第肆拾参話 此処にしか咲かない花

 学校に近づくと、数人の男達が校舎の周辺を見回っているのが見えた。

 その中に吾郷あずまの姿を見つける。吾郷達も俺達に気付くと、深々と頭を下げた。

 いやこれは蛇乃目じゃのめに対してか。


「吾郷、何もなかったか」


「鬼を見たっていう守人もいるんすけど、誤報だったみたいっす。怪我人も建物の被害も全く無いっすよ」


「……。お前は、鬼の事を知っていたのか」


「すんません、話は聞いてたんすけど、実際に見たのはガランが初めてで。夜回りに入れてもらって詳しい話を聞いたのはその後だったんす」


「――そうか。いや、謝らなくていい。気にしないでくれ」


 吾郷のばつの悪そうな顔から目を逸らす。別にこいつを責める理由はない。御館様達のように俺を疑い隠していたという訳でもないのだから。

 むしろ話だけでも聞いていて、それでもガランとああやって他愛ないやりとりをしていたのなら、こいつは俺よりもずっと勇気がある。


「ソラは俺が迎えに行く。此処で待っていてくれ」


 そう言って吾郷達を校門に残し、教室へと向かう。

 校内は少し慌ただしい様子だった。ざわめく生徒とそれをなだめる教師達。

 その中で、ただ一人教科書を開いて自習をしているソラがいた。

 いつも通りに机に座り、いつも通りに勉強している。周りからはずれた位置にいる少女。

 普段と変わらない姿に、何故か掛けるべき言葉が浮かばなかった。


「あの、クオン君、結女ゆいめ様を迎えに来た、のよね?」


「あ、ああ、そうだった」


 担任の恐る恐る様子を伺うような問い掛けに、思わず気の抜けた返事を返す。

 何をしているんだ俺は。何を見失っているんだ。


「ソラ、帰るぞ」


「クオン、まだ学校の時間だよ」


「学校は休みになった。だから帰ろう」


「そうなんだ。それなら帰るね」


 思ったよりも従順に言う事を聞いてくれた事に安堵する。

 日常的に行っていた行動を阻害してちゃんと従ってくれるか不安だったが、大丈夫なようだ。

 支度したくを済ませたソラを連れ、下駄箱まで向かう。


「クオン、ガランは一緒じゃないの」


「ガランは、今はいない。だけど、すぐ帰ってくる。俺達のところに、すぐに」


 もう帰ってこないかもしれない、そんな事は言えなかった。言いたくなかった。

 あいつは、俺達の元に必ず帰ってくる。帰してみせるんだ、何としてでも。


「うん、分かった。夕御飯までには帰ってくるかな。ガランの夕飯も用意しないといけないね」


「――ああ、そうだな」


 ここでソラの手を掴んで、この村から逃げてしまえば。そんな事を衝動的に思う。

 鬼の魔の手が迫る今、ここにいるよりも外へ逃げた方が安全かもしれない。

 ソラは御館様一派ではない。本家にその事をちゃんと伝えれば――。


 ――いや、駄目だ。御館様が言っていたではないか。

 本家は鬼を再封印する為にソラを使い潰すだろうと。

 もしかしたら御館様の話は全て嘘なのかもしれない。

 ソラの異能の事を本家は知っているのかも分からない。

 本家がソラを利用するつもりなら、村から出てしまった後俺一人ではとてもではないが守りきれない。


 誰を、何処まで信じるべきなのか。何をどうすればソラを守れるんだ。

 学校の外では蛇乃目達が待っている。

 二人だけで話すならもうここしかない。


「なぁソラ、教えてくれ」


 意を決して聞く事にした。

 ずっと後回しにしてしまっていた、十年前の出来事について。


「十年前、お前に何があったんだ。いったい何が、お前をそうしてしまったんだ」


「十年前?」


「ああ。十年前、ガランを封じる為に、その……ソラの母親が亡くなった時の事だ」

 

