第肆拾陸話 裏切りは何の為に
「見つけたぞ」
「
独特な笑いと共に、泥を払い除けて見覚えのある鬼が姿を現した。
盲点だった。最初の第一陣の泥人形に紛れ、身を隠しながら鬼と泥人形を操り
「成る程。聞いていた通り御八家の者の中でも特別製の様だな。この
その骸骨武者、泥繰の言葉の真意を問い質そうとする前に、不意に本殿の奥の間の扉が開かれた。
外からではない、内側からだ。
扉を開いるという事は結界を解くという事。それでは鬼共を阻む事が出来ない。
何故そんな事をしたのか、それを問う事はしなかった。
開けた張本人は、予想通りの人物だったからだ。
「何をしているのか分かっているのか、
「おや、驚かないんですね。君には悟られないよう、特に気を遣っていたのですが」
本殿の結界を解ける者。それは今この神社の中で唯一の人間。
ソラの父親、純士だった。
「何をしているんだと聞いているんだ」
「何って、結界を解いて鬼を招き入れる準備をしているんですよ」
予想していた答えではあったが、それでも直接言葉として聞くと目眩がするようだった。
「神社の鬼除けの結界がない今、本殿の結界が最後の砦なんだぞ!」
「分かっていますよ。そもそも鬼を阻む結界を解いたのも私です。そこの
「蛇乃目、貴様……」
蛇乃目へ視線を向けると、奴は答えずにやけた顔で笑っていた。
不審な行動が目立つとは思っていたが、やはりそういう事だったか。
「……薄々とはだが、そんな予感はしていた。神社の鬼除けの結界が解かれた事、クオンが村に来る事を
「当然でしょう、爪弾きものとはいえ貴方達だって御八家の一員じゃないですか。私にとってはどちらも復讐の対象に変わりありませんよ」
お館様の刺すような鋭い視線もなんのその。純士はいつも通りの穏やかな顔でそれを受け流している。
純士の背後へ視線をずらすと、状況を理解出来てない様子のソラと、その傍で横たわる
死んではいないようだが、不意打ちで何かされたのか。まさかソラの父親から危害を加えられるなど思いもすまい。
「最初の計画では俺に村が《遮断》で覆われている事に気づかせ、本家へと報告するよう仕向けるつもりだったんだろう。だけど予定外の事が起きた。俺が何故か村に入ってこれた事だ」
「だがそれをお前は利用した。我々がクオンを本家からの刺客ではないかと警戒している間に、神社の結界に細工をしながら鬼と接触を図った。蛇乃目とな」
純士は異能使いではない。故に鬼の姿が見えない。交渉の場を作るなら、そこに異能使いが必要だ。それも、鬼を組み伏せられる程の力を持った者が。
《消失》の異能を持ち、鬼相手に互角以上に渡り合える蛇乃目は、そういう意味では最適な人材だ。
「ガランの監視についてた時にな、おかしいとは思ってたんだよ。村人に用がない筈のお前さんが
そう言ったのは
気付けば周りの泥人形達も、俺達を包囲するだけで襲い掛かりもせず、その場で動きを止めている。
何か様子が変だが、何だ。何かを待っているのか。
「何故そんな事をした、純士さん。理由は何だ。ソラの母親が死んだ事か、それを恨んで、それで――」
「――ええ、ええ、そうですよ」
深い深い溜息をすると、純士は静かに語りだした。
「十年前、鬼の王を封印する為に私の妻は死にました。村を守る為仕方がない事なのだ、それが
その様子は怒りに震えるでもなく、悲しみに暮れるでもない、疲れきり
「全ては御八家の都合、彼等が五百年前からついてきた嘘に巻き込まれ、何の価値もない死を迫られたのだと。鬼は
そう話す純士の顔は、笑っているようにも泣いているようも見えた。
涙が流れないのは、既に枯れ果ててしまったからか。
普段の穏やかな笑みの下で、まさかここまで絶望していようとは。
「ここまでだ純士。こんな状況に仕立てて我々と本家と鬼共、三つを共倒れさせるつもりだったのだろうが、泥人形を操るあの鬼を倒せば全て終わる。この程度の鬼共では我々も本家も喰らい尽くせん」
