第参拾壱話 きっと明日には
俺は
今の問答で蛇乃目の目的が見えたからだ。
それにさっきは息巻いてみせたが、蛇乃目を止められる自信は、正直ない。
先程の奴は実力を出し切っていない遊びの動きだった。もし奴が本気を出せば止める止めないどころの話ではない。
そして、俺の心臓もこれ以上の戦闘はもたない。
奴の事は一先ず後回しだ。
振り返ると、俺と同じように蛇乃目を見送った
蛇乃目の傍若無人ぶりに振り回されて困惑を隠せない様子だったが、俺を見た瞬間何故か気まずそうに視線を逸らした。
だが一瞬見えたその物言いたげな視線から、俺はある確信を得た。
「ガラン、ソラと一緒に先に帰っていてくれないか」
「クオン殿はどうされるので御座るか」
「俺は明華と話がある」
その言葉にガランが俺と明華を交互に見やる。大丈夫なのかと言いたげな様子に、
「すぐに帰る。だからソラを頼んだ」
「……任された」
多くは聞かず、ガランはソラを抱えて神社へと帰っていく。
しかし途中で急に立ち止まったかと思えば、半歩振り返りこちらを見た。
硬質的で人とは似て非なる顔。それでも神妙な面持ちである事は見て取れた。
「クオン殿、一言だけ言っておくべき事があるで御座る」
「どうした」
「拙者、ソラ殿の事を嫌いにはならぬで御座るよ。ソラ殿が何故このようになったのかは知らぬ。だがしかし、クオン殿がソラ殿の為に何かを成そうとしている事、それにソラ殿がクオン殿が言うように本当は優しき御仁である事、それは拙者にも分かる。信じられよ、拙者はお二人を裏切らぬ」
そう言ってガランは笑ってみせた。
何を。何を言い出すのかと思えば、こいつは。
「……ああ、ああ。ありがとう、ガラン」
「うむ」
ガランは頷くとそのまま山を降りていった。
「あ、それじゃあてぃしもここいらでお
居心地悪げにしていた
姿を消した後も
残されたのは俺と明華だけ。周りには他の誰の気配もない。
明華は帰る様子もなく視線を
それは俺が話しかけるのを待っているように見えた。
「明華、話をしたい」
「……なにを」
今なら明華とちゃんと話が出来そうな気がしたのだ。
今俺を見ていた明華の視線は懐疑的ではあったものの、先程まで敵意あるものではない。
「お前は何故今此処にいる」
「あたしは蛇乃目に、あんたが簾縣を殺しに森に入ったって聞かされて付いて来ただけ」
「なら何故さっきは蛇乃目に加勢しなかったんだ。お前が戦いに加わっていたら一分の勝機もなかった」
「加勢しなかった訳じゃ……。それになんか、分かんなくなっただけよ。あんたのこと、自分がどう思ってるのか。なんか変なのよ。あんたは夜宵を裏切った。それが憎くて憎くて仕方が無かった。その筈だったのに」
どういう事だ。
その言動や視線からは先日までの暗い負の感情が感じられない。
まるで憑き物が落ちたように大人しくなってしまった。
明華の心情が変化するような事があったのだろうか。
少なくとも俺自身に心当たりはない。俺が見ていない所で何かがあったと見るべきか。
「もう一度言う。俺は本家の刺客なんかじゃない。俺がこの村に来たのはソラの為だ。……ソラは、壊れている。壊れたままで今まで生きてきた。だけど本当は、本当のソラはそうじゃないんだ。何かが原因でそうなってしまっているだけで。だから俺はソラを元通りにしたい。その為に来た」
「それが、
「そうだ。その事については、済まないと思っている。だが、これは俺の為すべき事なんだ。誰かに任せて残してはおけない」
もう一つ。明かしておくべき事がある。
人に話すのはまだ
「話しておかなくてはいけない事がある。見ろ」
ひと呼吸し、上着の胸元をはだけた。
「え、ちょっと待って待って」
「恥ずかしがらずにちゃんと見ろ」
唐突に胸元をはだけた俺から目を逸らす明華。恥ずかしがるのは普通こちらなのでは。
ともかく、そうして俺の胸にあるそれを見せた。
「……それ、
「痣のように見えるが、これは体の内側から染み出している。心臓からな」
穴のようにも亀裂のようにも見える黒い痣。今の俺の胸を切り開けば、黒く変色した心臓が脈動しているのが見えるはずだ。
これが現れだしたのはおよそ半年前。最初は
