第弐拾参話 答えは誰に聞けばいい?

 だがその緊張状態は唐突に破られた。


 視線が掻き消え、蜘蛛くもの子を散らすように四方しほうへと消え去ってしまったのだ。

 その緊張状態を破ったのは一つの足音だった。

 まるで散歩でもしているような悠然ゆうぜんとした様子で現れたのは、俺が予想だにしない人物達だった。


「馬鹿者が、貴様此処ここで何をしている」


御館様おやかたさまか、何故こんなところにいる」


 二人して仏頂面でにらみ合う。

 まさかこんなところで会うとは思ってもいなかった。てっきり己の城にこもり出てこない性分の者とばかり思っていたからだ。

 しかも御館様は一人ではなく、見覚えのない女を連れていた。

 二十歳過ぎくらいの綺麗な黒髪が目を引く女だった。着ている服も黒く、まとう雰囲気も何処どこか影がある。

 黒い女。御館様の守人もりびとだろうか。それにしては身なりが村人達や繭里まゆりの守人とも違う。本家の人間が着ているような、いやそれ以上の高級品に見える。

 俺の事など興味もないといった風で、手にした巾着から硝子玉びーだまを取り出してはしげしげと眺めている。奇妙な女だ。

 真逆まさか逢瀬おうせの最中だったなどという事はないだろうな。


「夜には出歩くなと言っていた御館様が、女連れで夜道を散歩か」


「質問に質問で返すな馬鹿者め。今は私が問うているのだ。答えろ」


「……蛇乃目じゃのめの家に向かおうとしていた。ソラの事で、知っている事を教えてもらうために」


「ふん、何かと思えばそんな事か。それを知ってどうするつもりだ。お前に何の関係がある」


「今の俺にとっては重要な事だ。ならば御館様、お前が答えろ。十年前の事だ。この村で、いやソラの身に何か起きていたんじゃないか。それを何故誰も彼も隠しているんだ」


 御館様はその細い切れ長の目をほんのわずか開いた。驚き、というよりはきょを突かれたという感じだった。それもすぐにいつもの仏頂面へと変わった。


「気になるというなら結女本人に聞けばいい事だろう」


「それは……」


 思わず閉口する。それはもっともな答えだった。

 ソラ本人に聞けばいい。

 しかしそれはしなかった。出来なかった。

 聞く事が怖かったのだ。

 どんな答えが返ってくるのか。それをソラの口から答えられる事が。

 何か恐ろしい事をソラに言わせてしまう気がして避けていた。

 黙りこくる俺を見て、御館様は鼻を鳴らし小馬鹿にするような笑を浮かべた。


「確かにあったとも、十年前に。……とぼけている風でもなし、貴様は本当に馬鹿者だったか。どうやら俺は貴様を過大評価していたようだ。その様子ではこの村で何十年かおきに行われている事も、櫃木ひつぎ家の者が結女ゆいめと呼ばれる由縁も何もかも知らんのだな。いや、教えられずに育ったのか。貴様本当に御剣みつるぎを継ぐ為に育てられたのか?」


「いや待て、それは、何だ。お前は一体何の話をしているんだ」


 最後の一言に思わず頭に血が登りそうになるが、それよりも聞き捨て難い事を今御館様は言わなかったか。

 ソラの事について話していたはずがいつの間にか櫃木の家、いやこの日暮子村かくれごむらの話へ広がっている。

 数十年おきにこの村で起きている出来事とは何だ。

 ソラが結女様と呼ばれている理由とは何だ。


「何の話かだと。この村で今起きている出来事だとも。櫃木の家が他の御八家とは違う事に気づかないほど貴様は愚鈍ぐどんだったか」


 確かに櫃木家は御八家の中でも特異な点がいくつもある。

 ソラがなってしまっている事と関係ないと思っていたが、それらは全て繋がっていたのか。それらを繋いだ先に見えたものこそがソラを今のソラたらしめているというのか。


「分からない、この村で何が起きている、いや、何を起こそうとしているんだお前達は」


「……単刀直入に問うが、貴様本家からの刺客ではないのか」


「は……? お前は、何を言っているんだ」


 本当に、何を言っているんだ。

 本家から刺客というのは、そんな言葉は本家に謀反の意思がある者の口からしか出て来るまい。


 こいつがしでかそうとしている事は、まさか本家への反逆なのか。


「いや、答えなくていい。今の反応で察しがついた。腹で芸が出来る男ではないとは思っていたが、やはりお前はただの馬鹿者のようだな。しかし、馬鹿も馬鹿なりに使い道がある」


