第肆拾肆話 誰彼の君

 神社に帰ってから、俺は御館様おやかたさま達と半日かけて襲撃の対策を講じていた。

 ただ無心になって体を動かしている方が、余計な事を考えずに済んだからだ。


 そうして昼を過ぎ間もなく夕方に差し掛かろうかという頃。

 準備のかたわらで俺は本殿ほんでんの奥の間へと足を踏み入れていた。

 襲撃時は此処ここにソラや純士じゅんしさん、吾郷あずま達が立て篭る予定のそこは今は開け放たれ、あの大穴が姿を見せていた。

 全てが終わるまで此処は閉じきるのだが、その前に確かめておきたい事があった。


 奥の間の中心に刺さる結女ゆいめの太刀。鬼を討つ不滅の剣。

 もしかしたら。

 そう思い恐る恐る手に取る。

 自分の手には大きすぎるつかを握り引き抜こうとするも、微動だにしない。大地そのものを引っ張っているのではと錯覚するほどに。

 この刀が起死回生きしかいせいの一手になるかとも思ったが、俺には扱えぬ代物であったらしい。

 溜息ためいきを付き、手を離す。


 そして顔を上げた時。


「…………は?」


 そこは奥の間ではなくなっていた。

 何もない、真っ白な空間。地面も天井もなく、何処までも全てが白い場所にいた。

 幻覚か。それにしてはやけに現実味がある。


 不意に泣き声がした。いつか何処かで聞いたような、誰かの泣き声。

 それに既視感を覚えながら改めて辺りを見てみると、まるで霧が晴れていくように、目の前の風景がはっきりとしてくる。


 ここは、何処だ。


 見覚えがあるような、ないような。

 ふと背後から葉が戦ぐ音が聞こえて振り返ると、そこには大きな木が立っていた。

 大きさはだいぶ違って普通の何処にでもあるような木だが、これはもしや御神木ではないか。

 それならここは櫃木神社か。社も櫃木の家も何もないが、此処は櫃木神社がある筈の、俺が今しがたまで立っていた筈の場所か。


 その風景をしげしげと眺めながら、俺は泣き声の主を探す。

 いた。声の主はすぐに見つかった。

 ちょうど御神木を挟んで反対側、そこに俺以外の人影を見つけた。


 巫女装束を着てはいるが、その白く長い髪は見覚えのある後ろ姿だ。

 かつてのように、うずくまり泣きじゃくるあの子の姿。

 間違いなくソラだ。そう思いその後ろ姿へと近寄り、俺は声をかけた。


「もう泣かなくていい。俺が付いている。必ず助けてやるから」


 現実ではないから容易く言える言葉。

 この言葉を、現実のソラにも言えたなら。

 はっとしたように、巫女装束の少女は振り返った。目を腫らし、頬が伝う涙で濡れていた。

 振り返ったその顔付きに違和を感じるも、すぐにそんな疑問も吹き飛んだ。

 笑ってくれたのだ。いつぶりかに見る彼女の微笑みに、思考は吹っ飛んでしまった。


『ありがとう、■■様』


「え、今」


 なんて言ったのか、そう訊ねようとした時。


「クオンさん、もうじき夕方っすよ」


 吾郷あずまの声が聞こえたと思った瞬間、気付けば俺は奥の間に戻っていた。

 手を離した筈の太刀をまだ握ったままで。


 やはり今のは幻覚か。精神的に参ってしまっているのか。

 俺はそこまで心根の弱い人間だったのかと、我ながらその不甲斐なさを恥じた。

 だけど同時に、それでもあの笑顔の為ならなんだって出来る、そう決意する事が出来た。


「吾郷、お前はソラの傍に居て守ってやってくれ、頼む」


 そう言って明華あすか苦無くないの一本を吾郷へ差し渡す。吾郷の実力では鬼に太刀打ちできないだろうが、それでも持っていれば活路があるかもしれない。

 御八家の人間に比べればどうしても力不足な感は否めないが、こいつのソラを守りたいという意志は本物だ。


「了解っす。俺が命懸けで結女ゆいめ様を守ってみせます」


 力強く頷く吾郷に頷き返し、本殿を後にする。

