第拾漆話 結女の太刀

「あれこそがこの櫃木神社ひつぎじんじゃ御神体ごしんたい結女ゆいめの太刀です」


 結女。

 ソラが村人達に、そして御八家の者に公式の場で呼ばれる時の名。

 それと同じ名をかんする大太刀とは。

 いや、純士は大太刀と言っていたが、これをその枠に収めて良いものなのか。


 異様に大きいのだ。

 ただ長大というだけではない。その刀身も拵えも、そもそも縮尺しゅくしゃくを間違えているのではと思えるほどに太く大きい。柄の太さなど大人の男でも果たしてつかみきれるかどうか。


 まるで人間よりも大柄おおがら体躯たいくの何者かが持つ事を前提としているような。


 それにこの大太刀、見覚えがある。

 ガランに初めて会い、触れた際に垣間見かいまみた光景。その中でこの大太刀を確かに見た。

 この大太刀で貫かれた巫女と、巫女を刺して嘲笑わらっていた女。

 あれはただの幻覚ではなかったのか。


 われ知らず穴を降り、大太刀の元へ歩み寄っていた。

 近づいていくにつれ、言いようのない奇妙な感覚にとらわれていた。まるで大太刀そのものに呼ばれているかのような錯覚さっかくを覚える。

 あと僅かで大太刀に手が届く。

 その直前に、純士の制止が入った。


「抜けませんよ。鬼退治の後人鬼ジンキがそこに刺して以来、多くの方がそれを引き抜こうとしましたが……誰にも抜けませんでした。周囲の土をどけようとしても、そうすると今度は刀がより深く沈み込んでしまうそうです」


 なるほど、それでこんな穴が出来上がっているのか。

 いや待て。

 そうなるとこの大太刀はいったい何年、いや何十年何百年此処ここに突き刺さったままになっているのか。

 抜き身で、しかも地面に直接刺しているとなると腐食ふしょくしない筈がない。


 だが見た限りでは刀身にはさびの一つも見当たらず、それどころか刃毀はこぼれすらしていない。

 まるで時間を止められでもしているようだった。

 いや、案外とそういう事なのかもしれない。

 御八家のいずれかか、もしくは他所の者の手によるものか。何らかの異能によって劣化れっかを抑え込まれている可能性は有り得る。


「かつてこの村を襲った鬼達をほうむり去った伝承の大太刀。決して折れず曲がらずちる事のない、永久に不滅の刃。伝承がただの御伽噺おとぎばなしではないという証拠の一つですよ。そしてその太刀は元は御剣みつるぎ家が、つまりは貴方のご先祖様が振るっていたものを人鬼に貸し与えたのだとか」


 御剣の血筋の者が。

 それは初耳だ。父上からは鬼を斬ったとは聞いていたが、そんな話は一度も耳にした事がない。


「それなら何故御剣の太刀ではなく、結女の太刀なんですか。今聞いた話だと櫃木ひつぎとは何の関わりも無さそうなのに」


「そこは私も詳しくは。えにしを結び、またそれを絶つ事を可能とする宝刀であるとかで、巫女の血筋が代々守り通すべしと語られているくらいです。とは言っても此処には結界がありますし、誰にも引き抜く事はできないので守る必要もなさそうですけれどね」


