

 前髪が長くて繭里がどんな表情をしているのかは見えない。


「……。いえ、別に。それでは」


「うん、また明日」


 そう返事をすると、わたしは学校を後にした。



 悪鬼の襲撃があってから、二日が過ぎた。



 あの後、悪鬼は全て討滅されたと御館様おやかたさまから村全体へと通達が出され、今は守人もりびと達がせわしなく村の要塞化を進めている。

 吾郷あずまも学校を休んで守人として作業に従事していると聞いた。

 悪鬼を倒した次は本家の者を相手にするらしい。


 道行く村人達に挨拶をしながら一人家路を辿る。

 数日前までは隣に人がいたけれど、今は一人だ。


 家への帰り道の途中、診療所の窓から鋳楔いくさび家の恋路れんじさんが手を振っていた。

 それに手を振り返す。重傷で動くこともままならないと言っていたけれど、元気な様子だった。

 今度お見舞いに行く予定だ。


 やがて見えてきた神社とそれに続く石階段では、守人達が大工道具と材木を運搬していた。

 御神木は焼け落ち、本殿は半壊、家もお風呂が壊れたまま。

 守人達が直してくれているけれど、直るのはまだ時間がかかるそうだ。


 階段の途中でけわしい顔をした御館様と、逆に満面の笑みを浮かべた蛇乃目じゃのめ家の影子えいこさんがいた。

 御館様の傍らには、いつも一緒に居るいつも黒い女の人が、いつものように硝子玉を眺めていた。

 会釈すると御館様も影子さんも視線をこちらも向けただけで、挨拶はせず話を続けた。


化生けしょうめ。お前の今回の一連の行動、目的はお前の理想とする人鬼ジンキの創造と、あの太刀を引き抜く事だったか」


「まぁまぁ、言いっこなしやろ。うちがどういうもんか知らんかった訳やないし。それに計画通り進んであんたが人鬼になってたら、太刀も抜けへんかったやろうし、今回の事態収拾出来へんかったかもしれんしなぁ。あんたも自分でそう思うとるやろ」


「黙れ。……当初計画していた人鬼とは違うが、想定していた性能を発揮する分には文句はない。何にしても、本家との戦いには人鬼が不可欠だ。あれがある限り本家は俺達を無視できず、迂闊うかつな真似も出来まい。老害共も大巫女も、黙ってはいないだろうがな」


「うんうん、楽しみやなぁ。これで御八家もようやく不純物取り除いて自浄できるいうもんやで」


「……ふん」


 御館様と影子様の会話の内容はよく分からなかった。


 石階段を登りきり、荒れ果てた境内けいだいを見渡す。

 幾人いくにんもの守人がいるけれど、その中にいつも見ていたあの顔はない。

 お帰りと出迎えてくれる声も聞こえない。


「…………?」


 何故かほんの少し、胸が痛んだ気がした。

 手で押さえると、その痛みは不可思議な感覚だけを残して霧散してしまった。

 なんだったのだろう。よく分からない。


 家に戻ってみると守人がもう夕食の準備をしてくれていた。

 あの騒動の後から、御館様の命令で櫃木家にも守人が与えられる事になった。

 いつもわたしがしていた炊事や洗濯を今は彼等が行ってくれている。

 これが正しい姿なのだと吾郷や御館様達に何度も説明を受けたけれど、まだ習慣が抜けそうにない。


 手早く調理を済ませるとそれをお盆に載せ、神社の本殿ほんでんへと向かう。

 お盆に載せたのはおむすび、いやおにぎりだっただろうか。

 そういえばどちらが正しいのか、聞いていなかった。

 本殿へ近づいていくと、話し声が聞こえてきた。


「だから、あの泥繰でくという鬼、あいつのお前への忠誠心は本物だったんだと思う。そうでなきゃ天敵だった封印の巫女よりお前の奪還を優先したりしなかった筈だ。どうでもいいと思っているなら連れ去りもしなかっただろうし、連れ去ったとしても襲撃の時に他の鬼と一緒に捨て駒にされていただろうさ」


「うぅむ、拙者に忠誠なぁ。今の拙者を見て随分落胆しておったし、槍を持って追い回されたりもしたので御座るが、あやつなりの忠誠の現れだったという事なので御座るか」


 本殿の階段に座り込み話している二人へと、わたしは声をかけた。


「おまちどうさま、クオン、ガラン」


 わたしが声を掛けると、本殿の階段に腰掛けていた包帯まみれの二つの顔が振り返った。


「おお、ソラ殿のおむすび待っておったので御座るよ。して、今日の具材は何で御座ろう」


「おいガラン、何度も言っているがこれはおにぎりだ」


 二人は無事だった。

 穴が閉じる瞬間、御館様の《昇華》で発動範囲を強化された《切替》で間一髪のところで脱出し、わたしの後ろで気絶していた。

 元の二人に分離した状態で。

 《接続》で融合した筈なのに、どうして分離してしまったのかは分からないままだけれど。


「いやいやこれはおむすびで御座るよ」


「重ねて言うがこれはおにぎりだ」


「ぐぬぬ」


「ぬぐぐ」


 額を突き合わせて唸り合う二人。

 その隣に座り、わたしもおにぎり、おむすびを頬張った。

 不意にクオンがわたしに話しかけてきた。


「……ソラ、俺なりに考えたんだ。純士じゅんしさんの事」


「お父さんの事?」


 お前は何処にも行けないんだよ。

 あの時の言葉が脳裏に浮かび、少し頭が痛んだ。


「純士さんはソラの事を復讐の道具に使ったけど、きっとそうとしか見ていなかった訳じゃないと思うんだ。もしそう思っていたなら、俺にソラを守ってくれだの大切にしてくれだの言ったりしない筈だ。それに、それを俺に言ってきた時の純士は、嘘を言っている風ではなかった。あれは間違いなく、本心からの言葉だったよ」


「……そうなんだ」


 どういう返事をすればいいのか分からなかった。

 自分がどう感じているのか、そもそも何かを感じているのかも分からないけれど、うまく言葉にならなかった。


 あの時あれほど胸の中で荒れ狂っていたわたしの心は、空の穴が閉じて以降、また何処かへ行ってしまった。

 感じていた想いも、感情も、嘘だったみたいに消えてしまった。

 思い出せなくなったわけじゃない。だけど、今はもうここにはない。


 でも。

 でも、目を閉じて、胸に手を当てると感じる。

 クオンの想い、クオンとの繋がりを。

 彼の想いが伝わってくる。


 クオンがわたしの手に触れた。その手は最初少し震えていたけれど、その震えを抑え込むようにわたしの手を強く握った。

 目を開いてクオンを見ると、クオンは笑みを浮かべていた。


「大丈夫だ。俺達は傍にいる。これからもずっと、必ずだ」


「うむ、ゆえに安心されよソラ殿」


「……うん」


 クオンとガラン、二人の言葉に頷く。

 頭上を見上げる。

 そこには雲一つない、何処までも続く青く澄んだ空が広がっていた。


「ねぇ、クオン」


 わたしはクオンと約束をした。

 この空の続く先、この村の外、遠い遠い世界へと、いつか連れていってくれると。


「わたしね、今」


 それが今は、とても楽しみなのだ。




 第一篇 悪鬼討滅篇 完

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