第弐拾弐話 夜道に気をつけて

純士じゅんしさん、十年前の出来事を教えて欲しい。俺がこの村に来ていた頃の事です」


 神社へと帰って早々、俺は純士へ十年前の事について話を聞いた。

 聞いたのだが。


「十年前の事、ですか。どうしてそんな事を」


「ソラの事です。十年ほど前に、ソラの身に何か起きていたんじゃないですか」


「……。すみません、十年前の事はあまり覚えていないんですよ」


「覚えていない……? それは本当に?」


「ええ。それに別に何も無かったかと思いますよ」


 嘘だ。直感的に分かった。

 ほうきを握る純士の指がわずかに震えたのを俺は見逃さなかったし、昨日の様子からしてそんな事は有り得ない。

 だがそれなら何故嘘をつくのか。十年前の出来事を知られたくない理由があるのだろうか。

 それなら夢で見た光景の事を話すか。ただの夢である可能性もあるが、もしあれが本当の出来事なら、純士はその場にいた筈なのだ。


「…………そうですか。それなら、いいです」


 いや、まだ黙っておこう。これは不用意に出す切り札ではない気がする。

 それに隠そうとするのなら、無理に聞いたとしても真実を話すかどうか。


「クオン君、何を調べているんですか」


「いえ、大した事ではないです」


 吾郷あずまは何も知らず純士は白を切る。そうなると聞ける人間は限られてくる。

 事情をよく知っていような者といえば、やはりここは御八家の誰かに聞くしかないか。


「少し出てきます」


「この時間にですか。夜は危険なのであまり出歩かない方がいいですよ」


「心配無用です。獣に遅れをとる御剣みつるぎでは、いえ、大丈夫です」


 一言告げて神社を出た。念の為刀を携えて。

 此処から一番近いのは確か蛇乃目じゃのめの家だった筈。何を考えているか分からない女ではあるが、だからこそ他の家の者よりも聞き出せる事もあるかもしれない。

 それに玄関に飾ってあったについても説明を聞かねばなるまい。


 外はもう夕暮れを過ぎ暗くなり始めていた。目的の場所へ着く頃には星空が見えている頃だろう。

 そう思いながら歩き始めた時だった。


「何をしているのですか、御剣」


 引き止めた声は繭里まゆりのものだった。

 声のした方を見れば、歳もまばらな男達を十数人も従え連れた繭里がそこにいた。

 男達はどれも村の中では見ない年若い連中ばかり。それも筋肉の付き方からただの村人ではない事は容易に知れた。

 恐らくは帯包おびかね家の守人もりびと達だろう。


 不可解なのは、全員が武装している事だ。


「クオンだ。御剣はやめてくれ。……なんだ、その格好は」


 繭里の格好もまた学校で見たものから一変していた。

 袖や裾は纏められ、身動きの取りやすい服装になり、腰には一振りの短刀を帯刀していた。俺が持っているものとは違う、反りのない直刀のようだった。

 まるで戦いにでも出向くような、戦装束いくさしょうぞくとでも言えばいいのだろうか。


「まずはこちらの質問に答えて下さい。何をしに出かけようとしたのですか」


「別に、何処へ出かけようと俺の勝手だろう。何故それをお前に答える必要がある」


「夜には外へ出ないで下さい。どのような用があったとしてもです」


「……それで、繭里こそどうして此処にいる」


「見回りです。夜は野生動物が村へ降りてくるので。あと名前で呼ばないで下さい」


 見回りにしては戦装束についてもそうだが、守人の数が尋常ではない。屈強な男が十数名も集まらねばならないほど凶悪な野生動物が出るというのか。


狒狒ひひでも出るのか、この村は」


「明日出来る事なら明日にして下さい。いいから早く神社へ戻って下さい。あそこならひとまず安全ですから」


 捲し立てるようにそう言いぐいぐいと神社の方へ押しやられる。長い髪で表情はよく見えないが、何故か焦っているように見えた。


「見回りなら俺も同行しよう。守人達よりも腕は立つ自信がある」