 散々な物言いをされているが、侮蔑ぶべつ自体は慣れている。いちいち噛み付く事でもないと聞き流す事にした。

 それよりも使い道と言ったが俺に何かさせるつもりなのか。


「御館様、俺は本家やあんたの言いなりにはならないぞ。俺にはもう関係ない話だ。いいように使われるつもりはない」


「ほう、そうか。なら貴様、何の為になら命を賭けられる」


「ソラの為だ。あいつの為になら、俺は命を賭けられる」


 即答した。分かりきっている事だ。だから今此処にいるのだ。

 この答えを聞いた時の御館様の顔は、何とも言い表しにくいものだった。

 あざけっているような、喜んでいるような、うれいているような。

 無数の感情が綯交ないまぜになった表情だった。


「それならやはり本人に直接聞け。そら、早く引き返せ」


「獣に襲われないうちに、か」


「……何を言っているんだ貴様は。人を襲うような獣がこの村にいる事を私が許すと思うのか。そんなものはとうの昔に狩り尽くしている」


 どういう事だ。それは先程の繭里まゆりの言動と矛盾する。

 それにそれなら先程の気配は何だと言うのか。


「それじゃ、何故夜は出歩くななどと言ってきた。夜に出歩いてはならない理由があるんだろう。それは一体どうしてなんだ」


 俺の問いかけに御館様は暫し考えるような素振りを見せたあと、嫌味たらしい口調でこう言った。


「鬼が出るのだ。大人の言う事を聞かない子供を喰う鬼がな。この村に住む者なら誰でも知っている御伽噺おとぎばなしだ。だから夜になったら家に帰れ。あの神社であればご利益りやくで鬼も寄って来んだろう」


 巫山戯ふざけているのか。

 いやだが村人達は大人も子供もその御伽噺、伝承を信じているようだった。夕暮れに伸びる影、二つの鬼火。それを異常に恐れていた。

 それにもう一つ。


『夜は危険なのであまり出歩かない方がいいですよ』


 出かける前に聞いたあの言葉。それじゃあれはどういう事だ。

 村に降りてくる野生動物などもういないと知らなかったのか。村人とも仲が悪いといっていたし、情報共有が出来てないのか。

 それとも彼も伝承を信じているのか。確かに御神体ごしんたいの事から伝承は真実だという風に言っていたが。


 気にし過ぎか、それとも何か裏があるのか。

 何はともあれ、御館様のこの様子だと話すつもりもなさそうだ。

 誰も彼もが謎をす。

 言えない秘密があるのか、俺だから秘密を言えないのか。


「……わかった、今日は帰る。それでいいか」


「最初からそう答えろ馬鹿者め、貴様の疑問にはいずれ答えてやる。貴様が信用に足る者であるならな」


「久遠」


 不意に聞こえた女の声。誰かと思えば今まで黙って硝子玉を眺めていた黒い女が、俺の方を見ていた。

 今のはこの女の声か。静かだがよく通る声。

 それは夢で見たあの巫女の声に似ている気がした。


「聞くべき事は聞くべき者に聞け。恐れ避けていても答えは出ない」


 言うべき事は言った、そう言わんばかりの様子で背を向け去っていく。

 その背を二人して見送りかけ、はっとしたように親方様は小走りでその後を追っていった。


「……まさか尻に敷かれているんじゃないだろうな」


 遠ざかる二人の姿を見送った後、俺も神社への帰路に着いた。

 帰り道には先程の気配が現れる事はなかった。

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