第参拾話 彼女が失ったもの

 ソラが見下ろすその視線の先に、彼女の右足はなかった。


 膝から下が斜めに切り落とされ、それだけが地面に立っていた。

 まるで脱ぎ捨てた長靴のようだと場違いな事を考えてしまったのは、あまりに衝撃的な光景だったからか。

 切断面からは血が溢れ、ソラの体と此方花おちばなを赤く染めていく。


「ソラ!」


「……? ……?」


 返事はない。だが死んでいるわけではない。

 自分に何が起きたのかまだ理解出来ていないらしい。

 切断された足と切断面を交互に見ながら首を傾げている。

 その様子はまるで他人事のようで、蛇乃目じゃのめの仕掛けた悪趣味な冗談なのではないかとさえ思えてくる。


「そ、ソラ殿大丈夫で御座るか、痛くは御座らんか!?」


「え、うん、痛いよ。早く右足、くっつけないと」


 全く痛がる素振りも見せず普段と変わらない様子で答えるソラ。

 そんな彼女を見て、さしものガランも息を呑んだようだった。

 無理もない。

 自分の足が切断されたというのに、泣き叫びも痛がりもせずにいつも通りの様子を見せられればそうもなる。


「く、クオン殿、どうすれば、どういう、拙者どうしたら良いので御座るか!?」


 俺が避けずに受けていれば。ガランが身を盾にして守れば。

 いや、どちらにせよあれほどの一撃を防ぐ事は無理だったろう。体を分かたれる人数が増えるだけだ。

 俺がもう少し警戒して、周りが見えていればあるいは。

 待て待て今はそんな事を考えている場合か。

 駄目だ冷静になれ。今は何をするべきなんだ。


「クオン殿!」


「黙れ今考えてる!」


 思わず怒鳴り声を上げていた。自分の不甲斐なさに泣き出してしまいそうだった。

 何をしているんだ俺は。

 そして冷静さを欠いているのは俺だけではなかった。


「蛇乃目、あんたなんて事してくれたの! 結女の巫女にもしもの事があったらどうするの、あたし達の計画に不可欠なのよ!」


「そう怒鳴りなや。あんぐらいじゃ死なへんし、あの娘やったら大丈夫やわ」


 怒るというより焦った様子の明華あすかが蛇乃目に詰め寄っていた。

 対する蛇乃目は悪びれた風でもなく、わめく明華からわずらわしげにそっぽを向いている。


 気になる話が聞こえたがそれどころではない。今はソラの治療が先決だ。

 まずは止血して、それからガランに抱えてもらって村まで降りるか。

 いや時間がかかりすぎる。それにこの村の医術で果たして切断された足を元に戻せるだろうか。


 そんな俺の危惧きぐなど露知らず、ソラは自分の右足を拾い右足と切断面とを交互に見ている。

 その様子はまるで他人事のようで、壊れた人形のそれを見ているようだった。


「右足、くっつけないと」


 そう言ってソラは拾い上げた右足をおもむろに切断面に押し当てた。

 そんな事をしても当然切断された足が付く訳が無い。


 筈だった。


「おい、ソラ……?」


 合わされた切断面。そこから異能の発動らしき光が漏れ出したのだ。

 またたいていた光が消えたかと思えば、つい一瞬前まで切断されていたようには見えないほど綺麗に傷は消え去っていた。


 しかもただ傷が消えただけではない。

 繋がった足がぴくりと動く。神経さえ繋ぎ直されているというのか。


 どういう事だ。今ソラは確かに異能を使った。

 だがそれはおかしい。ソラの、櫃木ひつぎの家の異能は《内包ないほう》、物質を別の物質の中に封じる力の筈だ。

 決して切断された物を再び繋ぐなどという使い方は出来ない。


「もう大丈夫、ちゃんと繋がったか、ら」


 繋がった足を確かめるように動かし、立ち上がるソラ。

 だが立ち上がった瞬間、糸の切れた人形のように不自然に体を傾け倒れかけた。


「ソラ殿!」


 慌ててガランがその体を抱きとめ声をかけるが、動く様子はない。

 死んでいる訳ではない。気絶しているだけだ。


「取れた足繋げただけやしなぁ。出血して血が足らんくなってるところで急に立ち上がったりするもんやから意識失うたんやろ。まぁしばらくしたら目ぇ覚ますわ」


 そう言う蛇乃目の声がやけに遠いと思えば、いつの間に回収したのか野太刀を担いで村の方へ歩いていくところだった。


「おい、待て蛇乃目。何処どこへ行くつもりだ」


「何処って、帰るんやけど?」


 え、と言う驚きの声が上がる。明華と簾縣すがたの二人だ。

 それはそうだ。つい先程まで俺の事を仕留めんとしていた筈の蛇乃目が、唐突に帰ろうとしたなら驚きもするだろう。


「こんな事を為出しでかして、のこのこ帰れると思っているのか」


 刀を拾い上げる。いつでも斬り掛かれるように。


