第拾弐話 姿の見えぬ『もの』

 ガランを見た途端、吾郷あずまはぎょっとした顔で真っ直ぐにガランを指差し叫んだ。


「な、なんかいるぅ!」


「ほっ? あれ、見えておる?」


 天を仰ぐ。

 それ見た事か、言ったそばから見つかってしまった。

 これをいったいどう説明したものか。


「ああ、まぁ、こいつはだな……」


「こいつ? え、え、あの、吾郷君いきなり叫んで、え、どうしたんですか?」


 担任はおろおろと俺と吾郷を交互に見やり、吾郷の指差す方を見たがその視線はガランを向いていない。

 目の前にいるガランがまるで見えていないかのような様子だった。


「先生、見えていないのか」


「え、見えていないって……何のこと?」


 とぼけている様子ではない、本当に見えていないのか。

 いったいどういう事だ。


「……いや、なんでもありません。此処ここには何もいない、そうだな吾郷」


「えっ、だってここに」


「いないよな」


「おっすいないっす!」


 視線でおどすと素直に従った。

 察しが良くて助かった。


「それで、二人してどうした」


「いえあの、クオン君。もう午後の授業なのだけれど……」


「む」


 いつの間にかそんなに時間が経っていたのか。

 思っていた以上に長い時間にらみ合っていたらしい。


「すまない、かねが聞こえていなかった。早く戻ろう」


「え、ええ」


 担任の頭にはまだ疑問符が浮かんでいるようだが、追及される前にこの場は早々そうそうに切り上げるべきだろう。

 担任の背を押してそのまま教室へと戻っていく。


 四人も並んで歩くと木造の廊下ろうかは思った以上にきしみ、そのうち抜け落ちるではと思うほどだった。

 いやちょっと待て、一人多いぞ。


「おい、なんで付いて来ているんだお前は。隠れていろって言っただろう」


「しーしー、先生に気づかれるで御座るよクオン殿」


「こいつは……」


 廊下がやたらと軋むと思えばこいつが付いて来たからか。

 頭を抱えていると吾郷がガランを指さしながら耳打ちしてくる。


「クオンさんクオンさん、こいつなに? なんなんすか?!」


「だから指を指すな指を」


 どう説明すればいいのやら。

 正直こちらが教えてほしいくらいだ。


「危険は無い。筈だ。多分な」


「危険はないって……。角とか牙とか生えててすげぇ図体じゃないっすか。あの見た目まるで伝承の鬼っすよ」


「伝承の鬼? なんだ、それは」


「あー……。クオンさんはこの村に来たばっかで知らないんすね。古い古い昔話っすよ。その昔この村に現れたっていう人食い鬼とそれを退治した戦士の伝承っす」


 聞き覚えのある話だ。

 そう、それは父上が常日頃から語っていた言葉だ。

 御剣のわれらが祖先はかつて鬼をも退治したのだ、と。


「詳しい話は俺も知らないっすけど、櫃木ひつぎ神社の神主かんぬしなら詳しい話知ってるんじゃないっすかね。あの神社に鬼を退治した刀が奉納ほうのうされてるって話っすから」


