第参拾参話 月下の骸骨武者

 夕飯を終えた後になってもガランは帰ってこない。

 山の中での一件から既に数時間が経っている。

 ソラを縁側に残してあいつはいったい何処に行ったのやら。


 まさか先に山を降りた蛇乃目に、と考えたところでかぶりを振る。

 もしそうなら山にいるうちに仕留めていただろう。俺は満身創痍まんしんそういだったし、他に阻む者もいなかったのだから。

 あいつが出歩く場所など大体限られている。学校か、商店か、恐らくはその辺りにいるだろう。

 明華あすかには出歩くなと釘を刺されてはいるが、仕方がない。ガランを探しに出かけるとするか。


 だがその前に。やっておかなくてはならない事がある。

 台所で片付けをしているソラに話しかけた。


「ソラ、足はもう大丈夫みたいだな」


「うん、何ともないよ」


 そう答えながら夕飯の片付けをするソラの足取りは、確かにしっかりしたものだ。

 数時間前にそれが切断されまた繋ぎ直されたなど、説明しても誰も信じまい。


 傷も残さない完全な接合。それは果たしてどのような異能によるものなのか。

 純士は今は風呂だ。話を聞かれる心配はない。

 今のうちに釘を刺しておかないと。


「ソラ、足の事やあの広場であった事は、純士さんには内緒だ。話しちゃ駄目だ」


 夕食の最中は俺が上手くはぐらかし、何事もなかったかのように言い繕った。

 俺の見ていないところでうっかり喋られては拙い内容だ。


 ソラは嘘をつけない。いや厳密には、自分で考えて嘘がつけない。

 だから知られたくない事実がある時は、嘘を教え込むか黙っているよう言い聞かせておくしかない。


「話しちゃ駄目なの?」


「ああ、心配をかけてしまうからな。約束だぞ」


「うん、約束だね。分かった。お父さんには話さないから」


 よし、これでまず一つ目の懸念けねんは解消出来た。


「それはそれとしてで、教えてくれソラ。ソラが足を繋げる時に使った異能、あれは一体何だ。櫃木ひつぎの異能は《内包》じゃなかったのか」


「うん、櫃木の異能は《内包》だよ。でも私の異能は《接続》」


「《接続》?」


 聞いた事がない異能だ。それに御八家の血筋の人間が別の異能を宿すなど、父上からも聞かされた事がない。


「それはどういう異能なんだ。そして」


 どんな呪いを宿すものなのか。もしその《接続》という異能が御八家由来のものであるなら呪いがある筈だ。もしかしたら。


 もしかしたら、ソラの心がおかしくなった原因は、その呪いにあるのかもしれないのだから。


「《接続》は、繋ぐ力。異なるものを繋ぎ、一つにするもの」


「繋ぐ……。切断された足を治したように、分かたれたものを戻す事が出来るのか」


「《接続》は一つにする異能だよ」


 認識に齟齬そごがある気がする。ここは一度実践じっせんしてみてもらおうか。


「ソラ、その異能を使ってみせてくれないか」


「うん、いいよ」


 そう言ってソラは手にしていた二つの食器を見せる。大きさも柄も違うそれが淡い光を放ったかと思った時には、一つの食器へと変化していた。

 大きさは元の二つの中間、がらは二つのものが混ざり合ったものになっている。


「なんだ、この異能は……?」


 ソラの手からそれを受け取り、手触りや見た目を何度も確かめる。

 大きさや柄もだが、色艶いろつやまで双方の特徴を受け継いでいる。

 まるで元からそうであったかのように、違和感なく完成された混ざり物が出来上がっていた。


 成る程繋ぐ力とは言うが、実際には二つの異なるものを一つのものへ再構成する力といったところか。

 足を治したのはあくまで応用で、こちらが本来の用途という事だろう。


「これ、元には戻せないのか」


「戻せないよ。ずっとそのまま」


 流石にそこまでの自由度はないのか、それともソラがこの異能の扱いに慣れていないのか。

 どちらか判断は付きにくいところだが、改めて見せてもらった事で確信した。

 世界の理を捻じ曲げる力。他の異能よりもさらに特異な力。これは間違いなく御八家に連なる異能だ。

 ならばやはり呪いは存在する筈だ。


「ソラ、この異能の呪いを知っているか。この異能は、お前の一体何を歪めているんだ」


「呪いって何? 歪めてるってどういうこと?」


「知らないのか、この異能の事を何も」


