第拾陸話 伝承

 その後、俺達は村人の視線が無くなってからも手を繋いだまま、神社の前まで帰ってきた。

 それも二人ではなく三人で。

 ガランが二人と合流した後ソラにも手を繋ごうと提案し、それをソラが了承したからだ。

 その時のガランは声がやたらと上ずったなんだか気持ち悪い声だった。


 左右の手を俺とソラが握った事でガランの両手が塞がってしまったが、荷物運びは吾郷あずま率先そっせんしてやってくれたので問題なかった。

 吾郷も手を握りたそうな表情でソラを見ていたが、案の定ソラがそれに気づく事はなかった。


 意気消沈しょうちんした面持ちで帰る吾郷を見送った後、夜のとばりが落ちて星が見え始めた空を見上げる。

 田舎の夜は早いとは聞いていたが、本当にあっという間に暗くなってしまう。

 街灯の一つもないから尚更なおさらか。


「クオン、早く家に入ろう」


「ああ、そうだな。……ん?」


 ふと見覚えのある姿が神社の石階段を降りてくるのが見えた。

 あれは蛇乃目じゃのめか。神社に何か用でもあったのだろうか。


 そう思っていると彼女は不意に、こちらへひらりと手を振ってきた。

 目を細めて笑う蛇乃目は、美人ではあるのだがやはり薄気味悪さを感じる。

 どう返すか悩んでいる間に、蛇乃目はそのまま俺達の横を通り過ぎそのまま立ち去って行ってしまった。


 蛇乃目にもガランは見えている筈。それなのに特段気にした様子もなかった。

 いや一度だけ視線を寄越したようだが、それ以上は何もしてこなかった。

 やはり監視されているのか、それとも単なる偶然なのか。


 ***


 夕食を済ませ一息ついたところで純士じゅんしへと尋ねる事にした。

 聞くのは勿論、この村の伝承についてだ。


「純士さん、教えて欲しい事があります。この村に伝わる伝承について」


「伝承、というと人食い鬼とそれを退治した武芸者達の伝承でしょうか。でもいきなり何故」


「大した理由じゃないです。学校で耳にして、少し気になっただけで。神社の神主であれば詳細を知っていると聞いたのですが」


「……なるほど。いいでしょう、お教えします。これでもこの神社の神主ですからね。この神社に深く関わる鬼退治の伝承、それについて聞かれたのなら答えない訳にはいきません」


 純士は何故か暫し逡巡しゅんじゅんした後、いつもの柔和にゅうわな笑みを浮かべて快諾かいだくしてくれた。

 彼は居住まいを正すと、くだんの伝承を語り始めた。


「かつて、今から五百年は前のお話です。この村が今の名前になるずっと昔、人食い鬼がどこからかやってきました。永遠の夜の地、永夜とこよと呼ばれる地よりやってきたとも言われていますが、伝承中でも曖昧あいまいなままですね」


 五百年前というと、鎖国よりも三百以上も前か。

 永夜という言葉は聞いた事がないが、そんな島が葦原の外にあったのだろうか。


「鬼達は昼の間は何処どこかに隠れ潜み、黄昏たそがれ時を過ぎると村に降りてきては村人を襲いました。恐ろしい事に鬼の姿は人々には見えず、夕日に照らされて伸びる黒い影と、二つの鬼火だけが鬼が現れた事を知る手掛かりでした」


 夕暮れ時の長い影と二つの鬼火。

 脳裏に浮かんだのは買い物をしていた時の出来事だ。

 なるほど、その人食い鬼の特徴はまるでガランと同じだ。

 あの村人の慌てようは伝承通りのものが目の前に現れたからか。

 吾郷の言葉を思い出す。


『あの見た目まるで伝承の鬼っすよ』


 いや、俺の早とちりかもしれない。それに判断を下すにはまだ情報が足りない。

 黙って純士の語る物語に耳を傾ける事にした。


「腕の立つ村人が何度も武器を取って立ち向かいましたが、姿の見えない鬼を相手取る事などできず、夜を過ぎれば必ず誰かが喰われていなくなりました。人々の安息は昼にしかなく、日が暮れると鬼に襲われないよう家へ逃げ隠れ、震えて眠る日々を送っていました」


 為す術もあるまい。姿が見えない敵を相手に、異能も何も持たない農民達ではどうやっても勝ち目などなかっただろう。


「そこに現れたのが八人の武芸者達でした。彼等は人食い鬼の話を聞きつけ、村を救うべく集ったのです。彼等はその誰もが特別な力を持つ強者つわもの達でした」


「特別な力というと、まさかその八人は異能使いか」


「その通りです。彼等はその特別な力異能いのうを駆使し、人鬼ジンキと共にこの村を襲った悪鬼のことごとくをち滅ぼし退治しました」


人鬼ジンキ?」


 聞き覚えのない単語に首を傾げる。


人鬼ジンキとは人にして鬼、鬼にして人。そういう存在が力を貸したそうです。鬼の裏切り者であるとか、人が鬼に変じたものであるとか、表現が曖昧あいまいで二転三転しているものでして。その人鬼ジンキは人食い鬼を退治した後、深い眠りについたと言われています。それが」


