第弐拾肆話 人型の空虚

 あれから一日が過ぎた。

 学校を終えて帰宅し、夕食を取り、そして風呂の時間になった。

 今日一日、驚く程何も起こらかなかった。


 今朝学校に行くと繭里まゆりはおろか明華あすかも姿を見せず、遠くから監視されている様子もなかった。昨日の夜に御館様おやかたさまと会いそこで俺の疑いは晴れた、のだろうか。

 少なくとも御館様からは疑われはしなくなったようだ。相変わらず馬鹿者呼ばわりだが。

 

 御館様一派のやろうとしている事は未だに掴めていない。

 本家への謀反むほんを企てている事は、昨日御館様本人の口からそれらしき事を聞かされた訳だが、その理由や手段が分からない。

 何故この村でそれを起こそうと考えたのか。こんな田舎では、ろくな軍備も蓄えれまい。

 見た限り守人もりびとの数もそう多くなく、本家が保有する戦力とは比較するのも馬鹿らしい。


 そもそも謀反など企てていったいどうしようというのか。

 御館様の家、つまり伊鎚いづち家は現御八家を統べる家だ。わざわざ謀反などせずとも、いずれ時期がくれば自然と地位も権力も手元に転がり込んでくる。

 まるで意味がない。ただ自分の首を絞めるだけだ。

 それとも俺が知らないだけで、謀反を起こすだけの価値ある何かがあるのか。


 御館様のそばにいたあの黒い女は聞くべき者に聞けと言っていた。

 それはつまり、ソラに聞けと言う事なのだろう。

 それで全てが分かる、のだろうか。なかなか踏ん切りがつかないでいるが、悠長に構えている場合ではないのだ。

 さて、どう切り出すべきか。


「そうだ、あの場所」


 思い出の場所に行こう。子供の頃、ソラと二人で遊んだ広場だ。

 クオンとソラ。お互いの愛称を名付けあい、そこにある大岩へ刻みつけた。

 そこへ一緒に行くというのはいいかもしれない。あそこは神社の裏手を進んだ山中。ちょっとした遠足気分だ。そこで覚悟を決めて聞き出せばいい。


 思い立ったが吉日、とは言っても今日はもう暗いから明日だ。風呂上りにでもソラに話を持ちかけよう。


「ソラ、明日思い出の場所に行かないか。……よし、これだ」


 誘いの言葉もこれでいいだろう。

 そう考えながら風呂場の戸を開けて。


 背を流していたソラと目があった。


「……」


「……」


 お互い見つめ合ったまま沈黙が続く。決して長い時間見つめ合っていた筈はないのだが、何時間も見つめ合っているような錯覚に囚われた。

 汗が噴き出す。顔が青ざめていくのを自覚する。

 考え事をしていて、まだソラが風呂に入っている事に、全く気づいていなかった。

 つい視線がソラの肢体したい彷徨さまよいそうになり、引き剥がすように逸らす。


 だが一瞬でも見えたその肢体が、目に焼き付いたように離れない。

 濡れて肌に張り付いた白い髪、湯で上気して赤みを帯びた白い肌、服の上からでは分からなかったふくよかな胸が――。


 駄目だ、待て、考えるな、冷静になれ。

 父上との三日三晩座禅ざぜんを組んだ修行を思い出せ。

 あの時の無我の境地に再び至れば――――――無理だ。

 青ざめてた筈の顔は今度は逆に熱くなってきた。

 普段は意識していなかったがソラも異性なのだ。

 身近な異性の裸体は刺激が強すぎる。


「すま、すまない」


 声が変に上ずっていた。恥ずかしい。


「クオン、お風呂はまだ私が入ってる」


「すまない、気がつかなかった、すまない」


「……? クオン、なんか変。どうかしたの」


「すま、や、どうしたってソラ、こういう時はそっ、その、恥じらいっていうか、恥じらうものでだな。異性に裸を見られる事は、悲鳴をあげるくらい恥ずかしいもの、だろう」


 しどろもどろもいいところだ。

 こんな痴態ちたいさらすなど、父上に顔向け出来ない。


「そうなんだ」


 そうソラが納得したように頷くのを見た瞬間、墓穴を掘った気がした。

 案の定ソラは俺が指摘した通り、息を吸い込み叫びをあげんとする。


「ま、待てソラ!」


 さすがに今ここで叫ばれるのはまずい。非常にまずい。こんな状況を純士じゅんしやガランに見られたら何と言われるか。


『えークオン殿最低で御座るなぁ』


 うるさい黙れ。頭の中のガランを蹴飛ばして走る。

 慌ててソラの口を手で塞ごうとして、急いだ事が裏目に出た。


「――っ」


 悲鳴が上がる前にソラの口を塞いだまではいい。

 そこまではよかった。


 勢い余ってそのまま押し倒してしまったのは、想定外だった。


「~~~~」


 この状況に言葉にならない悲鳴をあげる。

 余計にまずい有様となってしまった。

 思考が纏まらない。というより停止してしまっている。

 これは、どうしたらいいんだ。


「……………?」


 口を塞いでいるからよくは聞こえないが、どうしたのと尋ねているらしい。

 こんな状態にあってもソラはいつも通りだ。

 恥じらったり怒ったり、泣いたりさえもしない。

 普通の女の子らしい態度をとったりしない。

 いや、できないのだ。

 こんな時にどういう事を言って、どういう表情をして、どういう行動をすればいいか、それを知らないから。


 それを見ていると急速に頭が冷えていくのを自覚する。

 そうだ、ソラはそういうものだった。知らなければそのふりが出来ない。

 目の前の少女がそれ以外のものに思えてくる。

 今目の前にいるのは少女の姿をした木偶なのでは。

 ソラだと俺が思い込んでいるだけの、人型の虚無なのではないか。

 そんな考えさえ浮かんでしまう。

 そんな事はない、筈なのだ。


「なぁ、ソラ」


 手を離し、おもむろにソラの頬を撫でた。

 触れた体は暖かて柔らかくて、決して造り物などではない。

 だが、ソラの中にはのだ。

 冷たくて、暗くて、

 だ。


「お前は本当にソラで、確かにここにいるんだよな」


「……? 私はソラで、ここにいるよ?」


「……そうだよな」


 精一杯笑顔を取り繕う。

 気を抜けば泣いてしまいそうだったから。

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