 夢で見た、ソラの心がおかしくなった原因かもしれない出来事。


「うん、お母さんはガランを封印する為に死んだよ。ガランともそのお話したよ」


 事も無げに言う姿に、思わず目を逸らした。

 親の死を、子がそんな平然とした顔で言うなど――。


「封印は櫃木ひつぎの御役目。鬼の封印を維持する為に、櫃木の巫女は命を代償に封印を施すの。十年前がお母さんの番。次が私の番だって言われてた」


「その時、お前は何も感じなかったのか」


「――何にも、感じなかったよ」


 何も感じていなかった筈がない。母親が死んだ時、ソラは叫んでいた。

 世界が壊れてしまうほどに。


「お前の心は、母親が死んだその時に、どうかしてしまったんじゃないか」


「私の心? 私の、心? よく分からない」


「あの時何があった、教えてくれ。それが、お前の心を治す手掛かりになるかもしれないんだ」


「私の心、壊れてないよ」


「いや、壊れている。お前の心は、まるでそこにないみたいじゃないか」


 酷い事を言っている。

 それこそ心無い、人でなしのような事を。

 俺が本当に恐れていたのは真実を知る事ではなく、こんな言葉をぶつけてしまう事だったのではないか。


「私の心、ここにないなら、どこにあるの?」


 聞きたいのはこっちだ。

 ソラの心は何処にある。何処へ行ってしまった。

 何をどうすればその場所から取り戻せるんだ。


「なぁソラ、お前は、どうしたい」


「どうしたい? 私が、したいこと?」


「俺はソラに何をしてやれる、何が欲しい、何処へ行きたい。言ってくれソラ、俺はその為に、その為に……」


 叶えたい願いはないのか。そう聞こうとした。

 それを知れたなら、その為に俺は命だって賭けられる。

 そうだ、俺はこの残り限られた命をソラの為に使うと、そう決意してこの村に来た。

 何か出来ると思っていた。ずっと御剣みつるぎの修行に耐え心身を鍛えた今の俺なら、昔みたいに逃げすに立ち向かえると。


 それなのに、俺は何をしてきた。何も出来ていない。

 俺一人では、ソラに何もしてやれない。

 ただ状況に流されて、いつの間にか向かう場所さえ分からなくなっている。


 結局は、自分の為だったのかもしれない。

 この村へ来てソラの心を治すというのも、ただ自分の残された命に、意味を持たせようとしただけの、ただの自己満足で――。


「クオン」


 いつの間にか俯いてしまっていた。

 ソラの顔を見る事が、少し怖い。

 そんな自分を、俺は恥じた。


「帰ろう」


「……ああ」


 俺は、あの頃から変わってない。

 何も出来ない、弱いままの子供だった。


   ***


 蛇乃目達と合流し、周囲を守られながら神社への道を戻っていく。

 物々しい様子にもソラは特に反応を示さない。

 蛇乃目や吾郷は俺達の様子を見て察したのか、何も言わなかった。


「ねぇクオン」


 不意に、ソラが声をあげる。

 何かあったのかと思い振り返ってみれば、ソラが見ていたのは俺ではなく道端に咲く彼方花おちばなだった。


「村の外にはね、彼方花が咲いてないって本当?」


「……ああ、咲いていない。この村の中でしか見た覚えはない。この村特有のものの筈だ。それがどうかしたか」


「ううん。さっき、聞いたから。周りの山や海に阻まれて村から出られないんだって」


「……そうか」


 唐突にそんな事を聞いてくるとは。どうしたのだろうか。

 それきりソラは黙ったまま、俺も特に話題を見つけられず重い空気を背負いながら帰路についた。


 此処にしか咲かない花。それはまるで、ソラのようだと思った。

 何処にも行けない、此処で咲き此処で散る事を定められたもの。

 誰かが、持ち出そうとしない限りは。

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