第参拾玖話 悪夢

 ソラを抱えての家路は、少し寂しい気分になった。


 クオンに言った事は本当だ。ソラの見えていなかった部分、それを目の当たりにして動揺はした。

 それでもソラを好いている気持ちは変わらないし、何よりクオンが救いたいと思う少女ならば、拙者もその為に手を尽くしたいと思う。


 思うのだが。

 クオンが眠っている間にソラと交わした会話を思い出す。


『会ってたよ。わたしとガラン』


『御神木にガランは封じられてて、そこから出ようとしたガランと会ってるから』


『ガランを封じる為にお母さんは死んだの』


 拙者を封じる為に、この少女の母親は死んだ。

 それを事も無げに語るソラに、微かにだが恐れを抱いたの事実。

 クオンにこの事を話すべきなのだろうか。だがもしこの事を知った時、クオンは自分の事を、どう思うのだろう。


 うんうん悩んでいる間に、神社へと帰り着いた。

 さて帰ってきたはあいいが問題はソラの格好だ。傷は塞がっているが足は血塗れ、服も赤黒く汚れてしまっている。この血を拭いて着替えを着せてやらねば。

 一先ずは本殿に寝かしておく事にした。本殿の入口にソラを横たえ、一息つく。


 しかしこれは参った。服は家の中にあるのだろうが、この図体では玄関さえ通れないし何処に仕舞しまってあるのかも分からない。

 それに家の中にいるかもしれないソラの父親と出くわしてしまうかもしれない。


 これはソラを起こすか、それともクオンが帰ってくるのを待つか。

 そう腕を組んで唸っていた時だ。


咒童じゅどう様」


「ほ?」


 誰かに呼ばれた気がして振り返った。

 振り返ってから、何故それが拙者の名前だと思ったのか首を捻る。

 ガランではなく、咒童。

 咒童とは誰だ。拙者は咒童なのか。


 声の主を探して辺りを見渡すも、それらしい人物はいない。

 確か拙者の事が見えるのは、異能を操れる者だけの筈。知っている中で自分を咒童と呼ぶ者はいなかったし、そもそも聞き覚えが。

 ――いや、ある。あるのか。ある気がする。

 覚えていないが、覚えがある。失った記憶の中にその声が埋もれている。


「誰ぞ」


 呼びかけると、声の主は茂みの奥から姿を現した。

 左右の長さの違う二本角、鋭利な牙の並ぶ口、金属の光沢を持つ茶色の外骨格は武者鎧のようで、夕焼けの逆光に照らされ長く伸びた影の中、赤い目だけが煌々と輝いていた。

 痩せ細っているが、まるで自分と瓜二つの姿。


「な、何者で御座るか」


「ジュドウ様、それがしをお忘れか。貴方様の将が一人、泥繰でくに御座います」


 骸骨のように痩せた鎧武者、泥繰は周囲に気を払いながら近づいてくるとかしずき、深々とこうべを垂れてみせた。

 まるで目上のものに対する礼のようだが、自分がそんな扱いを受ける覚えなどない。


「結界を破られたのですな。あれほどのものを、流石に御座います。封印の巫女も捕らえられたようで」


「ほ? 結界?」


「この神社の四方にあった結界で御座います。余程我等に触れられたくない物が在ったのか、触れる事すら困難な結界が覆っておりましたでしょうに」


 勿論破った覚えはない。そもそもそんなものがこの神社に張ってあるというのも初耳だ。

 普段出入りしている時に何かに阻まれた事もない。

 あるとすれば本殿の奥の間くらいなものだ。


「ともあれ、某もようやっと封印から逃れる事が出来ました。兵共の大半は自我を失いただの餓鬼がきと化しております。戦力となるはそれがしと咒童様くらいなものかと」


「ま、待たれよ、拙者何が何やら。拙者は咒童という名では御座らんし、お主の事も知らぬで御座るよ。将というのも覚えが御座らん」


呵呵かか、おたわむれを咒童様。最も荒ぶる者、ほむらの如き暴虐とうたわれし我等が王よ。我等四将と軍を率い、穴を通ってこの地へ攻め込んだでは御座いませぬか。今再び力を振るい、この村の者共全て喰らい尽くしましょう。手始めに、その巫女を喰らい力を――」


