第拾伍話 繋いだその手は
「ガラン、ついて来い。ソラと
「うん、待ってるねクオン」
「お、おぉ、クオン殿?」
ソラの周りには村人や吾郷もいるし、心配ないだろう。
ガランを若干おいてけぼりにする速度で雑木林へ駆けつけると、二つの輝きは不意に見えなくなった。
先程まで輝きが見えていた場所には何もいない。
逃げ去ったのか、そう一瞬思いかけたが、違う。
やけに静かだ。
目の前に広がる雑木林は、異様なほど静寂に満ちていた。
先程から微かに聞こえていた
まるで何かに怯え身を潜めているかのように。
そして何よりも。
悪意は消え去るどころかその強さを増し、張り詰めた空気は肌を針で突き刺されているかのような錯覚さえ覚える。
姿を隠しはしたものの、ここに何者かがいるのは間違いない。
そこいるのは誰か、そう声を上げようとした時。
「クオン殿~、待たれよと言うに。いったいどうしたんで御座るか」
ガランがようやく追いついてきた。
それと同時に悪意は途端に消え失せ、動物達の鳴き声も思い出したように聞こえ始めた。
逃げた、いや退いたと言ったほうがいいか。
それにしてもガランが近付いた途端にとは。
もしガランが近づいて来なければ、悪意を放っていた存在は俺を害さんと襲いかかってきていたかもしれない。
それほどまでの強い悪意。
殺意だけではない、怒りや憎しみ、それに……何か、別の感情も感じ取れたような。
「クオン殿、草木など睨んでどうしたんで御座るか」
「……今そこに何かがいたんだ。俺達をじっと見ていた」
「うぅむ? しかし拙者には何もおらんように見えるで御座るよ」
「ガラン、本当に何も感じなかったか。何かに見られていたり、悪意をぶつけられたりした気配は感じなかったのか」
「う、うぅむ、拙者には何が何やら。クオン殿の言う悪意とやらもさっぱり感じなんだで御座るよ拙者」
「……そうか」
自分の錯覚だったのか、いやそんな筈はない。
あれほどの悪意が錯覚であってたまるか、間違いなくそこに
それをそのまま放っておくのか、ここは追いかけるべきではないのか。
そう考えてるところに何者かが近づいてくる足音が聞こえた。
村の方からだ。
先程の悪意の正体かと思い身構えるが、その姿を見てすぐにそれが
「なんだぁ、この影……?」
どう見てもただの村人だった。
畑仕事の帰りだったのだろう、土で汚れた顔に
いや、村人が見ているのは地面に映った影だった。
夕暮れを浴びて長く伸びた、ガランの影を。
その時点で気づくべきだった。
ガランの姿は村人には見えない
だが影はどうなのか。
村人の視線がゆっくりと上がっていき、そして影の主、ガランへと辿り着いた瞬間、目を見開いて叫んだ。
真っ直ぐにガランを指差して。
「お、鬼火だあぁ!」
叫ぶやいなや、
ガランの姿を見られたうえ、しかもあんな大声で叫ばれてしまうとは。
異能を持たない者にガランは見えない筈だと油断しきっていた。
その仮説が間違っていたのか、それとも条件次第では誰にでも見えてしまうのか。
今逃げた村人は間違いなくガランの方を指差していた。
もしやあの村人も異能使いなのでは、いやだが何故鬼とは言わず鬼火と言ったのかが気にかかる。
そもそもガランの姿が見えていたなら、遠目からでもこの図体を見逃す筈はない。
それにその直前に影についても何か言っていなかったか。
まさか、そういう事なのか。
「く、クオン殿、悠長に考えておる場合では御座らんぞ!」
「む、拙いな」
俺がある可能性に思い至るのと時を同じくして、複数の足音がこちらへと近づいてきた。
その中には先程の村人の慌てふためいた声も混じっていた。
他の村人を連れてきたのか。
そうなるといつまでもここで棒立ちしている訳にもいかない。
「ガラン、目を閉じてそこの木陰に入れ」
「ほ、に、逃げるではなく?」
「いいから早くしろ!」
「う、うむ、なんだか分からんが承知したで御座るよ」
ガランがいそいそと隠れるのを見届けた後、俺も近くの茂みへと身を隠した。
