第弐拾玖話 両断

「はよ、構えなや。あんたの相手はうちや」


 蛇乃目じゃのめはそう言って手招きした。


 一対三、初めはそう思い警戒したが他の二人が加勢する様子はない。

 明華あすかは蛇乃目だけで十分と考えているのか、で動こうとしない。

 簾縣すがたは先程から右往左往している姿を見るに、事情が分からず攻撃に加わっていいものか混乱しているのか。

 蛇乃目の言葉通り一対一という訳か。それならばまだ勝機はある。


 刀を手に取り、だが抜刀はせずに構えた。

 蛇乃目は少し拍子抜けした表情を浮かべたが、すぐさま野太刀を構えた。

 長大な野太刀を左手だけで構えて、きっさきを俺とは真逆に向け、残る右手を柄ではなくみねに這わせている。

 不可解な構えだ。野太刀を横薙ぎに振るう姿勢にも見えるが、右手の位置がおかしい。


 それにしても、あれほどの野太刀なら重量も相当なものの筈だが、蛇乃目は難なくそれを片手で保持している。

 この女、見た目ほどやわではないという事か。


 最初その野太刀を見た時、長さを生かした突きや薙ぎ払いを主体とした剣術を使うのかとも思ったが、刀身の反りが大きく突きには不向き。

 足捌あしさばきも一気に踏み込み距離を詰めるようなものではないうえ、あの奇妙な構えだ。

 どういう剣術だ。


 蛇乃目は動く様子はない。どうやら俺が仕掛けるのを待っている。 

 後の先を狙っているのか。

 ならばえて誘いに乗ってやろう。


 蛇乃目の眼前目掛けて地を駆けた。

 接近する俺を迎え撃つべく蛇乃目が野太刀を振り払わんとする。あれだけの野太刀、受け止めようものなら刀ごと断たれるのは必至。

 だが振りが遅い。

 それより先に間合いへ入ると、さやに納めたままの刀で奴の鳩尾みぞおち目掛け疾走の勢いをつけた突きを見舞う。


 その時、蛇乃目が笑った。


 奴の持つ野太刀が蛇のようにうねった。 

 そう錯覚する程のたくみな太刀捌きで刀を絡め取られ、手から弾き飛ばされる。

 野太刀の柄と鋒に添えられた手、それが野太刀にそのような動きを可能とさせたのか。


 咄嗟とっさに《切替》を発動させ、刀は俺の手元に戻った。

 刀を弾いたのは野太刀の刀身ではなく、その長いつかだ。

 剣術ではない、これは棒術か、それとも槍術の類か。


 武器が刀なら剣術に類する動きをする、その思い込みを突き不意打ちで仕留める戦い方か。

 野太刀の扱い難いふところへ潜り込んだつもりだったが、この扱い方ならば本領はこの間合いか。


 刀を弾き、無手となったところを両断する、又はその柄であごなり首なりを砕く戦法なのだろう。

 その戦法が蛇乃目家に伝わるものなのか、それともこの女独自のものなのかは知らないが、それならこちらにも御剣流の戦い方がある。


 蛇乃目が次の行動に出る前に動く。

 手にした刀を《切替》で一瞬にして抜刀する。

 初めてその身を陽の下にさらしたその刃は、蛇乃目の使う野太刀と同じく赤い異様な輝きを宿していた。

 込み上げる不快感を押し殺し、刀は左手に、鞘は捨てず右手に握る。

 簡易の二刀流。そのまま左手の刀で突きを放った。

 野太刀を振り抜かんとしていた蛇乃目は、放った突きに焦る様子もない。再び野太刀がうねり弾き飛ばした。


 だが弾かれたのは刀でなく鞘だ。


 打ち込みの瞬間に刀と鞘を《切替》で入れ替えおとりにしたのだ。

 再び《切替》を発動し低く地面を踏み締めた体勢を取ると、蛇乃目の腕目掛け両手で掴んだ刀を下段から斬り上げた。

 咄嗟に野太刀から手を離しそれをかわす蛇乃目。


 勝機。


 間隙かんげきうが如く。

 武器を手放し無防備になったあご目掛け、斬り上げの姿勢から渾身の回し蹴りを見舞う。顎への衝撃で脳を揺さぶり脳震盪のうしんとうを誘発させる算段だ。


 これで勝負は決まる。


 その蹴りは確かに蛇乃目の顎を捉えていた。

 だが足先が触れた瞬間、体勢を崩したのは蛇乃目ではなく俺の方だった。

 まるで地面を蹴ったかのような手応え。驚く間もなくもんどり打って倒れる。


「女の顔蹴るとか、ちょっとひどいんと違うか」


 そして蹴りの効果はというと、顔に泥がついた事に眉をしかめる程度だった。

 この女本当に人間か。


 その時だ。


「クオン殿、如何なされた!」


 間の悪い事にガラン達が戻ってきた。剣戟けんげきを聞きつけてきたのだろう。


「ガラン、来るな!」


 その一瞬。気がれた事が命取りだった。