「不要です」


 一蹴いっしゅうだった。取り付く島もない。これは何を言っても聞く耳を持たないだろう。

 ここは一旦食い下がる風を装い後で出て行く事にするか。


「分かった、今日のところは言う事を聞こう」


 嘆息たんそくし、胸を押す手を退けようとおもむろに掴む。


「っ」


 息を呑むような声が聞こえたかと思えば、手を払い除けられた。何事かと繭里を見れば暗がりでも分かる程に紅潮こうちょうさせていた。下唇を噛み、上目遣いで睨んでくるその顔からは羞恥しゅうちと焦りを滲ませていた。


「ふ、不用意に、触れる事はなりません。次やれば刺します」


 物騒すぎる。手に触れただけでそんな易易と刺されてはたまらない。

 そうだ、念のため繭里にも聞いてみるか。

 繭里から聞き出せたなら、わざわざ蛇乃目のところまで行く必要もなくなる。


「そうだ、繭里。お前は十年前この村にいたか。その頃に何かなかったか、何か知らないか」


「……それを知って、貴方はどうするつもりですか」


 ふと何気なく聞いてみたつもりだった。だが繭里の反応は予想していたよりもずっと冷たいものだった。

 先程まで紅潮させていた顔からは表情らしい表情が消え、髪の間から見える目はこちらを見定めるように細められていた。

 主人の様子に気づいてか、守人達も各々の武器に手を添えている。

 この反応は何だ。聞いてはならぬ事を聞いてしまったのか。


「貴方は知っているのでは、わざわざ聞かずとも」


「……どういう意味だ」


 それには答えず繭里は歩き出す。話はもう終わりだと言うように。守人達もそれに従いぞろぞろと後を続く。

 俺は黙って繭里達を見送る事にした。あの様子では何も答えてはくれまい。

 彼女や守人達は林木に視界が遮られるまでずっとこちらに注意を向けていた。守人の何人かがしばらく残っていたようだが、その気配もやがて遠くへ消えていった。


 辺りに誰もいないか注意して石階段を降りる。もう辺りは暗くなり、山の向こうから月明かりが差し始めていた。この明るさなら懐中電灯も必要ないか。

 この村に来て初日も夜中に出歩いていたが、その時は蛇乃目や明華あすかもいた。こうして夜に村の中を一人で歩くのは初めてか。

 村は驚く程に静まり返っている。明かりすら付いておらず、廃村と見紛うほどだ。


 しかし悪い事ばかりでもない。

 頭上を見上げれば空には月と星。御剣の本家があった街では夜でも街灯で明るく夜闇を打ち消していて、ここまでの星空を見る事は出来ない。

 澄んだ空気やこの静けさも街にはないものだ。


 いや、待て。


 異変に気付いた。

 静かすぎる。

 いつの間にか虫や鳥の鳴き声が消えている。風の音だけしか聞こえない。

 だが確かに、何かの気配を感じ取った。


「誰だ」


 誰かが俺を見ている。それもこれは昨日村で感じた悪意ある視線だ。

 これは決して獣のものではない。獣はこんな人間のような悪意を発さない。

 さりとて人間でもない。人間はこんな獣じみた気配を発さない。

 獣でもなく人間でもない何者かが俺を見ている。


 喉が渇く。汗が額を伝う。

 止めた歩みをどちらへ向けるべきか。此処から一番近い民家へ走るか。いやそうしたところでこの気配の主は襲い来る。確信がある。

 では神社へ戻るか。繭里の言う通りあそこが安全地帯だというならだが。だがもしそうでなかったなら、純士やソラを危険に晒す事になる。


 そして問題なのは、この気配は一つではないという事だ。


 正確な数は測りかねるが、少なくとも二つ以上ある。取り囲まれている可能性があるのだ。不用意に背を向ければ襲いかかられるだろう。

 ここで迎え打つか。

 ゆっくりと刀の柄に手を掛ける。

 まるで引き絞られた弓の弦のように空気が張り詰める。


 来るか。

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