「……御館様、貴方達は勘違いをしていますよ。私の目的はそうではありません。その程度で済ませると思わないでください。何の為に、今ここでこうして話していると思っているのですか。そして、私には何も出来ないだろうと、本当に思っているのですか」
「何を――」
その言葉に疑問を抱き、問おうとした時だった。
「■■■■」
純士が何事かを呟いた。
そこまでは意識があった。
だが気づけば俺は、地面に倒れ伏していた。
なんだ、いったい何が起きた。
立ち上がろうとすると全身に激痛が走り膝をつく。
何らかの力で薙ぎ倒され、一瞬ではあるものの意識を失っていたらしい。
痛む頭を押さえ、何が起こったのかを思い返す。
確か純士が何かを言った瞬間、竜巻の如き凄まじい衝撃によって体を地面に叩きつけられた、のだと思う。
周りを見ると恋路や
まさか意識があるのは俺だけか。
いやもう一人、もう一匹いる。
蛇乃目と泥繰だ。蛇乃目は《消失》で対抗し、泥繰は最初から境内の外にいたために何の負傷も負っていない。
《切替》は……無理だ。時間が過ぎてしまっている。切り替えられない。折れた刀を杖代わりになんとか立ち上がる。
そんな俺の様子を純士は意外そうな顔で見ていた。
「ああ、やはりクオン君にはこれはあまり効かないようですね。本来なら立ち上がる事もままならない筈ですが」
「いったい、何をしたんだ……」
純士は異能使いではない。こんな、大人数を一撃で行動不能に陥らせる事など、出来る筈が――。
「結界ですよ。解いていたこの神社の結界を改めて張っただけです。この時の為にずっと古い文献を読み漁り、試行錯誤をしてきた成果ですよ。どうです、異能を持たないただの人間に、大巫女と同じ事が出来るとは思っていなかったでしょう」
「呵呵、御苦労。
そう言いながら泥繰は境内へと足を踏み入れる。
結界に阻まれていないところを見ると張ったのは今の一瞬だけか。それだけであれほどの衝撃と苦痛だとは。
その泥繰に続くように、木々をかき分けて何者かが現れる。
「……ガラン」
今までずっと隠れ潜んでいたのだろう。紅蓮の鬼武者は俺など眼中にないようで、泥繰の後へ続き本殿へと歩いていく。
これはまずい状況だ。
俺達は全員
この状況に既視感を覚えた。そうだ、これはまるで、夢で見たソラの母親が死んだ時のようではないか。
俺も同じか、あの時の純士と。何もできず、ただ見ているしかできないのか。
そんな訳が、あるか。あってたまるか。
震える膝に拳を打ち歯を食いしばり立ち上がると、本殿へと近づく泥繰の前へと、半ば倒れるような拙い足取りで立ち塞がった。
「待て、ソラに手を出すな……!」
「……変種、いや雑種か。お前に用は無い。
吐き捨てるように泥繰は言うと、手にした
そこまでは理解出来た。
だが、その槍を迎え打とうと上げた筈の腕が、既に血を噴き出している事には、理解が追いつかなかった。
速い。
薄皮一枚で繋がっているような状態の腕。それを《切替》して治し距離を詰めようとしたが、途端に両足の感覚が失せた。今度は両太股を貫かれていた。
速すぎる。
《切替》で治し、倒れかけた体がを持ち直そうと足に力を入れた瞬間、腹部に走った横一文字の傷から
速いなんてものではない。
咄嗟に傷を抑え《切替》えるも、口の中に鮮血が溢れ堪らず吐いた。
動く事すらままならない。
こいつは他の鬼とは違う。
鋼鉄のような皮膚や熊をも超える筋力は他の鬼も備えていた。だがこいつはそれだけではなく戦略を練る知識に、人と交渉できるだけの理性、そして何より卓越した槍術がある。
勝てない。勝てる術がない。
俺が何かをするよりも先にこいつは俺を八つ裂きにする。
問題はそれだけではない。
ここに来て心臓に異常が起きていた。連続して異能を使い過ぎたからだ。
目眩がする。血が足りない。心臓が、体が正常に動かない。
気づけば眼前に朱槍が迫ってきていた。
それがやけにゆっくりと見えた。
だが体はそれ以上に鈍重で、避ける事は出来ないと気づいてしまった。
ここまでか――。
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