 それとも教えられていないのか。


「教えられてるよ。お父さんが言ってた、これが結女の巫女が持つ本当の――」


 そのソラの声をさえぎるように、夜の村に異様な叫びが木霊こだました。

 人のものとは思えない獣の如き吠え声。なんだ、今の叫びは。


「ガラン、か?」


 自分でそう言って、違うとかぶりを振る。以前聞いたガランの咆哮ほうこうに似ている気はしたが、ガランのものではない、筈だ。

 村で何事か起きているのかもしれないが、縁側からでは木々が邪魔で村は全く見えない。石階段の辺りまで出て行かなくては。


「クオン君、今奇妙な声が聞こえませんでしたか」


 風呂場から純士の不安げな声が聞こえてきた。やはり探しに行くべきか。


「純士さん、少し見てきますから、家の中にいて下さい!」


 ガランではないとしても、あの咆哮の主が気になる。

 傍に置いていた刀を手に取る。鞘は蛇乃目との戦いで粉砕されたので、今は応急処置として刀身に布を巻き付けている。

 あれだけ触れる事を嫌っていたこの刀を、こうも手放せなくなるとは。


「ソラ、俺の後ろに隠れていろ。絶対に離れるな」


「うん」


 この場に残すべきかとも考えたが、見えていない所にいては守る事も出来ない。

 例え危険を伴うにしても、まだ傍にいる方が安全だ。


 ソラを連れて神社の正面へ駆け出す。

 あの咆哮が聞こえてから生物の鳴き声が一切聞こえない。咆哮の主に怯え隠れ潜んでいるのか。

 だがその代わりに聞こえてくるものがある。

 人の怒声だ。


 石階段の上から村を見渡す。此処なら村がある程度一望出来る。

 暗い村の中を無数の明かりが移動している。

 何かを追うように。


 数時間前に別れた明華や、武装した繭里まゆり達の事を思い出す。

 彼女達は夜に見回りをして何かを警戒していた。その何かとは、もしや先程の咆哮の主の為か。


 視界の先で明かりとは違う、銀光が弧を描くのが見えた。そして微かな火花も。

 戦っているのだ。何かと。

 だが此処ここからでは遠すぎて全容を把握できない。下へ降りてみなければ。


 ソラを連れて石階段を駆け下り、辺りを見渡す。

 剣戟けんげきは先程見た位置から移動している。逃げながら戦っているのか。


「クオン、あそこ」


「なんだ、何かいたのか」


「うん。ガラン、あそこにいるよ」


「ガランが?」


 ソラが指差す場所へ視線を向けると、確かに此処ここから少し離れた暗がりで大柄の何かが動いている。

 ゆっくりと近づいてみれば、そこに在ったのは月明かりを受けて輝く鎧武者の如き姿。確かにそれは一見するとガランのように見えた。


 だが、ガランではない。


 月光に照らされたその姿は確かにガランに似ていたが、細部の形状や角、それに色が違った。

 ガランの紅蓮ぐれんの炎を思わせる赤ではなく、薄汚れたようなどす黒い茶色。

 長い棒きれのような物を持ち、何かを探している様子だった。


「何だ、お前は」


 声をかけた瞬間。


 ぐるりと、ふくろうを思わせる動きで首が曲がった。

 その動きはあまりに異様で、ガランのような人間らしさの欠片もない。

 よく見ればそいつの身体はやせ細り、骨が鎧を着ているような有様だった。

 鬼武者を想起させるガランとは打って変わってこれでは骸骨がいこつ武者むしゃだ。

 そして手にたずさえていた棒きれと思っていたそれは、骨らしき物で組み上げられた槍だと気付く。


 髑髏どくろのような落ちくぼんだ眼孔がんこうからのぞく目が俺達をとらえる。

 月光の下でぼんやりと輝く目を見て、伝承の事が脳裏を過ぎる。

 その瞬間、そいつの顔が崩壊した。

 いや、崩れたと思うほどに破顔はがんしたのだ。口を裂けたように大きく開き、目を細めて。


呵呵かか


 金属質で耳障りな音が響く。それは目の前の何者かが発している音であり、そしてこれは。


呵呵呵呵かかかか!」


 これは嘲笑ちょうしょうだ。こいつは俺達を見て嘲笑あざわらっているのだ。

 そこで気付いた。

 こいつの、俺達を見る目に宿るもの。

 この夜よりも暗く、獣の骸よりも血生臭い、悪意。


 俺は、この悪意を知っている。

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