第肆拾伍話 悪鬼討滅の時、来たり

「……来たか。繭里まゆり、敵はどれだけいる」


 御館様おやかたさまの問いに、周囲の音を異能で拾っていた繭里が眉を潜める。


「御館様、三十、いえ四十以上はいます、神社を包囲する数は」


「おい御館様、数が合わないぞ。倍以上など、数え間違いでも有り得ない」


「――誤差の範囲だ。恋路れんじ、やれ」


「あいよ、まずは先陣を潰すか。一番、起動」


 恋路の一言と同時に、境内けいだいに足を踏み入れた鬼の何体かが突如として血飛沫を上げ倒れ伏した。

 恋路が神社周辺に予め《設定》しておいた斬撃だ。


 鋳楔いくさびの異能、《設定》は事象を先送りにする事が出来る。斬ったという結果を、その瞬間ではなく一時間後でも数日後にでも遅らせる事が出来るのだ。

 もしも何も無い空間を斬って《設定》で先送りにし、そこに何者かがいる時に事象を発現させたならどうなるか。


 既に斬られている結果がその空間に存在する以上、如何なる手段を以てしても防ぐ事は出来ない。

 斬撃は振るわれた瞬間を再現し、その空間上にあるものは必ず斬り裂かれる。

 鋳楔の異能は罠として最適だ。


 これで敵の先陣は潰せただろう。そう思い安堵したのも束の間、すぐに違和感に気付いた。

 松明の明かりで照らされたその姿、それは一見泥に塗れた鬼のように見えた。

 だが違う、こいつらからは殺気を感じない。泥に塗れているのではなく――。


 鬼の何匹かが駆け出し、目の前にいた蛇乃目じゃのめへと飛びかかる。

 その爪が蛇乃目へと届くかというところで。

 

