第参拾肆話 行ってはならぬ

 こいつの視線から感じる、獣のようでいて人間臭い悪意。

 この悪意を俺は知っている。


「お前か、あの時俺を見ていたのは」


 そう尋ねた瞬間にそいつは笑う事を止め、更に目を細めた。

 それで確信した。村で買い物をしていた時、茂みの中から俺達の様子を覗っていたのはこいつだ。

 理解したと同時、躊躇ためらう事なく抜刀した。


 心臓が早鐘はやがねのように鳴っている。頭の中で理性と本能が警告している。

 こいつは危険だ。近づいてはならない、近づけてはならない。

 こいつは此処ここで殺さなくてはならない。そうでなければどちらかが死ぬ。

 恐らくこいつ自身もそう考えているに違いない。

 この悪意は俺達を、いや俺達だけでなくもっと多くの者を害するものだ。

 それは単純な憎しみや怒りではない。

 もっと原始的な、食うか食われるかの――。


 鼓動こどうを早める心臓とは裏腹に呼吸は平時以上に落ち着いたものになり、神経が研ぎ澄まされていくのを感じる。

 修練の賜物たまものか、はたまた極限状態における生存本能によるものか。

 戦いは避けられない。いや、起きるとすればそれは戦いではない。

 それはきっと、一方的な殺戮さつりくだ。


呵呵かか、みつ――」


 だがどうした事か、骸骨がいこつ武者は唐突に後方へと跳躍ちょうやくした。

 止める余地を与えないほどの素早さで、瞬く間に俺との距離を離していく。


「おい待て、逃げるな!」


 その叫ぶに応じる筈もなく、骸骨武者は暗闇へと姿を消した。

 何かを恐れてという風ではない。ならば一体何故だ。

 分からない。分からない事が多すぎる。

 あいつが一体何者で、何を考えているのか、理解出来ない。

 棒立ちで逃走を見送ってしまった事を悔いる。あれは獲り逃してはならないものだったのではないか。今からでも追うべきではないのか。


 そう考えたところで、すぐ傍の茂みから微かな物音がした事に気付いた。

 戻ってきたのかと思い刀のきっさきを向ける。


「いやいや待たれいクオン殿、拙者、拙者で御座るよ」


 そう言って慌てた様子で茂みから出てきたのはガランだった。

 それを見て、安堵の溜息をく。

 一発でこいつだと気づけないとは。緊張で意識が張り詰めていたらしい。


「お帰り、ガラン」


「ガラン、お前何処に行っていたんだ」


 のんびりと出迎えるソラを遮り、ガランに詰め寄る。


「た、大した用では御座らんよ。帰りが遅くなってしまったのは申し訳ないとは思っておるで御座る。すまぬすまぬ」


 挙動不審な様子に疑問はあるがこいつの事だ、本当に大した事ではないのだろう。ふと見ればガランの身体にはまだソラの血が付着していた。


「お前、そんな姿で神社を降りたのか。誰かに見つかっていたらどうするつもりだ」


「す、すまぬと言うに。あまり責めんで欲しいで御座るよ」


 嘆息する。だがこいつが戻ってきてくれてよかった。

 ガランにソラを任せれば先程の骸骨武者を探しに行ける。


「奇妙な奴を見た。俺はそいつを追いかけるから、お前はソラと家に帰っていろ」


「――いや、待たれいクオン殿。行ってはならぬ」


「何……?」


「行ってはならぬ、クオン殿。ここは引き返し家へと帰るで御座るよ」


 いつになく真剣な面持ちのガランに面食らう。

 こいつにそんな調子で引き止められるなど考えていなかった。

 両手を広げて道を塞ぐガランを見上げる。


「何故だガラン。何故止める」


「……理由は、明かせぬ。だがもしあれを追えば、クオン殿の身に危険が及ぶやもしれん」


 理由はそれだけではないだろう事は、ガラン自身の様子が言外に語っていた。

 何かを隠している。それを知られまいとして、俺を止めようとしている。


「クオン殿、どうか拙者の事を信じて欲しい」


 信じろ。そう言われてすぐには答えられなかった。

 俺はこいつの事をどれだけ知っているのだろう。


 燃え盛る御神木の中から現れた存在。

 金属のような皮膚を持ち、鎧武者のような外骨格を備え、およそ人間とは思えない外見でありながら人のような心を持つ、伝承の人鬼ジンキと呼ばれる存在かもしれない者。


 知っている事といえばそんなものだ。ほんの数日同じ屋根で寝食を共にした異形。

 あの夕暮れに繋いだ手の暖かさを。ソラの身を本気で案じ、俺を勇気づけようとした優しさを。

 それが俺達を欺く嘘だなどとは思わない。

 俺は、こいつを信じる事が出来るのか。


「……ああ、信じるよ。お前は俺の言葉を信じてくれた。ソラを嫌いでいないでくれた。だから俺もお前を信じる」


 半ば、自分に言い聞かせるようにそう言った。


 それに、今から急いでも遅い。

 いつの間にか遠くで聞こえていた怒号も剣戟けんげき音も聞こえなくなり、そこかしこに見えていた明かりすら消えている。

 まるで幻でも見ていたかのように、静まり返っていた。

 今から追いかけても見つけられはしないだろう。


 きびすを返す。


「クオン? どうするの?」


「どうもしない。帰ろう」


「帰るの? もういいの?」


「ああ、もういいんだ。おいガラン。洗ってやるから、帰るぞ」


「……うむ」


 いつものように笑ってみせるガラン。だがそれは本当に笑っている風ではなかった。無理矢理に取り繕った笑い。

 それに気づかないふりをして笑い返す。

 そうして三人揃って神社へと戻っていった。雑談に華を咲かせる事もなく、じっとりとした居心地の悪い空気を抱いたまま。


 家で帰りを待っていた純士を適当に言いくるめて、ガランを洗ってやって、そうして夜が明けて。


 翌朝、俺は己の選択の結果を突きつけられた。

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