 眉間に割れるような痛みが走り視界が歪む。殴打されたのだと気付いた時には刀を取り落とし両膝をついていた。


 異能の発動において意識が明瞭か否かは重要な要素だ。集中出来なければ精度は落ち、意識が混濁こんだくした状態では発動もままならない。

 切り替えて体勢を戻す事も出来なくなる。


 なんとか立ち上がろうとするも、それより先に蛇乃目が俺の首を掴む方が早かった。そのまま難なく持ち上げられ宙吊りにされる。

 このまま締め上げられては為す術もない。あの鬼面の怪人との戦いの二の舞だ。

 そんな事になってたまるかと、無理矢理に異能を発動させようとする。


 《切替》は他者と接触した状態では使用できず、更には既に《切替》は四回使っている。これ以上は負荷が大きい。それでもやるしかない。

 失敗する事は分かっているが、この状態から脱するにはこれしかない。


 視界がぶれ、体の輪郭が幾重にも重なる。

 だが。


「自棄になったらあかんわ」


 その一言と共に、今まさに発動せんとした異能の力が霧散むさんした。

 理由は考えるまでもない。蛇乃目の異能、《消失》が発動したのだ。


 蛇乃目家の《消失》は、異能の発動・効果を打ち消す異能殺しの異能だ。

 御八家の実力者の多くは家の異能に絶対の自信を持ち、戦いの主軸に置いている。

 故に蛇乃目の《消失》は天敵以外の何者でもない。


 ただの人間や野良の異能使いに対しては絶対的優位に立つ御八家も、蛇乃目家には劣勢を強いられる。

 それに加えてこの女の場合は熊の如き怪力がある。一度捕まれば逃れるのは困難、いや単純な打撃だけでも戦いが決するだろう。


「クオン殿から離れよ!」


 ガランが果敢かかんにも蛇乃目へ飛びかかる。

 動きのなっていない、大ぶりなものだ。蛇乃目は鬱陶うっとうしそうに顔をしかめ俺を投げ出すと、裏拳でガランの胴を打ちえた。

 戸でも叩くような軽い動作だったのにも関わらず、重い音と共にガランはもんどりうった。


「邪魔やからそこで寝転んどき。あんたに今は用あらへんのよ」


 あれだけの巨体、そう簡単に弾き飛ばせるものでは決してないだろうに蛇乃目は易易とそれをやってのけた。

 異能の有る無しなど関係ない。この女と俺では身体の基礎が違う。


 急ぎ距離を置く。息を整え、脳に酸素を送り込む。

 集中しろ、冷静になれ。そうしなければ活路も見い出せない。

 蛇乃目を今の攻防で倒せなかったのは痛恨の失態だ。


 蛇乃目は取り落としていた野太刀を背負うと両の足を踏みしめた。

 奇妙な構えだ。そもそもこれだけ距離が空いている状況で、何故両足を踏みしめた構えを取るのか。

 それにその構えはまるで。


「まさか、こいつ――!」


 そこから先の蛇乃目の動きは完全に予想の埒外らちがいだった。

 蛇乃目はその長身を大きくしならせ。


「ふ、ぅ……!」


 背負っていた野太刀を投げ放ったのだ。


 喧嘩ならともかく、互いに武器を持った戦い、いや殺し合いの最中に武器を投げ飛ばしてくるなど考えても実行出来ないと思い込んでいた。


 しかもただ投げただけではない。

 あの刃渡り、そして蛇乃目の膂力りょりょくを合わせた野太刀の投擲とうてきは恐ろしいまでの速度で飛翔ひしょうした。

 野太刀が空と此方花おちばなを切り裂き迫る。このままではどうやってもかわしきれずに体の一部が両断される。


 一瞬の判断だった。

 力の限り地を蹴り真横へと飛ぶ。

 まだ躱しきれない。

 そこで更に《切替》を発動し、ほんのわずかだが体を横へと滑らせる。

 心臓が不自然に脈打ち、視界が霞む。

 駄目だ、まだ倒れるな。

 目前に迫った野太刀が耳元をかすめ横切った。


 間一髪。

 だが蛇乃目の笑う顔を見て、自分の考えが誤りだった事に気づく。

 こいつが狙ったのは俺じゃない。野太刀を拾い上げた時、奴は俺ではなく別のものを見ていたのだ。

 気付いた時にはもう手遅れだった。


「く、クオン殿!」


 ガランの焦りのにじむ叫び。その叫びが意味する事を考えたくはなかった。

 振り返りそれを見た瞬間、足が震え膝から崩れ落ちそうになった。

 俺の背後、そこにはソラがいた。

 だが今彼女は地面に尻餅をつき、自分の右足をきょとんとした表情で見ていた。


 その視線の先に、右足はなかった。

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