「ま、待たれい! ソラ殿に危害を加えるつもりならやめられよ!」


 泥繰がソラにそれ以上近づかないよう、背にソラを庇い立ちはだかる。


「何を言っておられるのか。それは我等を封じた巫女で御座いましょう。その息の根止めておかねば。……よもや」


 泥繰の目がこちらを品定めするように細められ、その腕が背中へと回る。


「よもや咒童様、貴方様も狂われてしまわれたのか。力無き雑兵共と同じように」


 どうも雲行きが怪しくなってきた。

 何とか言いつくろおうと狼狽うろたえている間に、あごに強い衝撃を受けた。思わずたたらを踏むも何とか踏み止まる。

 攻撃を受けた、そう気付いたのは泥繰が持つ長物を見てからだった。

 クオンが持つ刀と同じ、赤い刃を持つ長槍だった。


生憎あいにく使い慣れた得物えものを失っておりましてな。以下となった兵の腕をいで槍に仕立て上げました。かつての貴方様であればこの程度軽々といなしてみせただろうに、どうやらその技量も記憶と共に失われたご様子!」


 慣れた手つきで槍を振るう。その槍捌やりさばきは見事なもので、きっさきが目で捉えていられないほどだ。

 先程はどうやらみね柄頭つかがしらで殴打されたようだが、もし鋒で撫でられていたなら顎が真っ二つにされていただろう。


「その為体ていたらくでは我等の王としては不十分。ならばその首、我が槍のいさおと致しましょうか!」


「ほ、ほあああ!?」


 突き出される槍を間一髪でかわし、その場から逃げ出した。


 それからどれだけ逃げただろうか。付かず離れず、泥繰は執拗しつように襲いかかってきた。

 だがそれはこちらにとっても都合がよかった。少なくともこれでソラから危険を遠ざけられる。

 今頃クオンも帰っているだろうから、こいつが戻ったとしてもソラを守ってくれる筈だ。

 いや、二人であればこいつを倒す事も出来るのではないか。そう考えはしたものの、果たして自分は戻るべきなのだろうかと逡巡してしまう。


 もしも、もしも泥繰が言うように己が本当に人喰いの鬼だったなら、クオン達はどう思うだろうか。

 きっと目覚めてから今日までの全てがなかった事になる。

 だって人を喰う怪物などと、誰が手を繋いでくれるだろうか。

 それどころか、斬り伏せられるかもしれない。

 知られたくはない。嫌悪され殺されそうになるのなら、いっそこのまま何処かへ行ってしまった方がいいのかもしれない。


「……嗚呼」


 そう思っていたのに。

 何故自分は神社の前へと戻ってきてしまっているのか。

 出鱈目でたらめに雑木林や森の中を逃げているつもりだった。

 なのにいつの間にか、元いた場所まで戻ってきてしまっていた。

 何をしているのか。


「咒童様、御覚悟を……おや」


「む……?」


 鬼の咆哮ほうこうが聞こえた。何故かは分からないが、それが人や獣のものではなく鬼が発したものだと考えずとも分かった。

 吼えたのは目の前の泥繰ではない、もっと遠くからだ。

 泥繰にも勿論聞こえていたらしく、歩みを止めて辺りを見渡している。


「……ここは一旦引くと致します。再び相見あいまみえましょう。しからば御免ごめん


 何らかの思惑があってか、泥繰は槍を仕舞うと背を向けて去っていく。

 その背は無防備そのものだったが、それを追う気にはならなかった。

 やっとこの逃走劇から解放されるという安堵から、そんな考えは浮かんでこなかった。

 そのしばらく後に聞こえてきた声を聞くまでは。


「何だ、お前は」


 クオンの声だ。去ろうとした泥繰と出くわしてしまったらしい。

 まずい、止めなくては。

 泥繰の口から自分が何者であるかを知られてしまう事が怖い。

 クオン達が泥繰に喰い殺されてしまう事が怖い。

 止めなくてはいけない、止めなくては全てが終わってしまう。

 それは駄目だ、嫌だ、そう思い茂みから飛び出した。


「待たれよクオン殿……おや?」


 誰もいない。クオンもソラも。

 辺りは星明かりもないどころか、暗い闇に覆われていた。


「クオン殿? ソラ殿? 何処に居られる?」


「咒童様」


 不意に背後から声がした。振り返ろうとすると、何か生温いものを踏んだ。

 気づけば足元一面、赤黒い液体のようなものに沈んでいた。

 これは、血だろうか。


「咒童様、どうか」


 再び拙者を呼ぶ声。異様な光景にたじろぐも、槍を掲げた泥繰が立っている事に気付いた。

 槍の先には何かが貫かれていた。暗くてよく見えないが、一抱えはあるような大きさの、人の頭くらいの大きさで、いやあれは、人の頭ではないか、それもあれは、それは。


「御覧下され。我等が怨敵、見事討ち取って御座います」


 その槍に貫かれて晒し者となっているのは、それは。


「お、おおお、おおおあああああ!」

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