第弐拾壱話 夢見ぬ少女
「……いかん、不抜けているのか俺は」
学校からの帰路につきながら、頭を抱える。
あれからなんとか人目を避けて学校についたものの、そこからが大変だった。
泥で汚れた状態のガランは普段と違い、異能を持たぬ者にも見える状態になってしまっている。
校内の教師や生徒の視線を
なんとか汚れを洗い落とした頃には一時限目の開始間近。
その後の半日、疲労からか授業も聞かずにずっと眠りこけていた。
無防備もいいところだ。
いくら疲れていたとはいえ、修行を積んだ
こんな姿を父上に見られたら何と言われるだろうか。想像するだに恐ろしい。
警戒していた
十分な睡眠をとったお陰と言うべきか、昼を過ぎた頃になってようやく体力が戻り元気になってきた。今度は逆に夜寝付けるだろうかと心配になる。
「クオンさん、今日は今朝から妙に疲れた感じだったっすね。昨日何かあったんすか」
「ああ、まぁ、な」
今日も何故か帰り道についてきた
おそらくこいつは、俺に従うふりをしてソラに近寄ろうという
口には出さずとも様子をみればそれは明け透けに分かる。
「妙な夢を見た。そのせいかもしれない」
「おお、そういえば夢を見たと言っておったで御座るな。して、それはどのような?」
そう言われて脳裏に浮かぶのは吼え猛るガランの姿と、血を流し倒れるソラに似た巫女装束の女。
絶叫する少女と世界。
空に穿たれた大穴。
改めて考えるといくら夢とはいえこんな突拍子もない話、聞いた二人も困惑するばかりだろう。
気がかりではあるが、今は誤魔化す事にした。
「あまり覚えていない」
「ふぅむ、そうで御座るか。まぁ拙者も夢の内容なぞあまり覚えておらぬしなぁ」
そういえばあれだけガランにしっかり触れていたのに、以前見えたような幻覚を見る事はなかった。
考えてみれば昨日帰りに手を繋いだ時も何も見えなかったので、触れたからと言って見える訳ではないらしい。
あれはあの時だけのものだったのだろうか。
「おぉ、ちなみにソラ殿は最近どんな夢を見たで御座るかな」
「おいガラン」
思わず止めようとしたが遅かった。
ガランとしては何気ない会話のつもりで振ったのだろう。
だがそれは拙い。ソラがどう答えるか、俺には容易に想像でいた。
ガランの質問にソラは暫し考えた風な様子を見せた後、小首を傾げてみせた。
「見ないよ」
「ほ、見ない?」
「夢、見た事無いよ」
「……」
予想はしていたがあまり聞きたい答えではなかった。
ガランは一瞬目をぱちくりとさせたあと、隣で似たような表情をしていた吾郷と顔を見合わせ、助けを求める視線をこちらへ投げ寄越した。
俺に振るなと首を横に振ってみせると、ガランは身振り手振りを交えながらソラへ問いかけた。
「そ、そんな訳はないで御座ろう。ほ、ほれ、覚えてないだけでは御座らんか。
「見ないよ」
「ほぁ、おぉ……。で、では見てみたい夢とか何か御座らんかな。例えば鳥になる夢とか、雨の代わりに食べ物が降ってくる夢とか」
「それはお前が見た夢じゃないのか」
食う事と寝る事しか頭にないのか。
「よく分からない」
「お、おぉ、そうで御座るか……」
ソラは相変わらずつれない返事を返すばかり。
「く、クオン殿~、拙者もしやあまり触れてはならぬ事に触れてしもうたので御座るかな……?」
「まぁ、そうだな。ソラは……夢を見る事はないと思う」
「何言ってんすかクオンさん、
「それは……どうだろうか」
吾郷の言葉に思わず苦笑いが浮かぶ。
「ふぅむ、それは何故?」
「その必要がないからだろう」
もしかしたら見ているのかもしれない。だがソラが夢を見てそれをどう思うか、覚えていたいと感じるかと言うと、恐らくそれは有り得ない。
泡沫の夢だ。ソラはそれを見続けたいとも、現実になって欲しいとも感じないだろう。
ソラはそういうものなのだから。
そろそろ真面目に向き合う時か。