 幻覚の中で見た物品が今目の前にある。

 もしあの時見た光景が幻覚ではないのだとしたら。

 どういう理屈かは分からないが、実際に起きた出来事を見ていたのだとしたら、あの二人の巫女は何なのか。


「純士さん、結女の巫女というのは二人いたのか」


「二人? いえ、結女の巫女は一人であったと聞いていますが」


「では、八人の中で……殺し合いがあったという事は」


「まさか、そんな話は聞いた事がありませんよ。そもそも、それなら御八家は血筋が途絶えて数を減らしていますよ」


 とぼけている様子はない。本当に知らないのか。いや、あの幻覚が事実であるとも限らないのだが。

 語られる伝承と幻覚との間にある齟齬はなんだ。そもそもあの幻覚を見たのはどういう事なのか。


「では次は私の疑問に答えて頂けますか、クオン君。それとも、ここは御剣久遠みつるぎくどう君と呼ぶべきでしょうか」


 かつての名を出され思わず顔が強張る。

 穴の底から見上げてみれば、純士は背後の襖を閉め切り、今まで見せた事のない真剣な顔つきで俺を見下ろしていた。


「君は何故、この村に来たのでしょうか」


「何故ってそれは……」


「君が今になって村へとやってきたはどうしてなのか、それが気がかりなんですよ。貴方は本家から遣わされた者ではないのですか。何かを察知して見張る為に」


「見張る? それは誰を、いや何をですか」


うつほ御館様おやかたさま達をですよ。この村の維持に派遣された、御館様を筆頭とする御八家の人間達。彼等がこの村で何かをしでかそうとしているのではないか、本家の方々はそう考えられているのではないですか」


「それは、どういう事だ。なんの話をしている」


 純士も御館様の一派の一員なのか。

 こちらの出方をうかがうような物言いはまるで先日の御館様のようだった。

 純士は何かを知っているのか、この村で起きようとしている何事かについて。


「君がこの村へと来たあの日の事です。私は御館様の家へと呼ばれた折、貴方がこの村へと来るという話をしたのですが……御館様はそんな話は知らないと言っていました。それに今日も、蛇乃目じゃのめ家の方が私に忠告してきましたよ。『御剣の末裔まつえいの動向を見張れ、彼は本家が遣わした密偵みっていかもしれない』とね」


 あの女、帰り際に姿を見たかと思えばそんな事を吹き込んでいたのか。


「それは誤解だ、俺はもう本家とは関係ない。此処この村に来たのは本家の意志ではなく自分の意志だ。俺が来る事を御館様が知らなかったのは、恐らく伝達の不備だろう。それを言うなら純士さんこそ、御館様や本家が企てている何事かについて知っているのではないのか?」


「まさか、私は御八家とは関わり合いはありませんよ。奴等とは違う」


 彼がそんな吐き捨てるような物言いをするとは思いもしなかった。

 その言葉には侮蔑が混じっていたように思える。


「私はね、御八家の血筋ではないのです。完全な余所者、ただの人間なんです。御八家の名を名乗ってはいますが、私に御八家の権威はありません。村の者も私を御八家とは思っていませんよ」


 確証はなかったが、やはりか。

 純士が御八家の血に連なる者ではない事は薄々気づいていた。

 ガランが視認出来なかったという点と、異能使いを弾く結界に触れてなんともない点。

 そこから異能を持たない普通の人間であるという事、つまり御八家の一員ではないのだと。

 御八家の人間は全員が生まれついての異能使いなのだから。


「君なら気づいているのではないですか、この村の者は余所者に対して随分と排他的である事を。クオン君は空と一緒にいたようですから何もなかったかもしれませんが、私は未だに口を聞いてもらえないどころか物も売ってはくれませんよ。ひどい時は石を投げられる。ろくに外も出歩けない」


「それは……」


 さずがに言葉を失う。

 確かに余所者を嫌う様子はあった。だが、まさかそこまでとは予想していなかった。


「ですから私は本家とも御館様とも関係ありません。彼らが何を考えているのかなんて知りませんし知りたくもありません。私はただ、うつほに危害が加えられないならそれでいいのです。これ以上あの子を本家の思惑で苦しめたくはない。ただそれだけなのですよ」


「なら俺と貴方は同じだ。本家や御館様の思惑などどうでもいい。俺はソラの為にこの村へ来た。信じて欲しい。俺は俺の全てをソラの為に費やすつもりだ」


 純士に告げた言葉は紛れもない真実だ。

 俺は俺に残された全てを、その為に使うと決めてきたのだから。


「……そうですか。それなら、君を信じます。空のこと、大事にしてやって下さい」


 もう出て行ってもいいと言うように襖を開ける純士。

 どうやら今の回答で満足してもらえたようだ。


「勿論です。ソラは俺が守る」


 そう告げて奥の間から出て行く。

 去り際に見えた純士の顔は、何故かひどく悲しそうだった。

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