 そう言いながら純士は部屋の窓からある場所を見た。


「あの御神木ごしんぼくの立っていた場所らしいですよ」


「……御神木の、か」


 その御神木が燃え落ち、炎の中から姿を現したガラン。

 単なる偶然か、それとも伝承の出来事は本当にあった事で、ガランこそがその眠りについたという人鬼ジンキなのだろうか。

 確証はないが無関係とは考えにくい。


「八人の武芸者達はその後も村の復興ふっこうを助け、村も彼等に恩を返す事を約束しました。救ってくれた命を武芸者達の為に使うと」


 そこまで聞いてようやく合点がいった。


「なるほど、その武芸者達は御八家の人間か」


「その通りです。その八人の武芸者こそが、今の御八家の祖先という訳です」


 そして交わした約束が守人の始まりという訳か。

 この村が特別な場所だとは聞いていたが、まさか御八家の発祥はっしょうの地だったとは初耳だった。


「これがこの日暮子村かくれごむらに伝わる伝承です。村の名も鬼から隠れる事、日暮れが鬼の現れる時間だった事から名付けられたと言われています。以上ですが、何か質問はありますか」


「ではもう一つ聞きたい。鬼退治に使った刀が本殿にあると聞きましたが、それは本当ですか」


「鬼を斬った刀なら、確かにこの神社に保管してありますよ。そうですね……それでは本殿の方へ行きましょうか」


「む、本殿に?」


「ええ、言葉で説明するだけよりも、実際に見てもらった方がいいでしょう」


 それはまずい。本殿にはガランが隠れている。

 連絡も無しに向かえばばったり出くわす可能性もある。

 ここは引き止めて日を改めるか。


「それに、クオン君と少しお話したい事もありますから。出来れば空の耳に入らない場所で」


「……。分かりました。行きましょう」


 いつになく真剣な様子でそんな事を言われたら断るに断れない。

 それに昼間ガランが言っていたある事実について確かめるいい機会かもしれない。


 そう考えながら本殿へと向かう純士の背を見ていると、ある違和感を感じ取った。

 彼の動きには不自然な揺らぎがある。重心がずれているというか、一挙動一挙動が何処かおかしい。

 敵意は見えないし、何か武器を隠しているという訳でもないだろう。

 体が不自由なのだろうか。


 そうこうしている間に本殿の前までやってきた。


「純士さん、本殿の明かりは付けますか。手持ちの明かりだけでも十分かと思いますが」


 ガランが気づくようわざと大きな声をあげる。

 これで中にいるガランが気づいて隠れてくれた筈だ。その証拠に中で何かが動く物音がした。


「そうですね、中の蝋燭ろうそくを付けていくのも面倒ですし、それに今日は月明かりもありますから必要ないでしょう」


 ゆっくりと扉を開けると、本殿の中にガランの姿は見当たらなかった。

 いや、よく見れば物陰から隠しきれない図体がはみ出していた。

 このまま気づかれずにやり過ごせればいいのだが。

 がしかし、純士があるものに気づいてしまった。


「おや、皿……? 何故こんなところに」


 しまった、ガランの食事の片付けをまだしていなかった。


「すみません、それは昨日ソラに夜食を作ってもらって、此処で済ませていたんです。片付けるのを忘れていました、すみません」


「ああ、そういう事でしたか。次からは気をつけて下さいね」


 若干苦しいかと思ったが、追求されずに済んだ。

 じろりとガランを睨む。

 半笑いで頬を掻いているこいつには後で言っておかねばなるまい。

 純士はそのままガランの前を素通りして本殿の奥、ソラが奥の間と呼んでいた場所の前まで歩いていく。

 ガランに気づいた様子はなかった。


「…………」


「この部屋は普段締め切っていて、まつり事か御館様おやかたさまの命令でもない限りはまず開ける事はない場所なんですよ。ですが今日は特別という事で」


「なるほ――ッ。……?」


 部屋に入ろうと襖に手をかけた瞬間、肌を針で刺されたような痛みを感じて手を離した。

 大したものではなかったが、気のせいとは言い難いくらいの痛みだった。


「大丈夫ですか、クオン君。痛みはありますか」


「ええ、多少。耐えれないほどではないですが」


「……この部屋には結界が張ってあります。結界とは言っても、異能の応用らしいですがね。異能を持たない者にしか開けられないようになっているそうです」


 そう言いながら純士が開いた襖の向こうには、奇妙な光景が広がっていた。

 部屋の中は窓も光源もないというのにほのかに明るく、部屋の中央には床がなく、き出しとなった地面に数人は入れそうな穴がぽっかりと空いている。


 そしてその穴の中心、地面に直接一振りの大太刀おおたちが突き刺さっていた。


「あれこそがこの櫃木神社の御神体、結女ゆいめの太刀です」

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