第肆拾捌話 征くぞガラン

 一瞬。一瞬だが、ガランの体から炎が揺らめいた。


「ガラン……!」


「―――――」


 返事はない。だがガランは俺の腕に噛み付くのをやめると、視線をある場所へと向けた。


咒童じゅどう様、あの穴を通り我等が同胞どうほうがじきに降りてくるでしょう。その前に、我等の侵攻を阻んだ奴等の首級、我等のものとしましょうぞ。……咒童様?」


 動かない。泥繰でくが近寄り呼びかけても、ガランはある一点を見つめたまま立ち尽くしていた。

 涙を流す、ソラの姿を。


「――て、いる」


「咒童様? 如何なさりましたか」


 ガランの様子に気付いたのだろう。本殿を降り泥繰がガランの肩を叩く。

 それでも、ガランは泥繰の方を見なかった。


「泣いている、ソラ殿が」


 その目にはっきりとした意志の光を宿した瞬間、ガランの体が発火した。いや違う、炎のような光が体から立ち上ったのだ。


「ソラ殿が、泣いておるではないか!」


 叫んだと同時に横に控えていた泥繰を殴り倒した。

 完全に不意打ちだったのだろう。その大振りな殴打は泥繰の即頭部に命中し、その巨躯を境内へと吹き飛ばした。


「あだだだっ、手、手首がこう、変な向きにぐきゃっと」


 ひねったのか手首を抑え込んでごろごろ転がるガラン。


「っ、お前ガランか、ガランだな!」


「無論、拙者がガランでなければ何者だと言うので御座るか、クオン殿」


 その様子は咒童と呼ばれていた悪鬼、人喰い鬼共の王などではなく、俺のよく知るいつものガランだった。

 俺の呼び掛けに応えたのか、ソラの泣く姿を見たからか。理由はどちらでもいい。


「ようやく目を覚ましたな、こいつめ」


「すまぬなクオン殿、どうもずっと眠っておるような感じで、自分ではどうする事も出来なんだで御座るよ」


「ぬぅうう、おのれ雑種風情が! よくも我が王をたぶらかしおって!」


 泥繰が怒りの咆哮を上げ起き上がった。それを見てすかさずガランが動いた。正面からぶつかり泥繰の行く手を阻む。


「クオン殿! 此奴こやつは拙者が抑え込む故、ソラ殿を!」


「っ、任せた!」


 ガランが泥繰を押し止めている間にソラの元へと向かう。

 ソラは依然叫び続けている。目からも口からも血を流し、白い髪と肌を赤く染めている。狂乱とでも言うべき有様だ。その凄惨さに、思わず息を呑む。


「ク、クオン、結女様が、どうしたら……! どうにかしてくれよ!」


 吾郷あずまもようやく目を覚ましたようだが、状況を飲み込めていない上、結界の影響で体が満足に動かないらしい。

 すがるように懇願こんがんする吾郷に頷くと、ソラへと呼びかけた。


「ソラ、俺を見ろ、聞いてくれ! お前には心がある。無いわけじゃなく、何かの力で強く抑え込まれているだけだ! お前には確かに心があって、願いがあるんだ!」


 赤く濁った目は焦点が合わず俺を見ていない。呼びかけるだけでは駄目か。

 意を決しその手を掴んだ。途端に止めど無く溢れる涙のように、決壊した心から哀しみが叩きつけるように押し寄せる。


 今のソラの心はただただ哀しみに染まり、荒れ狂っていた。その負の感情にこちらの心まで掻き乱される。

 それを振り払い、俺はソラを抱きしめた。

 震える華奢な体を強く、傷つけないように。


「俺が村へ戻ってきた時、なんで村から出る洞窟の前にいたんだ。なんで簾縣の《遮断》が張られていた筈なのに俺は村へと入ってこられたんだ。なんで彼方花が外に咲いているかなんて聞いたんだ。なんで純士は、純士は最期にお前に何処にも行けないなんて言ったんだ」


 純士は知っていたのだ。ソラの中にある願いを。

 本当は空っぽなのではないだと。それを知った上で叶えず、自分の復讐に――。


『私からあの子にしてやれる事なんて、もう限られていますよ』


 いや違う。その結果起きた事は、純士の本当の目的は、これか。

 ただその為だけに自分の命さえ犠牲にして、こんなことをしでかしたのか。


「ソラは願っていたんだろう。この村の外へ出たいと。だからあの日、村の外へと出ようとしたんじゃないのか。《接続》を使って、《遮断》で隔てられていた村の中と外を繋いで、そこで俺と再会した。あの空の大穴も、外へと行きたいという願いから作ってしまったものだ、違うか! ソラの意思で、動いたんだろう!」


「願い? 私の意思で?」


 遂にソラが俺の声に応えた。

 肩を掴み、目を逸らす事なくソラと向かい合う。


「信じろソラ。俺がずっと傍にいてやる。何処にも行かない。お前に心がないなら、俺の心をくれてやる。悲しみだけじゃない、嬉しい気持ちも、楽しい気持ちも、全部俺がお前にくれてやる。そしてお前の願いは俺が叶える。絶対に叶えてやる。俺がいつだって傍にいて、何処へだって連れていってやる。この村から出て、遠く遠く、あの遠い景色の向こう側へ。約束する。約束するから」


