第弐拾伍話 その名を刻んだ場所へ

 そうして翌日。

 俺とソラ、そしてガランは神社の裏手の森を歩いていた。


「眠い」


 思わず出そうになった欠伸を噛み殺す。


「今日もで御座るかクオン殿。睡眠はちゃんと取らねば体に悪いで御座るよ。拙者なぞ今日も快眠で御座ったぞ、はっはっは」


「能天気すぎるだろうお前……」


 人に見られたらまずい事になるとか、御館様おやかたさま達に見つかったらどうなるか分からないとか、そういう危機感はないのか。


 あの後なんだかんだでソラを言いくるめ、騒ぎにならずに済んだ。

 もし叫ばれていたら今度は純士じゅんしが叫んでいた事だろう。

 今思い出しても冷や汗が出る危機的状況だった。


「クオン殿、どんどんと進んでいくが目的地があるので御座るか」


「ああ。昔この村にいた頃、ソラと遊んでいた場所があるんだ」


「ほう、こんな森の奥に。随分と腕白わんぱくだったんで御座るなぁ」


 ちらりとソラの方を見る。特に何も言わず黙々と付いて来ている。

 遠足に行こうと提案した時は習慣から外れる事を嫌がったが、行き先を告げたら素直に付いて来てくれた。

 昨日の夜の事など気にしている様子もない。まるで忘れ去ってしまっているかのようだ。


 ガランも連れて行くかは悩んだが、放っておいてまた勝手に出歩かれても困る。

 それなら目の届くところにいた方がいいし、森の中なら人目を気にする必要もない。

 あとは、傍に居てくれると多少ではあるが、心強い、気がする。


 この日暮子村かくれごむらは谷と森、海に囲まれた天然の城塞だ。

 森の向こうは深い断崖だんがい、海はしおの流れが早く、外界がいかいから隔絶かくぜつされている。

 村の唯一出入り口は俺が通ったあの洞穴どうけつだけだ。あそこをふさいでしまえば誰も出入りできなくなる。


 田畑たはたも多くあり自給自足も可能だし、みかどからたまわった発電機まで完備している。

 備蓄がどれほどかは分からないが、食料に難儀なんぎしているような話も聞かない事をかんがみれば、籠城ろうじょうできるくらいの量はそれなりにあるのかもしれない。


 だが果たして本家を相手にして持ちこたえられる程かと言えば、勿論そんな訳はない。


 異能の力は絶大だ。特に御八家の異能は。

 こんな村を城としたところで長くは持つまい。とてもではないが御館様の謀反が成功するとは思えない。

 何か秘策ひさくでもない限りは。


 目的地へ向かう道中で早めの昼食をとった。

 献立の内容はおにぎり。それ以外一切ないおにぎり一色だった。

 どうやらガランの要望をソラがそのまま受け取ったらしい。


「まさか全部おにぎりだとはな」


「おむすびで御座るよクオン殿。良いではないか良いではないか、ソラ殿の作るおむすびは格別で御座るよ」


「確かに美味い。美味いんだが……それ以外のおかずも一切無いというのはどうなんだ。あとこれはおにぎりだ」


「おむすび」


「おにぎり」


「ぬぅ」


「むぅ」


 そんなこんなありながら、俺達は目的地目指して山の中を進んでいった。

 道すがら何度かソラに話しかけようとしたが、断念した。

 あの黒い女が言っていたようにソラに一言尋ねればいい。それなのにそれをこうして躊躇ためらい、先延ばしにしてしまっている。我ながら不甲斐ふがいない。

 そうして話しかけようとしては止めてを繰り返しているうちに、目的地へとついてしまった。


此処ここだ」


 山を少し登った先、木々の生えていない開けた場所があった。

 子供が遊ぶには十分な広さの空間一面に、彼方花おちばなが咲いている。この村の中でもここまで群生ぐんせいする場所はそうないだろう。

 ここが目的の場所。かつてソラと共に遊んだ広場だ。

 群生する彼方花の中央に、注連縄しめなわのされた大きな岩があった。


「ソラ、此処の事、覚えているか」


「うん、覚えてるよ。私とクオンが初めて会った場所。久しぶりに来たね」


 ソラは嘘をつかない。十年前の事を覚えているというならそうなのだろう。

 大岩へ近づき、表面を注意深く見てみれば、あった。

 クオン。ソラ。

 刻まれた文字を指でなぞる。若干いびつながらも刻まれた二つの名前は、記憶の中にあった光景そのままに残されていた。


「ああ、此処で二人で呼び名を付け合ったな」


「うん。貴方はくどうくんじゃなくてクオンで、私はうつほじゃなくソラだって」


 確かに昔、自分とソラは此処でお互いに愛称を名付けあった。

 あの日見た少女の涙と笑顔は本物だったのだ。

 その事実が本当だったと確信出来た事に思わず安堵する。


「そういえばソラ、あの時どうして――」


「クオン殿クオン殿、これはなんで御座ろう?」


「なんだ、ガラン。何かあったのか」


 俺の声を遮るガランの声。ガランが指差した方を見ると、そこだけ花も草も一切生えず地面が剥き出しになった空間があった。

 よく見れば土の色も他に比べて黒い。埋め立てられた形跡のように思える。


「……これは、なんだ」


 それを見ていると、何か、何かが自分の中でうごめいた気がした。

 頭の芯からじんわりと広がるような鈍痛どんつうかすかに目眩めまいもしている。

 動悸どうきが早い。胸を抑える。胸のあざが脈打っているような錯覚を覚える。

 まるで他人事のように自分の体調は把握出来るのに、それが何故なのかが分からない。

 早く此処から立ち去らなくてはと、理由も分からない忌避感きひかんさいなまれる。


「クオン殿、如何いかがなされた」


「クオン、どうかしたの」


 そう尋ねるソラの言葉に既視感きしかんを覚える。

 それはいつの事だったか、思い出せない。

 気持ち悪い、なんだこれは。


「何でもない、大丈夫だ、少し、気分が優れないだけで、ガラン、俺は少し休む、ソラの事、任せた」


「お、応、承知したで御座る。ゆっくり休まれよ、クオン殿。さ、ソラ殿」


「うん、わかった」


 大岩に背を預け、そのまま座り込む。

 駄目だ、限界だ。

 ソラとガランが並んで歩いていく姿を見送る前に、ぱたりと意識が途絶えた。

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