「ほう、鬼を退治した刀か」


 ソラが入るなと言っていた本殿の奥の間、そこにあるという御神体ごしんたいの事だろうか。

 帰ったら純士に聞いてみるとしよう。


 しかし、こいつが伝承の人食い鬼か。

 校内をきょろきょろとせわしなく見回している姿を見る限り、そんな恐ろしいものには見えないのだが。


 いや待て。

 何を忘れそうになっているのか。

 初めてガランと会った時、その様子は今とはまるで違うものだった。

 咆哮をあげ、暴れ狂う様はまさに鬼と形容すべきものだったではないか。


 あの時のガランとこの今のガラン、どちらが本当のガランなのだろう。


「お、ソラ殿では御座らんか、ソラ殿~?」


 教室に着くやいなや、ソラに向かって呑気のんきに手を振るガラン。

 それを見てソラが小首を傾げる。

 神社にいる筈のガランが何故此処ここるのか疑問を抱いているのだろう。


 そのソラの後ろで帯包おびかねの少女が盛大に口元を引きらせていたが、他の生徒達にはそんな様子はまるで見られない。

 不審そうに俺の方を見ているが、これはガランを見ている訳ではなく、聞き覚えのない声が俺の立つ方から聞こえてきたからだろう。


 見えている者と見えていない者の差、それは恐らく異能使いか否かだ。

 ガランの姿が見えていたのは御八家の俺、ソラ、明華あすか恋路れんじ、帯包と、天然の異能者吾郷の六名。

 能力の違いはあれど、いずれも異能使いだ。

 ガランが村の中をうろついても騒ぎにならなかったのは、村人の中に異能使いがいなかったからではないか。


 ともあれ、見えていないのなら好都合だ。

 さて後は今の声をどう誤魔化そうかと口を開きかけた時だった。


「おうお前ら! クオンさんの事変な奴扱いすんじゃねぇ! 俺の目の届く範囲でクオンさんけ者にしたら許さねぇかんな!」


 俺が何かを言うよりも先に、吾郷が威勢の良い声でそんな事をのたまったのだ。


「どうっすかクオンさん!」


「あ、ああ」

 

 いやどうって、反応に困るんだが。

 吾郷なりに気をきかせたつもりなんだろうが、その一言によって俺は同級生達の中で餓鬼ガキ大将が一目置く余所者と認識されてしまった筈だ。

 何か決定的な壁ができてしまった気がするんだが。


「おいガラン、声は聞こえているんだから静かにしていろ」


「おぉ、すまぬすまぬ。静かにしておるで御座るよ」


「いいか、ソラと俺の席の間でじっとしていろ。教室内をうろつくなよ」


 都合のいい事に俺とソラの席は教室の後ろの方、しかも人も少ない。

 そこで暫くじっとしていてもらうとしよう。


 ガランが歩くたび床が軋み同級生達は訝しげな視線を俺へ向けてくるが、気づかない振りをして平然とした態度で自分の席へ戻った。

 そこで席の上にある筈の弁当が無い事に気付き、しまったと思った。

 結局昼食を食べ損なってしまった。


「ソラ、俺の弁当は」


「お弁当、仕舞ってあるよ。帰ってから片付けるね」


 大した事の無いようにソラは言ってるが、弁当を手付かずのまま処分するというのは流石に申し訳なさすぎる。


「いや待ってくれ、折角作ってくれば弁当だ。帰ってから食べるよ」


「うん、分かった。それでクオン、どうしてガランがここにいるの」


 どうしてだろうなとは俺も聞きたい。

 半眼で隣に立つガランを見やる。

 あ、こいつ外方そっぽを向きやがった。


「学校が終わるまでここにいさせる。特に構わなくていい」


「うん、わかった」


 静かにしてさえいれば周囲の者には気づかれないだろうが、いつまで静かにしていられるのか見ものではある。


「聞こえていますか、御剣の」


 聞き覚えのない声が唐突に耳元でささやいてきた。

 俺の右隣は空席、左はソラとガランしかいない。

 なら声の主は何処どこだ。

 もしやと思い、振り返ろうとしたところで制止が掛かった。


「振り向かないで下さい。そのまま聞いて下さい、返事も不要ですので。私は帯包の繭里まゆりです。結女様の後ろの席の」


 ああ、ソラの後ろに座っていたあのおかっぱ頭か。


「今、貴方にだけ声を届かせています。私の異能を使って。どういうつもりでそれを連れてきたのかは知りません。騒がしくなると面倒ですので、貴方達の声は互いにしか聞こえないように《収束しゅうそく》しています。今私がしているように」


 帯包の異能は確か、事象を一箇所いっかしょに集める《収束》だったか。

 恐らく周囲に拡散かくさんする筈の声を任意の方向へのみ限定しているのだろう。

 なるほど、便利なものだ。


「言っておきますが、御館様へ面倒をかけさせたくないからであって、貴方の為ではありません」


 御館様の為か。

 この繭里といい明華達といい、あんな鼻持ちならない男を随分と信頼しているらしい。

 俺が分からないだけで、御館様には彼女らを惹きつける魅力でもあるのだろうか。

 ともあれ、どういう意図があるにせよ繭里の助力はがたい。


「それと。黒板が見えません、それの図体が邪魔で」


 俺は黙ってガランの頭を押さえ付けた。

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