第参拾捌話 行くなガラン

蛇乃目じゃのめ、お前一体何をしている。何故繭里まゆりを捕まえているんだ」


 鬼共を前に、蛇乃目は繭里を羽交はがめに何をしているのか。


「ああなんや、早かったなぁクオン。見ての通り、ちょい面倒な感じになってもうてなぁ」


 そう言う蛇乃目の腕の中で、繭里がその拘束から逃れようともがいているがびくともしていない。

 蛇乃目は蛇乃目で、繭里が右手に持った短刀が顔の前をかすめているというのに、そよ風でも受けているような涼しげな顔でかわしている。

 この理解し難い状況はなんだ。


「うち以外みんな操られてもうたねん。ほんま困りもんやわ」


「は、操られている? いったい誰にだ」


 《制御》のような力でもない限り人を操るなど出来るわけがない。

 周囲には蛇乃目達と俺とガラン、それに鬼共を除けば意識を失ったものばかり。異能使いらしきものなど一人も見当たらない。

 周囲に潜んでいる気配も、気絶しているふりをしている様子もない。

 それならば答えは一つだ。


「まさか、人を操る異能を持つ鬼がいるというのか」


「あの茶色いのがな、使うてきおるわ。繭里も他の守人もりびともまんまと操られてしもうて、死なさんように倒すの苦労したで」


 守人が全員倒れているのはそういう事か。

 茶色い鬼というのはガランの横にいる鬼だろう。

 あいつは確か、昨日見た骸骨がいこつ武者ではないか。

 昨日見た時に比べてせ細った体には筋肉が付き、外骨格も心なしか色艶いろつやが良くなっている気がする。


 考えもしなかった。まさか鬼も異能を扱えるなどとは。

 それも異能の中でも稀有な御八家の異能と似ているものを――。


 待て。


 そこまで考えて、ぞわりと背筋が凍りつくような錯覚を覚えた。

 昨日見た時よりも肥えた鬼、《制御》に似た力、鬼に喰われて死んだ明華あすか

 それは一つの線で繋がるのではないか。

 御館様おやかたさまが言っていた、捕食対象の記憶や知識を吸収するという鬼の特性。

 それは異能でさえも奪い取れるものなのではないか。


 こいつが。

 目の前のこいつこそが。

 明華を無残な亡骸なきがらに変えた張本人なのではないか。


「お前、お前か。明華を喰ったのは。お前なのか!」



 俺の問いかけに鬼がわらうのを見た瞬間、 迷いなく刀を抜いた。


「その首、此処ここに置いてけ!」


 叫び、刀を構え駆けた。


 こいつは許さない、此処で殺す。


 迫り来る俺を前に、鬼は邪悪な笑みを浮かべたまま駆け出した。ガランや他の鬼もそれに追随ついずいする。

 こいつら逃げる気か。しかもガランまで共に逃げ出すとは。


「待て、逃がさん!」


 何にしてもここで逃がす訳にはいかない。

 振り返ると蛇乃目はまだ繭里と格闘していた。


「あー、うちは繭里抑えるんで精一杯やから、あんただけで追いや!」


「……くそ!」


 蛇乃目には言いたいことはあるが、とりあえずそれは後だ。


 木々が複雑に乱立する雑木林の中を、鬼共はものともせず逃げていく。

 いずれの鬼も並外れた身体能力だ。狼や獅子ししとてこれほどまでの俊敏しゅんびんな動きは出来まい。

 だがそれがどうしたというのか。俺だって伊達だてに血のにじむような修練をしてきた訳ではない。全力疾走でその後を追いかける。


 俺が追いかけてくる事を知り逃げ切れぬとさとったのか、鬼の一匹が足を止め振り返る。

 どうやら殿しんがりとして俺の行く手を阻むつもりのようだ。

 だが足を止めるつもりなど毛頭ない。


「邪魔をするな!」


 阻む鬼は見たところ手負いのようだ。

 外骨格の大部分に損傷があり、左腕は肩口から喪失そうしつしている。

 他の鬼同様頭部につのはあるが外骨格は脱落し、その見た目はまるで落ち武者だ。


「御相手致す」


 隻腕せきわんの鬼はそう言って腰の刀を抜いた。

 俺の目の前に立つ隻腕の鬼の目には、確かな理性があった。

 先程御館様は鬼の殆どが狂気に陥っていると言ったが、どうやらこれがそのそうでない一部らしい。


 全力疾走のまま、俺はその隻腕の鬼へ肉薄する。

 互いの刃が届くかという距離になった時、手にした刃が煌めいた。

 刃が重なり、金属音を響かせる。

 だが俺は止まらなかった。

 隻腕の鬼が俺を斬り伏せるつもりで刃を振り下ろしたのに対し、俺は上段の構えから刃を斜め横に受け流したのだ。

 相手はどうか知らないが、俺に切り結ぶつもりなど毛頭ない。隻腕、それもわざわざ上段からの振り下ろしなど受け流すのは容易い。

 鬼が体勢を立て直す微かな間隙かんげきを突き、俺はその鬼の左脇の方へ擦り抜ける。

 長々と相手などしていられるか、ガランを見失ってしまう。


「行かせぬ!」


 ああ、だろうな。

 隻腕の鬼が振り返り駆け出すのと、俺が《切替》で体の向きを百八十度変え、刃のきっさきをその鬼の喉元へ突きつけたのは同時だった。


 《切替》は発動すれば運動力を一旦無にしてしまう。溜め込んだ運動力を攻撃へ使う事は出来ない。だがそれならば、相手側が全速力で駆け出したところへ、《切替》で進行方向へ移動し刀を突きつければいい。

