第参拾陸話 伝承の真実

「……なんだと? それは、どういう事だ」


「鬼は生きていると言っているのだ。確かにこの村には鬼が現れ、人が食われ、そして我等の先祖が退治の為にやってきた。そこまでは本当だ。だが鬼は退治されていない。伝承の人食い鬼共は、今もこの村にいる」


「馬鹿な、この村の一体何処にそんなものがいる。一度とてそんなものは」


 そこまで言って脳裏に昨日見た奴の事が思い浮かんだ。

 もしや、あれが人食い鬼だったのではないか。

 あの異形、あの悪意、人に害為す怪物であるのはまず間違いない。


「……付いて来い」


 黙り込んだ俺を余所よそ御館様おやかたさまは歩いて行ってしまう。恋路れんじ明華あすかの遺体を見つめたまま、動く様子はない。

 警戒は解かずに刀に手は添えたまま、渋々しぶしぶながらついていく事にした。


 遺体が安置されていた場所からさらに奥、明かりもついていない部屋へと入っていく。

 不意打ちを警戒して辺りを見渡していたが、その部屋の一点から奇妙な気配を感じる事に気付いた。


 何かがある、いや居るのか。


 それが何か、部屋の明かりを付けられ目の当たりにしても理解が追いつかなかった。

 そこにもむくろがあった。だがそれは壁に鉄のくい四肢ししを打ち付けられた上、首はねられていた。


 明かりを受けてにぶく光る金属のような肌。

 人に近しいがいびつゆがんだ長さの異なる四肢。

 そしてまるで鎧武者をかたどったかのような外骨格。


 首はその骸の前に置かれた台座の上にあった。

 最初はかぶとかと思ったが、開いた口からのぞく銀色の歯や舌を見て、それが中身の詰まった生物のものなのだと理解した。

  こんなもの、およそ人間とは言えまい。


「これは、何だ」


「言っただろう。これが鬼だ。夜な夜な村へと現れては人を食らう、悪しき化物だ。金属に類似した物体で出来た肉体を持ち、人体に似た身体構造をしている、人と同等の知性を有する、人ではない異形の者共だ」


 俺はこれを知っている。鎧武者の如き外見に、頭の角、金属質の肌。

 ガランや昨日見た骸骨武者、それらとこれはまるで同じものだ。


「こんな生物が、人知れずこの現世うつしよに生きているというのか」


 こんな存在をこの村に来るまで見た事がなかった。なのに何故考えなかったのか。

 ガランのような存在が、他にもいるのではないかと。


「この世の者ではない。この世ならざる地永夜とこよから現れた、異界の住人だ。……伝承の真実を話してやろう」


 異形の骸を見上げながら、御館様は朗々ろうろうと語りだした。


「かつて、この地と永夜とこよとを繋ぐ道が開かれた。その道を通って異界の住人、我等が呼ぶところの鬼が現れた。その強靭きょうじんな身体をもって鬼達はこの地をまたたく間に血の海に沈めた。そして鬼の噂を聞きつけ、我らの先祖はこの地へとやってきた」


 語られた内容は純士から聞いた伝承の通りだ。

 ここまでは。


「ここまではいい、伝承の通りだ。だがこれより先が真実とは異なる。……助けに来たのではない。鬼の特殊な身体や特徴を知った奴等は、やすには惜しいと考えたのだ」


「特殊な身体や特徴、というのは何だ」


「そう急くな馬鹿者め、話している最中だ。特殊な身体というのは、金属に類似した性質を有する点だ。人工物のごと頑強がんきょうさと剛性を有しながら生物の如き柔軟性をも有する。加工次第で現存する金属を上回る非常に価値あるものだ。お前の持つその刀」


 そう言って俺のたずさえた刀を指差す。

 父上から送られてきたというこの刀。薄気味悪い気配を持つとは思っていたが。

 まさか。


「それもその一つだ。赤い刀身、それは鬼の骨の髄を溶かして精製した金属、御霊鋼みたまはがねを鍛え上げたものだ。我々も類似した武具を持っている。鬼の皮膚を貫ける金属などそう存在はせんからな」


