第弐拾漆話 追憶の中の君

 夢を見た。いや、見ている。

 先日と同じくこれが夢だとはっきり理解して見ている。

 この村に来てから二度目の明晰夢めいせきむだった。 

 こんなにもはっきりとした形で見るのは何度かあったが、村に来てからはより鮮明に見えている気がする。


 ともあれ、俺は今森の中に立っているようだった。

 此処ここ何処どこだ、そう思い周囲を見渡し、気付いた。

 ここは眠りにつく直前までいたあの遊び場だ。

 そうだと気付くのに少し時間がかかったのは、俺の体が縮んでいたからだ。視線を下へと向けると、見えたのは俺の身体ではなく小さな子供のそれだった。

 そのせいで何もかもが何倍も大きなものに感じて、まったく別の場所のように思えたのだろう。


 不意に誰かの泣き声が聞こえ始めた。

 覚えがある。確か、あの時も少女の泣いている声を聞きつけて此処に足を踏み入れたのだ。

 そこでようやく気付いた。この夢は俺の子供の頃の記憶を元にしたものなのだと。

 それならば泣いている少女が誰かは考えるまでもない。


 周りを見渡してみると、の頭を揺らして一人の少女がうすくまり泣いていた。

 その少女へと歩み寄り声を掛けた。かつての記憶をなぞりながら。


「大丈夫?」


 俺が声を掛けると、はっとしたように少女が顔を上げた。

 泣きじゃくり、涙でぐしゃぐしゃの顔。それを見て確信した。

 嗚呼、間違いない。これはソラだ。なる以前のソラだ。


「あなたは、だれ?」


「僕は、御剣久遠みつるぎくどう。君の名前は?」


「わたしは、ひつぎうつほ。え、くどう、くん……?」


「うん、久遠。えっと、久しく遠いって書いて……」


 そう言いながら戸惑う様子の少女の前にしゃがみ、父上に教えられて覚えた字を地面に字を描いて見せたのだったか。

 久遠くどう

 今は捨てた俺の名前。地面に書かれた字を見て、少女は顔をくもらせる。


「あなたのこと、くどうくんってよべない」


 確かに。少女の意見に同感だった。

 この名前では普通は“くどう”とは呼ぶまい。


 御剣本家の血筋の者は皆、“くどう”という名前である事が仕来しきたりによって決められている。

 父上も狗獰くどうで妹も紅瞳くどう、そして俺も久遠で“くどう”だ。

 遥か昔から連年と受け継がれてきた決まりごと。誰も彼もが“くどう”だ。


 この名前を、俺はあまり好いていなかった。

 だから、自分の名前をどう書くのか教えられた時から、ずっと考えていたのだ。

 数多あまた居る御剣家の“くどう”の一人ではなく、俺ただ一人だけを指す名前が欲しいと。


「それじゃ、クオンって呼んで」


「くおん。あなたはくどうくんじゃなくって、クオン」


 確かめるように俺の名前をつぶやく少女。この後は確か、俺もたずね返したのだったか。


「それならさ、君の名前はどう書くの」


「そらってかいて、うつほ」


 空、うつほ。

 その名に空虚さを感じて、俺は彼女もまた別の読みの方が似合うと思った。

 だからこう提案したのだ。


「それならソラの方がいいよ。そっちの方が僕は好きだ」


「ソラ……? わたしが、ソラ」


「うん。僕がクオンで、君がソラ」


「あなたがクオンで、わたしがソラ」


 小石を拾い、岩へと刻み込む。

 クオン、ソラ。

 俺とソラ、二人だけの特別な名前。

 家柄や仕来りに縛られない初めてのものだった。

 だから、意を決して声をあげたのだ。


「ねぇ、僕と友達になろう、ソラ」


「……うん、なろう。ともだち、。わたしとあなたはともだち。あたらしい、ともだち」


 ようやく少女は笑顔を見せた。

 弱々しい、満面とは程遠いものではあったが、それは作り物めいたものではない、本物の笑顔だった。


 この笑顔を、この涙を、今のソラは持っていない。


 そうだ、俺が好きだったのは、このソラだ。

 この子を泣かせたくない、笑わせてあげたい。笑わせ続けたい。

 この笑顔を初めて見た時、狂おしいほどにこの子に焦がれたのだ。

 この子の事を、好きだと思った。


 思わず手を伸ばし抱きしめようとして、踏み止まる。

 どうせ夢なのだ。夢のソラに聞いてみよう。


 ソラは何故今のソラになってしまったのか。

 誰が、何が、いつ、何処で。

 ソラを壊したものは、一体何なのか。

 以前の夢で見た、あの出来事が原因なのか。


「ねぇ、君はどうしてここで泣いていたの」


 手がかりになるとも思えない、ただの自己満足のようなものではあるが。

 だが返ってきた言葉は、予想外のものだった。


「だいすきだったひとが、いなくなったの」


「――――え?」


 おかしい、こんな会話は記憶に無い。無い筈なのに既視感きしかんを覚えた。

 夢の中だというのに寒気がする。

 踏み込んではいけない事実に直面していると、何故か直感的に気付いた。

 それなのに、聞かずにはいられなかった。


「それは、いったい誰なの」


 大凡おおよその見当はつく。

 脳裏に浮かぶのは、夢でソラがお母さんと呼んでいた巫女装束の女性。

 親の死に心を乱さない子はいまい。


 だとすると、ソラが壊れてしまったのはそれが――。


「■■■■■」


「――え、なんて?」


 ソラの口から語られた名前を聞き取る事が出来なかった。

 確かに名前を言った筈なのに、その名前が聞こえない。聞き取れなかった。


「■■■■■」


 ソラがもう一度その名を言い、そしてある場所を指差す。

 そこはあの注連縄しめなわがされた大岩の傍、草も花も生えていない空間だった。


 何かを隠すように埋め立てられた地面。

 そこが今はぽっかりと穴が空いていた。

 咄嗟にソラの方を見ると、そこに立っていたソラの髪はいつのまにか白髪へと変わり、そしてその表情は。

 その表情は、今のあの空っぽのソラのものだった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 あの穴は覗いてはならない。それは触れてはならない場所だ。

 頭の中で何かが警告している。

 息が震える。悪寒がより強くなる。

 心臓が異物のように胸の中でうごめく。


「ソラ――!」


 助けを求めるようにソラへと手を伸ばした瞬間、周囲の景色が急速に輪郭りんかくを失い始めた。

 夢が終わるのだ。意識が現実へ浮上していく。

 消えゆく夢の中で、幼い頃のソラが俺の事をずっと見つめ続けていた。

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