 空から振る赤い彼方花おちばなを振り払う。ソラはこの花とは違う、村から出られないなんて事はない。


「だから頼む、お前を助ける為に、俺にお前の力を貸してくれ!」


「……うん、うん」


 何度も頷くソラに笑いかけ、流れる涙をぬぐってやる。

 あれほど荒れ狂っていたソラの心も、今は嘘のように穏やかさを取り戻していた。

 正気を取り戻した事で異能の暴走は止まったようだが、頭上の大穴は開いたまま、拡大が止まっただけだ。

 ソラの異能は繋げるだけのもの。一度繋げてしまえば元には戻せない。

 それなら他に方法を探さなければ。


結女ゆいめの太刀や。あれを使えば、あの穴を閉じる事が出来るかもしれへん」


 俺の考えを見越したような言葉に顔を上げれば、いつの間に近づいてきたのか御館様を米俵のように担いだ蛇乃目じゃのめが俺を見下ろしていた。

 先程見た笑みを浮かべたまま。


「人鬼になれば、あの太刀を引き抜く事が出来るかもしれへんなぁ?」


「お前、純士さんや御館様に手を貸したのも、まさか最初からそれが――」


 ある事実に気付き、それを問い質さんとした時だった。

 一際甲高い金属音が響いた。

 見ればガランの肩鎧の外骨格が弾け飛び、宙を舞うところだった。


「馬鹿な、何故制御が効かぬのか!? 咒童様の《燃焼》はそこまでの力は無い筈!」


「知った事かあああ!」


 体から炎のようなものを吹き上げながらガランが吼えた。

 どういう原理かは不明だが、あの異能の炎は身体強化をしているだけでなく、《制御》の無効化もしているらしい。


 再び操られる可能性は無さそうだが、ガランの体術ではあの長槍相手は分が悪い。

 最初こそ意表を突いて戦えていたものの、今は防戦一方になってしまっている。

 既にガランの体は槍撃で傷だらけ、あちこちから赤い血が流れている。


「来い、ガラン! お前の力が必要だ!」


「む、クオン殿!」


 俺の呼び声にガランが敵に背を向け駆け出す。

 後ろから切りつけられるかもしれないのに、俺の声に応える為に。


「繭里、恋路、時間を稼げ!」


 だが槍はその背に届かなかった。

 恋路と倒れていた筈の繭里が間に割って入り、その刃を受け止めたからだ。

 そしてそう指示を出したのは御館様だった。意識を取り戻していたのか。

 御館様は俺を一瞥すると、自らも武器を取り戦列に加わる。


 あいつ今、微笑わらってなかったか。


「ええい変種共め、道を開けよ!」


 泥繰の怒りの吠え声と共に、泥人形共が再び形作られていく。

 あの三人であってもあれだけの数と、何より泥繰が相手では長くはもつまい。


「簡単に言うよなお前さんさぁ!」


「稼いでどうするのですか、その後は!」


「あの馬鹿者が大馬鹿を為出しでかすのを待て!」


 察しがいいな御館様は。

 そうだ、俺は今から馬鹿げた事をやらかすのだ。


「してクオン殿、如何いかがいたす」


博打ばくちをやるのさ。成功するかも分からない、だが成功すればこの状況を打開出来る大博打をな」


 駆けつけたガランとソラの二人を交互に見る。


「この状況、この事態をどうにかするには人鬼が不可欠。そしてその人鬼がいないのなら、生み出せばいい。俺とお前、人と鬼、二つを一つにだ」


 ガランは俺の言葉に目を白黒させた後、いぶかしげな様子で尋ねてきた。


「よもや、クオン殿を喰らえなどと言わんで御座るよな」


「馬鹿言うな、ソラとの約束を果たすまで喰われてたまるか。方法ならある」


 一か八かではあるが、きっとこれが正解なんだ。


「ソラ、俺とガランを《接続》してくれ。ソラの異能で俺とガランを一つの存在に統合する」


 《接続》。ソラだけが持つ異能。異なるものを一つにする力。

 これこそが、人鬼を生み出す鍵なんだ。


一度接続してしまえば元には戻れない。それでもいいか、ガラン」


「はは、構わぬ。クオン殿も覚悟あっての事で御座ろうよ」


「頼む、ソラ。辛いだろうが、あと少しだけ、力を使ってくれ」


「……うん、わかった」


 ソラは頷くと祈るように手を組み、目を閉じる。


「俺はソラを守りたい、救いたい、その願いを叶えてやりたい。もう一度、ソラを本当の笑顔にしてやりたい。でも俺じゃ駄目だ、俺だけじゃ駄目だ、お前が必要なんだガラン!」


「応とも。叶えよう、救おう、守ろう! ソラ殿の笑顔を見る為に! 拙者ら二人で!」


 ソラの組まれた手の間、白銀の光が溢れ出す。それを、ソラはそっと掲げるように広げた。


「征くぞガラン!」


「応、クオン殿!」


「繋ぐよ、クオン、ガラン」


 光が、俺とガランを包み込んだ。

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