「御霊鋼……」


 知らない間にそんなものを持たされていたとは。


「おれいこうとも呼ぶ。明華や繭里まゆりが持っていたのを見た事はないか」


 言われてみれば。確かに明華や蛇乃目じゃのめも赤い刀身の武器を携えていた。

 恐らくは繭里や恋路が身につけていたものも同類のものなのだろう。


「そして奴等にはその身体とは別に二つの特筆すべき力があった。一つは異能のない者には姿が見えない事。そしてもう一つは、人の知識や経験、力を奪える事だ」


「知識や経験を、奪う? 異能のような力があるのか」


「そうではない。もっと単純で原始的な方法だ」


 そう言うと御館様はふところから赤く細長いくいを取り出し、台座に置かれた生首の口へ無造作に押し込みこじ開けた。

 その首の主の血が乾き固まったものか、口の中はどす黒い紅で満たされていた。


「喰らうのだ。人間をな。皮膚を裂き、骨を砕き、血肉を喰らい、脳をすする。そうして吸収し己のものとする。まるで元より己のものであったかのように。それが奴等の力だ。他者からただひたすら奪い取る、怖気おぞけの走る悪辣あくらつさよ」


「それなら明華達を食った鬼は、彼女達の知識を得ているという事なのか。そんなものが、今もこの村の何処かに潜んでいるというのか」


「食われたのは明華だけではない、守人と村人合わせて十数名が既に奴等の腹の中だ。箝口令かんこうれいを出しているうえ、余所者のお前には話も届いてはおらんだろうがな」


 そう言われて、以前見かけた不審な空家を思い出す。

 おかしな家だとは思ったが、あの家の主は鬼に食われたのではないか。


「話を戻すぞ。我等の先祖共は鬼共を保管しておく事にした。異能を駆使しこの地へと封じ込めたのだ。それが今より五百年も前の出来事。その長い年月の間、村人はこの地に鬼が眠っているとも知らずに生活していたという訳だ」


 村人達には封印の事を知らせず、退治したと嘘を教え込んだのか。

 本家らしい悪徳あくとくぶりではあるが、まさかそこまでとは。


「そして封印のかなめとなるもの。それこそがあの櫃木ひつぎ神社じんじゃにそびえ立っていた御神木ごしんぼくと、その御神木そのものに封じられていた鬼の王だ」


「いや待て、御神木の元に眠っているのは、人々を助けた人鬼という存在ではないのか。封印されているのは、本当に人食い鬼なのか」


「馬鹿者が、人に与する鬼がいるものか。異能により縛り付け操っていたに過ぎん」


「それならガランは、ガランも人食い鬼なのか」


 あいつも五百年前にこの地へ降り立ち、人々を食らっていたというのか。

 当時の村人達を遺体とも言えない残骸にしていたというのか。

 あの明華達のような、無残な姿に。


「これまでの話を聞いていて今更いまさら何を言っている馬鹿者め。そうとも、お前がガランと呼ぶ存在こそ、かつてこの村を襲った災厄さいやく、人を食う鬼共の一匹……いや、王とうたわれた者だ」


 鬼の王。

 あいつが、ガランが?


「は、ガランが鬼共の王だと。とてもそうは見えないが」


「今はそう見えるが、理由は見当がつく。鬼の多くは長い封印による飢餓きがで弱り、いつ終わるとも知れぬ闇の中で狂気に陥ったのだ。如何いかに強靭な肉体を持っていようとも、それを扱える知性がなければ仕留めるのは容易い。だが」


「ガランは違った、か」


「奴は五百年の封印をものともせず、封印された当時の力をそのまま残しているらしい。どうやら記憶は失っているようだがな。あまりに驚異的な力を持つがゆえに、何十年かに一度、再封印を施してきたという。その者を結女ゆいめの巫女、そして封印を御役目と呼んでいる。聞いた事があるだろう、村人が櫃木ひつぎの者を結女と呼んでいるのを」


 確かに村人は一様にソラを結女様、巫女様と呼んでいた。俺自身、いつの頃からかソラをそう呼ぶよう教えられていた。

 櫃木がこの辺鄙へんぴな地に本家を構える理由もそこにあるのだろうか。


「……伝承は理解した。鬼がこの村に潜んでいる事も、鬼がどんな奴等かもな。その上で聞くが、巫女によって封印されていた鬼共が再び動き出した理由は、お前達の仕業だな」


 俺の問い、いや確信を持った断言に、御館様は口を歪ませて笑う。


「ああ、その通りだ。我々が御神木に封じられていた鬼の頭を解き放ち、それによって村中の封印が解かれた」


「目的は何だ。五百年前の再現になるかもしれない、人が喰われて死ぬかもしれないと分かっていただろう、何故こんな危険な事を為出しでかしたんだ」


 そうまでして、いったい何を――。


「本家を滅ぼす」


「…………はぁ?」

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