「どうも俺の心臓は俺に似て不出来だったらしい。日常生活を過ごすだけなら問題はないが、異能を使いすぎると不調に陥ってしまう。いつまでこうして動けるかは分からない。次第に衰えて動けなくなっていくのか、それともある日唐突に止まるかもしれないんだとさ」
「いや、あんたそれは心臓っていうか……え、どういう事……?」
「本家掛かり付けの医者にも見当がつかんそうだ。血筋特有の病気ではないかという話だがな。前例がなく治療のしようがないらしい」
臓器移植という医療技術もあるそうだが、果たして心臓を取り替えたところで治るものなのかどうかも分からない。
それに心臓は異能使いにとって異能発動の鍵とも言える器官だ。その鼓動を、脈動を起点として俺達の異能は発動する。少なくとも俺はそう教えられて育った。
その心臓が別人のものになってしまったら、俺はきっと異能を発動できなくなってしまう。
一族の中でも異能の力が特に低い俺だが、これを失ってしまう訳にはいかない、気がするのだ。
失ってしまえば、守る事も救う事も取り戻す事も、何もかも出来なくなってしまう気がしたから。
「父上は俺の生い先が短いと判断し俺を勘当した。俺の妹が本家に呼び戻されたのは俺の代わりを務める為だ。だから俺は、もう御剣とは関係ない人間だ」
父上は正しい。いつ死ぬとも分からない俺なんぞを次期当主になど。
紅瞳には悪いが、あいつは俺よりも出来がいい。きっと上手くやっていけるだろう。
「俺にはもう時間がない。俺は、残された全てを賭けてソラを自分の感情を持てる元の女の子に戻すつもりだ」
拳を強く握りしめる。
いつかこの手は何も掴めなくなる。
その前に、絶対に。
「あの子を、人形だなどと呼ばせない」
明華は唇を噛み締めて俺の胸の痣をじっと見つめていた。
苦渋の表情を浮かべている理由は果たして後悔か憐憫のどちらなのか。
もしくはどちらでもあるのかもしれない。
「そっか、あんた死んじゃうのか。そっか」
その言葉の意味を噛み締めるように言う。つい先日その口で俺を殺すと言ったばかりだろうなどと言うのは野暮か。
千鎖の人間はその呪い故に感受性が強く感情を隠すのが下手だ。
明華が悲しげな表情をして悔やむような事を言ったなら、それは本心からのものなのだ。
自分達の事ながら、歪で悲しい血筋だと思う。
「ああ。だから、
「どうだろ、あんたのこと本当に欲しがってたのは、千鎖本家じゃなくって……」
はっきりと言う性質の明華にしては珍しく口ごもる。
その様子は怖れ、だろうか。
一体何を怖れているのかまでは判断出来かねるが。
「あんたの事、どう思ったらいいのか分かんなくなっちゃった。今日のついさっきまであんたの事憎く思ってた筈なのに。今はもうそうでもなくって、そういう気持ちがどっか言っちゃった感じ。なんか変なの」
本人の言う通り、憑き物が落ちたような表情の明華を見て思い出す。
初めて会った時の彼女も、こんな風にはにかみ俺を引っ張って行ったのだ。
屋敷の中を散策して、時には守人にしかられて。いつも物陰に隠れていた夜宵さえも巻き込んで三人で遊んで。
明華をまるで実の姉のように慕い、遊んだ日々の記憶。
「お前はやはり険のある表情より、笑っている方がいい。その名によく似合う」
何気なく言っただけなのだが、明華は目を白黒させるとおもむろに吹き出した。
「そういう気障な台詞、あんたには似合わないわ」
「そうだな、こういう台詞は俺よりも恋路の方が似合っている」
「かもね。……あのさ、あたしから
「分かった、待とう。俺はお前を信じる。俺の言葉を信じてくれたお前を」
そうして二人で村へ戻る道中、暫しの間ではあったが昔話に華を咲かせた。
初めて会った時の事、彼女の妹の事、世継ぎが妹へと移った時の事、俺と妹の婚約が決まった時の事、俺が勘当された時の事――。
話せなかった多くの出来事を、俺は明華と共有した。
神社へ戻ると石階段の前で明華の守人が待っていた。
先日見た
「それじゃ、また明日ね。夜中は出歩いちゃ駄目よ、危ないんだから」
「ああ、また明日」
そう言って彼女達を見送る。
明日。明日からだ。
御館様一派からの邪魔もなくなる、いやむしろ手助けを乞う事も出来るかもしれない。そうなればソラが元通りになる日も早くなる。
明日になればきっとうまくいく。
その筈だった。
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