 鬼は唐突に弾け、飛沫を上げて四散した。


 別に蛇乃目の剛剣で粉砕された訳ではない。いや、恐らく振るえば同じ結果をもたらすのだろうが、そうではない。

 今蛇乃目に飛びかかったのは、鬼を模した泥の人形だ。それが蛇乃目の傍に近づいた瞬間、形を維持できずに崩壊したのだ。


「なんやこいつら、本物の鬼と違うやんけ。うちの《消失》で崩れよるわ」


 拍子抜けしたという風に肩を竦める蛇乃目。

 蛇乃目の《消失》によって崩れたところを見るに、言う通りこの泥人形達は何らかの異能によって作り出されたものなのだろう。

 血だと思ったものもただの泥水か。道理で数が合わない訳だ。


 ――ああ、そうか。


 明華あすかが何故遅れをとり死んだのか、その理由がようやく分かった気がする。

 意志のない泥人形相手では《制御》も効くまい。今のような暗がりで泥人形とは気付かずに相手をして、不意をつかれたのだろう。


「……つまらん死に方をしたな、明華」


 御館様もその結論に辿り着いたのだろう。その呟きに声には出さず同意する。

 こんなものに殺されたのか、あいつが。刀を握る刀に力が篭る。


 崩れた泥人形を踏み越えて鬼達が境内に侵入してくる。

 その目からは明確な意思を感じずまるで狂犬病の犬を思わせる。

 だがその動きは無闇矢鱈むやみやたらなものではなく、俺達五人を包囲しゆっくりと輪を狭めていく、計算された動きだった。

 奴らを操りけしかけている何者かがいるのは確実だ。

 そしてそれは、あの骸骨武者に違いない。


 苦無くないと折れた刀を両手に持ち、鬼を迎え撃つ。

 動きそのものは単調だ。鬼共はいずれも武装しておらず、武器となるものは己の肉体のみ。

 攻撃自体も、噛み付きや掴みかかりといった原始的なものばかり。

 先日の隻腕せきわんの鬼に比べればいなし易い。


 雑魚相手に《切替》は使えない。あれは連続で使えてせいぜいが五回、あの骸骨武者が控えている事を考えるとここで使う訳にはいかない。

 数に押されはするが、この調子であれば十分戦える。


 他の四人も苦戦している様子はない。

 恋路は境内に予め《設定》で布設した斬撃を巧みに操り鬼共を罠に嵌めている。

 蛇乃目に関しては言うまでもない。異能や技術の欠片もない野太刀の一振りだけで鬼共を薙ぎ払っている。


 意外だったのは御館様だった。繭里の支援もあるとはいえ薙刀を巧みに操り、鬼共を斬り伏せている。

 結界に守られた本殿を中心に、少しずつ包囲の輪を狭めていく鬼共。

 見えている限りの鬼が全て境内の中へと入った。


「十分に引きつけたか。頃合だ恋路」


「あいよ、二番目起動」


 御館様と繭里の立つ場所周辺に《設定》による斬撃が出現し、包囲していた鬼共が切り伏せられた。

 そして作り出された攻防の間隙。

 御館様は徐に懐から笛を取り出すと、細く鋭い音を響き渡らせた。


 それを合図として何かが夜空を切り裂いて飛翔する。

 微かな星の光に照らされたそれは、矢だ。

 それも一本や二本ではない。数十もの大量の矢が神社目掛けて放たれたのだ。


 隠れ潜んでいた守人達によって。


 確かに異能を持たぬ者には鬼の姿は見えない。だが鬼共がいるであろう場所が分かるなら、そこに無数の矢を放てば一本程度は当たるだろう。

 さらにそこへ、鬼の姿を視認しその矢の軌道を多少なりとも操れる者がいたとすれば。

 《昇華》と《収束》、その二つの異能を合わせたのならば、どうなるのか。


「合わせろ繭里」


「承知しました、御館様」


 《収束》によって射線を束ねられた無数の矢が、境内の鬼共を次々に狙撃していく。

 これだけ数多くの矢を、これだけの精度で操れるのは御館様の《昇華》によって異能を強化されているからだ。

 矢もただの矢ではない。奴等鬼共の外骨格の破片を鏃とし、軸は金属を用いている。

 重さと貫通力を持ったそれは、今の痩せ細った鬼共の外皮ならば貫くには十分な代物だった。正確無比な制御によって、無論俺達がその矢の餌食となる事はない。


 矢の雨が途絶える頃には、立っている鬼の数は半数以下に減っていた。生存している鬼も満身創痍まんしんそういのものが殆どだ。


 だが未だ泥人形を操っている筈の鬼とガランの姿が見当たらないのは何故だ。

 何処かに隠れ潜んでいるのか。ここまで数を減らされては今更出てきても戦況を覆す事など不可能だろう。

 逃げ出したなどという事はあるまい。先陣を担っていた泥人形の事もあるが、鬼共は確実に《制御》によって操られていた。

 確実に奴はガランと共にこの付近にいる筈だ。


 境内の外から新たに鬼共が姿を現す。

 事切れていた筈の鬼も、次々に起き上がり始めた。そのどれもこれもが体に泥を纏っている。

 いや違う、纏っているのではない。泥人形の中に鬼共が取り込まれているのか。

 泥だけでは強度に不足がある。それを鬼のむくろを芯にする事で補おうという事か。


「……いや、鬼だけではないな」


 御館様が何を言わんとしているのかは、新たに現れた鬼を見て察しがついた。

 この泥の鬼の芯に使われているのは村人や守人達だ。

 先ほどの矢の支援も、予定よりずっと少なかった。元より喰われる覚悟をして残った決死隊ではあったが、まさかそれが俺達に牙を向く形になるとは。


 立ち上がり襲いかかってくる鬼共を切り裂き、蹴り飛ばす。

 しかしそれも見る見るうちに鬼の形を取り戻し戦列に加わる。

 気付けば境内の中は泥人形で溢れかえっていた。十や二十では済まない、これは想定外だ。

 いくら倒しても元通りになってしまうのでは勝ち目がない。

 途端に形勢が逆転してしまった。


「おいおい、こっちの仕掛けはもう打ち止めだぜ! どうすんのさ御館様!」


「御館様!」


 恋路と繭里の焦りが滲む声。

 この状況にしもの御館様も額に汗を浮かべていた。

 拙い状況だ。一瞬でも余裕だなどと考えた自分を恥じる。


「……このままではらちが明かん。おい、馬鹿者!」


「馬鹿者と呼ぶな! なんだ!」


 鬼を蹴倒し、首を掻き切りながら応じる。


「この人形共を操っている人形遣いを探せ! 見つけ出せる筈だ!」


 俺ならだと。

 御館様の言葉に疑問を抱きつつも、周辺を見渡す。

 周りには泥人形と操られた鬼共。そうだ、泥人形共からは殺気は感じない。

 そして鬼共も操られているからか、その視線からは明確な攻撃の意識を感じない。

 術者は何処だ。それらしい姿は見当たらない。


 ――いや待て。

 周囲の鬼の泥に塗れた姿、以前ガランが泥を被って隠れていた事を思い出す。

 その可能性に気付き、意識をある一点へ向ける。俺を見る無数の視線を払い除け、誰よりも黒い感情の宿る視線を見つけ出す。

 感じる。これを忘れる訳がない。


「そこか――!」


 手にした刀の残骸を投げ放った。

 神社の周辺に残っている泥人形の残骸へ。


 その破片が届く直前に、長く紅い刃が泥の中から飛び出しそれを弾き飛ばした。


「見つけたぞ」


「呵呵」


 泥の中から、あの耳障りな笑いが聞こえた。

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