ほどなくして先程逃げ出した男が数人の村人を連れて戻ってきた。
彼らは慌てた様子の男を煩わしげに相手しながら、辺りを
ガランが目の前で
「おい、何もいないじゃないか。見間違いじゃないのか」
「いやっ、本当に見たんだぁ。鬼火が二つ、俺の身長より上の辺りでぼうって」
「昔話の鬼が出たっていうのかい、あんまり笑えない事言うんじゃないよ」
「角の生えた
やはりか。
話を聞いている限りガランの姿は見えていないが、その眼光と影はただの人にも見えているらしい。
日中気づかれなかったのは、今日がたまたま
目自体もそれほど強い輝きを宿しているわけではないから、夕暮れ時くらいの暗さでなければ気づけない。
恐らくはそういう事だろう。
村人達が立ち去るのを見送ったあと、影に潜んでいたガランへと声をかける。
「ガラン、もう行ったぞ」
「おぉ、それではもう目を開けてもいいで御座るかな」
そう言いながら目を開けるガラン。
なるほど確かに暗がりの中でならばその目が微かな光を放っている事が分かる。
これは見つかっても仕方がないか。
「お前の目はこの時間だと目立つな。目を閉じたままで帰るか」
「えぇ、拙者そんな
「む、参ったな。どうするべきか」
どちらを試しても人目を引くことになる、この方法は駄目だ。
大分回り道をする羽目になるが、人目の少ない道を選んで神社まで帰るしかないか。
「……おっ、名案を思いついたで御座るよクオン殿」
そう言ってガランは手を差し伸べてきた。
意図がわからず
「手を繋ぐので御座るよ、クオン殿」
「――手を、か」
他に案も浮かばないが、手を繋ぐという行為に少し戸惑ってしまう。
差し伸べられたその手をおずおずと握ると、ガランは満足げな顔でその手を握り返してきた。
ずぼらな性格のこいつの事だからあの馬鹿力で握ってくるのでは、などと警戒していたが、ちゃんとこちらの手を痛めないよう力加減をしてくれていた。
金属特有の硬質さはあるが、人肌より少し暖かい。
そして、大きな手だ。
繋いだその手は、俺の手と比べると大人と子供ほどの差がある。
「うむ。これで良し。拙者が何も見えぬ状態であっても、クオン殿がこの手を引いてくれたならはぐれも迷いもせず、共に帰れるで御座るよ」
「…………」
奇妙な気分だった。
この胸をざわつかせる気持ちを上手く言葉に出来ない。
手を繋いだ経験が無い訳ではない。
だが、こうやって自分のものより大きな手に包まれた事はどうだったか。
こんな風に父上に手を握られたのは、いつの事だったろうか。
いや、そもそも握られた事などあったのか。
一度くらいはあった筈だと記憶を掘り返すも、思い出せない。
そんな思い出、始めからなかったのかもしれない。
『失敗作か』
そうだ、そう言って俺を捨てたあの父上がそんな優しさを見せるだろうか。
何を、ありもしない事を夢想しているんだ俺は。
馬鹿馬鹿しい、本当に馬鹿馬鹿しい事だ。
「おや、どうされたクオン殿」
「……なんでもない」
「いやしかし、クオン殿震えてはおらぬか。もしやクオン殿、泣い」
「そんな訳あるか、目を
「……」
その指摘を認めたくなかった、認める訳にはいかなかった。
嗚呼、情けない。
こんなくだらない、些細な事で涙を流すなんて。
人前で泣いている姿を見せるとは、御剣の者として情けない。
きっと父上ならそう言って蔑みの目で俺を見ただろう。
父上が求めたのは俺のような不出来な者ではなく、後を継ぐに足る立派な息子だっただろうから。
父上。
どうして俺は父上の期待に応えられなかったのだろう。
ガランの手を握る手にかすかに力が
涙はなかなか止まってはくれず、
ようやく涙が引いた頃、ガランが普段より
「クオン殿、帰ろう」
「……ああ。ソラ達を待たせてる。早く帰ろう」
「うむ」
ガランはそれ以上もう何も言わなかった。
ただ握ったその手は、気のせいかもしれないが先程よりも暖かく感じた。
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