 予備動作なし、ほぼ零距離での突き。あとは相手が勝手に突き刺さる。


 鮮血が俺の顔を濡らした。


不覚ふがぐぶ……」


 喉元のどもとを貫いた刃は、そのまま隻腕の鬼の下顎したあごから脳天までを串刺くしざしにした。

 鬼の体躯たいくは俺よりも大きい。下顎を狙って突き貫くのは人を相手にした時よりも容易かった。

 通常の刀であれば折れていたかもしれないが、父上から送られたこの御霊鋼みたまはがねの刀はなんとか耐え切ってくれた。


 動かくなった鬼を打ち捨て、再びガランを追う。

 草木が青々と生い茂る雑木林の中では、ガランの紅蓮の外骨格は嫌でも目立つ。

 すぐさまその後ろ姿を見つけ追いかける。


「ガラン! 止まれ! 何処へ行くんだ!」


 叫ぶもガランは振り返らず、代わりに骸骨武者が首をぐるりと回し俺を見た。

 骸骨武者の恨めしげな視線。だがそれはすぐに別の場所へと向けられた。

 何だ、俺を見ずに何を見ている。

 奴の視線の先、見ているのは。


 俺の足元か――!


 ぞわりとした悪寒。

 咄嗟とっさの判断で《切替》で速度を殺し後ろへ飛び退すさるのと、進行方向の地面から無数の泥塗れの腕が飛び出すのは同時だった。

 判断があと少し遅ければ、その腕になぎぎ倒されていただろう。


 しかしこんなところに伏兵ふくへいを忍ばせていたとは。そう思った矢先、目の前の腕は溶けるようにして消え去った。

 原理は分からないが、地面に鬼が潜んでいる訳ではないのか。


 見れば逃げ切るのは困難と判断したのか、骸骨武者とガランは足を止めていた。


「待て。聞きたい事が、たくさんあるんだ。ガランにも、そこのお前にも――」


 二体に近づこうとして、再び足元に感じる殺気。

 身をひるがえした瞬間、股座またぐらから脳天までを貫かんと飛び出した泥塗れの腕が鼻先を掠めた。


 やはりだ。

 この泥塗れの、いや泥そのもので出来た腕は、目の前にいる骸骨武者の視線と殺気に連動している。

 これは奴の持つ力、恐らくは異能だ。

 罠として使うのは確かに有効かもしれないが、来ると分かっているなら避けるのは容易い。それほどの驚異にもならない。

 飛び出す腕をい潜りながら、ガラン達へ迫る。


「……猪口才ちょこざいわっぱめ」


 骸骨武者の苛立たしげな悪態など聞く耳持たない。

 あと少しでガランに届く。

 あと少し。


「ガラン!」

咒童じゅどう様!」


 俺と骸骨武者の叫びが重なる。


「――――!!」


 その瞬間、今まで見た覚えのない俊敏しゅんびんさでガランが動き、天地が鳴動した。

 いや違う。咆哮ほうこうと共に殴られたのだ。

 そうと気付いたのは、両腕に強い衝撃を受けて吹き飛ばされた後だった。

 砂利の上を転がり擦り傷と打撲だらけになるも、それを瞬時に《切替》でなかった事にする。


 だが違和感があった。手に持っていた筈の刀がやけに軽い。

 見れば父上から贈られた刀が半ばから真っ二つに折れていた。

 鬼の皮膚を貫いて無傷だった刀も、ガランの豪腕は受け止めきれなかったようだ。

 もしこれが刀でなく体に当たっていたなら、今頃俺の上半身は下半身と分たれていた事だろう。


 だがそれよりも何よりも、真っ二つに折れてしまったものがある。

 俺の戦意だ。


「が、ガラン……?」


 俺の呼び掛けにも答えず、ガランが吼える。まるで獣の如きその咆哮が体の芯まで震わせて来る。

 目の前に立ちはだかるガランは、俺の知っているガランではなかった。

 最初に見たあの荒れ狂う暴力の化身の如き様相だった。


 その姿に、見知っている姿の筈なのに、俺の足はすくんで動けなかった。


呵呵かか、所詮はわっぱか。行きましょう咒童じゅどう様」


 骸骨武者がガランを聞き覚えのない名前で呼ぶ。

 違う、そいつはそんな名前じゃない。そんな怪物のような奴ではない。

 お調子者めいていて、剽軽ひょうきんな態度の中に優しさを秘めた、そんな――。


「何故だガラン、待て! 行くな!」


 俺の呼びかけにもガランは応じず、鬼共と森の暗がりへと姿を消した。

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