ガランや御館様一派のせいで手がつけられていなかったが、この村へと来た理由はソラにある。
彼女の事について、俺は知っているようで多くを知らない。
知っているのは今のソラと、ああなる前のソラに致命的な差異があるという事くらいだ。
ソラが何故ああなったのか。それを調べる必要がある。
「吾郷、お前に教えてほしい事がある。ソラの事で、お前が知っている事を教えてほしい」
「へ、お、俺っすか。どうしたんすか急に畏まって」
「ああ。些細な事でもいい。ソラについて、何か気になるような事はないか」
まずは手近なところからだ。
御館様一派の連中は言わずもがな、他の村人は俺を余所者と避けている節がある。
この村で話が聞けそうな人間は限られている。
「とは言っても、俺が知っていそうな事ってクオンさんが知っている事ばっかだと思うっすよ。それに結女様とはほとんど話した事はないっす。クオンさんが来てからお近づきになれる機会が増えましたけど、それ以前は御八家の誰かしらが傍にいて、近寄りがたい雰囲気だったっすよ」
「御八家の? それは今この村にいる五人か」
「そうっすよ。実際には
守る、か。
一体何から守ろうとしていたのか。
それとも見張っていたのか。
どちらにせよ、それを何故か今はせずに遠くから傍観しているだけとは。
俺が傍にいるからか、他に理由があるのだろうか。
例えばもう守る必要がない、とか。
「それじゃ、十年前にソラに何かがあったかは知らないか」
「十年より前ってなると分かんないっす。俺が結女様と会ったのもそれくらいっすけど、結女様に何かあったかなんて聞いた事ないっすよ」
「そうか……」
そんな事はない。何もなかった筈はないのだ。
村人達には知られていない、何らかの重大な出来事があった筈だ。
十年前のある時を境に、ソラには決定的な変化があったのだから。
そう考えた時、ふと脳裏に浮かんだのは昨夜夢に見た光景だった。
夢にしてはやけに現実味があり、その夢に出てきた人物は俺の見知った顔が殆どだった。
俺を拘束していたのは父上、周りで騒いでいた連中は、他の御八家の当主達だった。
ソラに似た巫女装束の女性がソラの母親だと仮定すると、あの場にいた少女二人のうち、幼い方はソラで。
そして拘束されていた俺は、あれは恐らく
過去に起きた出来事を夢に見たなどという事はにわかに信じがたいが、あれがただの夢だとも思えない。
夢の中で見た光景はあまりにもはっきりとしていて、それが現実であるという確信めいたものを感じていた。
あの櫃木神社とその御神木で起きたかもしれない出来事。
純士に一度聞いてみるのもいいかもしれない。
それに父親として長い年月を共に過ごしたのなら、何か心当たりがあるはずだ。
だがそれは新たな疑問を生む。
何故純士は何もしなかったのか。
気づいていないはずがない。それなのに何もしていない。
あの性格からして一人娘を蔑ろにするとは思えない。
あの夜にも言っていたではないか。
空に危害が加えられないならそれでいいと。
そこではたと気付いた。純士はその時、こうも言っていたではないか。
これ以上あの子を家の思惑で苦しめたくはない。
それは過去に何らかの家系の事情で苦しめてしまうような事があったという事ではないか。あの夜に聞いておけばよかったか。
もしくはソラ本人に聞けばよかっただろうか。
前を歩くソラの背中を見、そしてかぶりを振る。
それは、出来れば避けたかった。ソラに聞くというのは、何か恐ろしいものの潜む檻を開けてしまうような、そんな怖さがあった。
今はまだ知らない方がいい。それに触れるには心の準備がまだ、できていない。
帰って純士に聞こう。そう思い立つとソラの背を追いかけた。
なぁソラ、お前には本当に、夢はないのか。
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