 今この神社にいるのは俺と御館様おやかたさま繭里まゆり恋路れんじ蛇乃目じゃのめ、吾郷に純士さん、そしてソラの八人のみだ。


 多くいた守人もりびとはほぼ全て村人の守りに着かせた。ただの人間では鬼が見えない上に太刀打ち出来ない為と、敵の持つ《制御》での同士討ちの可能性を極力減らす為だ。

 あちらは蛇乃目の血縁達が守ってくれる手筈になっているが、果たして鬼共はどちらへ襲い来るだろうか。


 急造の防壁が張り巡らされた境内に佇む御館様を見つけ、声を掛ける。


「御館様、残る鬼の数、確かなんだろうな」


 御館様が管理する古い記録から鬼の総数、そして今活動している数は判明している。その数二十余り。

 決して少なくはない。その内異能を操る鬼がどれだけいるのか


「どうだろうな。本家の間者によって記録がすり替えられていたから、残る鬼の正確な数が二十前後というのはあくまで予測だ」


 御館様の本来の計画では、先に弱い鬼を一体ずつ倒し、それからガランの封印を解くつもりだったらしい。

 だが封印場所を記した書物は偽物にすり替えられ、そのせいで何匹も取り逃す結果になったのだと。


「手負いとはいえ奴等には理性を持った統率者がいる。張った罠と策でどれだけ減らせるかが鍵だ」


「……その二十前後には、ガランも含んでいるのか」


「無論だ。あれは悪鬼に成り果てた。直接対峙したお前も分かっているだろう。あれこそがあの鬼の本性なのだ。最早倒すしかないのだとな」


「そんな事はない。ガランは、明華あすかを喰ったあの鬼が持つ《制御》で操られているんだと思う。あの時のあれは、きっとガランの意志じゃない」


「この期に及んで、まだそんな甘い事を言っているのか、馬鹿者め」


 ソラが夜食として持ってきてくれたおにぎりを掴み取る。

 そういえば、これもまだ分からないままだったな。


「なぁ御館様、こいつを何と呼ぶ?」


やぶから棒に、いったいどうした」


「……ガランとさ、よく言い争いをしていたんだ。おにぎりかおむすびか、どっちが本当の正しい呼び名なのかって」


「何かと思えばくだらん話を。姿形すがたかたちが変わろうが呼び名が変わろうが、それが一体何であるかが変わるわけではないだろうに」


 そう、その通りだ。

 別の呼び名だが、どちらも差すものは同じ。


「……御館様、やっぱりもう一度ガランに呼びかけてみる。御館様やあの鬼が言う通り、あいつは鬼の王の咒童じゅどうなんだろう。けど俺やソラにとっては、ずぼらでうるさくて面倒事ばかりを起こす、でも優しくて傍で笑ってくれるガランなんだ」


「ふん、好きにしろ。そう言ってお前が喰われた時は笑ってやる」


 御館様はそう鼻で笑ってその場を去ろうとするも、ふと足を止め振り返った。


「貴様が危惧きぐしていた村人の件だがな、解決したぞ。村人が鬼に襲われる心配はない。手出しはできん場所に移した」


「何処か、安全な場所があったのか」


「ああ」


 答えながら、御館様は懐から何かを取り出した。

 あれは、あの黒い女が持っていた硝子玉がらすだまか。

 御館様はそれを掲げ、夕陽の光を透かして見ている。


「存外に近くにな。だから気にせず戦え。我等が死なない限りは安全だ」


「……そうか」


 詳細は分からないが、今はそれを信じよう。


 そうして日が暮れ、夜が訪れる。

 ソラ達は本殿へと閉じ篭り、俺達は待った。

 何日も待つ事になるかとも思ったが、それは思ったよりも早かった。


 獣達の声が遠ざかり、神社の周辺に人家の明かりとは異なる光が灯り出したのだ。

 鬼火だ。

 その数は少しずつ増えていき、神社を包囲していく。人の声とも獣の唸り声ともつかぬ声が微かに聞こえる。

 刀を握り締め、立ち上がる。


 鬼共が来る。

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