幕間参 散華
荒い息遣いと足音だけが夜闇に響く。
否、
どちらにせよ今ここに居ないのならどうだっていい。
どうしてこんな事になったのか、理解出来ずにいた。
つい
何故そうなったのか。相手は格下、理性もない獣同然の存在だと油断していたのか。
いや確かにそうだった筈だ。奴等は自分達の相手ではない。死に損ないの
そして自分の持つ《制御》の異能があれば、相手は自ら罠へ飛び込んでいく。
何も難しい事はない。これまでもそうして奴らを倒してきた。その筈なのに。
下唇を
周りには不気味な光も何も見えない。周りに奴等の姿はない。
逃げ延びたのか。そう思った矢先だった。
「えっ……?」
いつの間にそこにいたのか。
奴等の一匹が目の前に立っていた。今見渡した時は確かにいなかった筈だ。
全身泥で汚れたそれは、何をするでもなくただ立っていた。
不意打ちだって出来ただろうに、ただ目の前に現れて驚かせただけのそいつに、無性に腹が立った。
一瞬でも恐怖を覚えた事がその怒りに
「何なのよあんた、死ね! 死になさいよ!」
《制御》を用いて命じる。そいつは明華が叫んだ通り、次の瞬間には自ら胸を引き裂き、溢れ出た体液に沈んだ。自害してみせたのだ。
それを見た瞬間、明華の笑みが凍りついた。
「え……」
違う。おかしい。
《制御》で命じたのは自害じゃない。ここから去るよう命じたのだ。今の自分なら返り討ちに遭うかもしれない。その恐怖から、情けなくも生き残れる選択をしたのだ。
それに仮に自害を命じたとしても、奴等に自害する意志が微かでもなければそれを実行しようとはしない。
そして奴等には自ら死を選ぶという選択肢など、まるで持っていないのだ。
それなのにこいつは、まるで《制御》を受けたかのように自害してみせた。
何かがおかしい。
「
聞き覚えのない声が何処かから聞こえてきた。そしてそれが指し示す事実に悪寒が走る。
だが手遅れだった。既に明華はその声の主の術中に落ちていた。
突如として田園の泥の中から無数の腕が出現した。
待ち伏せされていたのか。急いで逃れようと飛び退こうとするも、既に足が掴まれ身動きが取れない状態だった。
ぬかるんでいるとはいえ、泥の中にこれほどの数が潜んでいたというのか。
「こいつら、なに!? 放せ、放しなさいよ!」
放れない。《制御》で命じているにも関わらず、その腕が明華を離す事はなかった。
《制御》が効かないなんて事は有り得ない、《消失》でもない限りは。
苦無を振り回し、腕を振りほどかんとする。その腕の主の顔を刃が切り裂いた。泥の下に隠れていた者の素顔が
それは、明華の守人だった。淀んだその目の中に
「そんな、どうして」
彼等は確かに先程死んだ筈だった。それなら、自分は裏切られ騙されていたのか。
いやそれでもどうして《制御》が効かないのかの説明にならない。
何が、どうなっているのか。状況が飲み込めず、ただただ混乱で頭がいっぱいになる。
そうこうしている内に、泥の中から伸びる腕は万力の如き力で明華の両腕を締め上げていく。そして異音を立てて腕の形が歪む。折り砕かれた。
激痛に声も出ずただもがき苦しむ。力を失った明華の手から苦無が滑り落ちた。
このままでは死ぬ、死んでしまう。
迫る死の恐怖に足が
有り得ない。有り得ない有り得ない有り得ない、こんな事は嫌だ。
だって、クオンとようやく仲直りしたのに。
こんな事は。こんな、こんな、終わりだなんて、誰か。
「た」
自分でも驚くほど、震えたか細い声。
怖い、怖い、誰か。
「助けて……」
振り絞り出した精一杯の声。
助けを求めたのは、いったい誰に対してだったのか。
それを理解するよりも先に。
全ては一瞬だった。
その一撃は痛みを感じる時間さえ与えず、悲鳴も上げられなかった。
貫いた槍の重さに耐え切れず、背中から倒れ込んだ。
無数の腕がそのまま泥の中へと引き
―――。
名前を呼んだ気がした。それももう誰も名前だったのか思い出せない。
記憶も意識も歪み崩れて、全てが
命でさえも。
半分が欠け、色と光を急速に失い暗くなっていく視界の中、空に浮かぶ月が見えた。
あぁ、綺麗な、月が――。
最後にそんな他愛もない事を、ぼんやりと思った。
そうして、明華の意識は深い闇の底へと落ちていった。
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