「思うてるで。あんたが簾縣殺しに来たもんやと思うてたんやけど、どうも見当違いやったみたいやしなぁ。堪忍や、堪忍」


 それは嘘だ。

 先程蛇乃目は間違いなく俺ではなく、その背後にいたソラ目掛けて野太刀を投げた。

 俺がかばう事を踏まえたうえでの行動かとも考えたが、投擲直後の蛇乃目はしてやったりというような笑みを浮かべていた。

 そしてソラが負傷し、それを異能で癒した事を見届けたらすぐに帰ろうとした。


 そこから考えられる事は一つ。

 こいつが此処に来たのは簾縣に危害を加えんとしている俺を捕える為ではなく、はなからソラを傷つける事が目的だったのではないか。


 だがそれは一体何故だ。蛇乃目の魂胆こんたんが見えない。

 御館様おやかたさま一派にとってソラは彼らの企みの重要な要素、少なくともその一部なのではなかったのか。

 現にソラが傷ついたのを見た明華達の狼狽うろたえようは、完全に想定外の事態に直面した時のものだ。


「それに結女の足はちゃんと付いたんやからええやろ」


「いい訳があるか、そんな」


「それにその子」


 こちらの言葉を遮るように喋る蛇乃目の表情は、それは。

 表情は何だ。


「心、あらへんのやで。喜びも怒りも哀しみも楽しみもない。人間のふりした人形や。なんも感じひん人形なら、壊そうがどうしようが構わへんやろ」


 ああ、そうか。

 こいつは知っているのだ。ソラの心の異常を。


「蛇乃目とやら、その言いようはあまりにも……!」


 今まで黙っていたガランが声を上げる。あれだけ慕っているソラの事を無下にされれば怒りもするだろう。そのガランを制止する。


「待て、ガラン。……蛇乃目の言っている事は本当だ」


「クオン殿……?」


 何を言っているのかと問うガランの視線と、細められた蛇乃目の視線とが俺に刺さる。


「なんや、やっぱ知ってたんかいな」


「ああ、知っている。知っていて、俺はこの村に戻ってきた」


 十年前のあの日から、俺は知っていた。

 知っていて、一度は逃げたのだ。


「ソラには、心がないんだ。今のソラは、何の感情も持っていない。感情が希薄だとかそんな生易しいものじゃない。ソラは何にも感じていない。蛇乃目の言う通り、喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみさえも。それを感じる事はないし、理解も出来ていない」


 空っぽなのだ、ソラは。

 

 心此処に在らずという言葉があるが、ソラの心は本当に此処ではない何処かへ行ってしまったのかもしれない。


「し、しかしソラ殿は拙者の話を聞いて笑ったり困ったりしておった。感情が無いなど、到底思えぬ」


「それは『そうする事が普通だから』だ。周りを見て真似ているだけだ。その時どういう表情をすればいいのか、どんな事を言えばいいのか、教えられた通りに動いているだけだ」


「薄気味悪い……あ、やぁ、えっと」


 そう呟いたのは簾縣だった。彼女は俺達の視線に気づくと口を押さえ俯く。

 失言だったと思うくらいにはまだこいつには良心があるらしい。

 まぁ、そう感じるのは当然だ。誰だってそうだろう。

 何も感じない、何も思わない人形のような心の少女が、それとは分からぬよう周りの人間と同じように振舞っているのだから。

 人間のふりをした人形など、嫌悪感を抱いて当たり前だ。


「だがなガラン、信じてくれ。本当のソラは、泣いたり笑ったりする普通の女の子なんだ。その筈で、今がおかしなだけなんだ。だから、ソラの事を嫌いにならないでやってくれ」


「嫌いになど、なる筈がないで御座ろう。ソラ殿はソラ殿で御座ろう。それにいくら人形のようであっても、ソラ殿は人形ではなく人間で御座る。本当に空っぽの人間であれば、あんな美味い飯は作れんで御座るよ」


「……そうか、そうだな。すまん」


 その答えに安堵する。

 俺はガランの事を見縊みくびっていたのかもしれない。

 こいつは俺が思っている以上にソラを想ってくれている。


「ふぅん。あんたはそういう選択をするんやねぇ。それやったらええわ。あんたが分かっててそうしたいんやったら好きにしたらええ」


 どういう意味だ。

 そう問おうとするも蛇乃目はもう俺の方を見ていなかった。


「知りたい事知れたし、それじゃうちは帰るわ」


「ちょっと蛇乃目、っ。なんで殴るのよ!」


「いつまでもからや。はよ目ぇ覚ましや」


 引きとめようとする明華の頭を軽く小突くと、蛇乃目はそのまま歩み去っていく。

 本当に帰っていってしまった。

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