第拾壱話 鎖を手繰る者
「ああ、気付いてたのね」
物陰から現れたのは予想通り、明華だった。
「当たり前だ。教室を離れた頃から視線を感じていたし、先程のあいつの心変わりは不自然すぎた。気付けと言っているようなものだ。――あいつを《
人の精神を操る千鎖家の異能、《制御》については父上から聞かされた事がある。
完全に意識を奪い操るのではなく、その意識を異能者の思い描くように歪められ、全て自分の意思で行っていると錯覚させる能力。
そのため《制御》を受けた者に操られているという自覚はなく、そしてそれによって起こす行動に何の疑問も抱かないのだと。
先程の吾郷がそうだ。
俺への怒りが収まりつつあるところへ、その怒りを再び燃え上げさせられた。
本来ならばその歪め方を調整する事で、傍から見ても違和感のないように操る事も可能な筈だ。
だが今回の場合はその調整が雑すぎた。
「そうよ、だからなに?」
悪びれもせずに言ってのける。
成程処置が雑な理由は特段隠すつもりもなかったからか。
だがそれにしても。
「俺への憤懣はそれほどのものなのか」
「当たり前でしょ。昨日は蛇乃目や守人がいたから引き下がっただけよ。特に蛇乃目は御八家間の闘争に関してうるさいし」
そう言いながら明華が懐から取り出したのは、鋭い菱形の刀身の武器。
不可解なのはその刀身の色だった。
銀色ではなく仄かに赤みが差しているのだ。
それを見た途端昨晩刀に触れた時の気持ち悪さがこみ上げてきた。
あれはあの刀と同質の物だと直感的に理解する。
あんな物、よく平然と持っていられるものだ。
一難去ってまた一難。
こちらは無手に対し相手は同じ御八家の、それも戦闘訓練を受けているであろう《制御》の明華となれば先程の吾郷のようにはいくまい。
刀を神社に置いてきた事を後悔し始めた。
「あんた、御館様の忠告全然聞かないのね。言ってたでしょ、刀を手放すなって」
「ああ、まったくその通りだと今更ながら痛感している」
「馬鹿じゃないの。仮にも御剣の世継ぎだったんでしょ。そんな腑抜けなら、継いでたとしても何処かで犬死してたかもね。夜宵もあんたみたいなのの、何処がいいんだか」
「ひどい言われようだが、俺は何もせずに死ぬつもりはない。今の俺には為すべき事がある」
先程吾郷に行使した《制御》をこちらに行われればひとたまりもない。
あの異能は、何の疑問も感じずに自らの首を掻き切らせる事さえ可能なのだ。
明華の様子からすると、抵抗の意思を奪ったうえで手にした苦無で直接刺殺するつもりだろう。
《制御》への唯一の対処法は、異能を受ける前に明華の視界外に逃れる事だが、俺の使える《切替》の範囲は両手を広げた程度しかない。
周りは視界の開けた場所で、校舎の中へ逃げ込むにしても一、二秒は掛かる。
一瞬で移動など不可能、つまりは逃げ場のない絶体絶命の危機という事だ。
「もしかしてそれって……いえ、いいわ。学校の中なら蛇乃目の管轄外。あいつに邪魔される事はないし、それに後の事を考えたらあんたはいない方がいいわ。計画外のあんたはね」
「随分と喋るな。そんな事を口走っていいのか」
明華が笑う。
俺を嘲笑う。
「いいのよ。だってあんた、ここで死ぬんだもの」
汗ばむ手を握り込む。
何か、この事態を打開する策を講じなくては。
「く、クオン殿~! お助け~!」
「は?」
「え?」
その緊張状態を打ち破ったのは聴き覚えのある、間の抜けた声だった。
俺も明華も、声のした方を見て目を点にする。
視線の先、そこにはこちらに手を振りながら走ってくるガランの姿があったからだ。
思わず顔が引きつるのを自覚する。
「なんで、此処に、お前が、いるんだ」
「ほあ、いやいや待たれよクオン殿、これには深い訳があるんで御座るよ本当で御座るよ。ゆえにその振り上げた拳を下げられよ本当に」
どうどうと宥めようとしてくるガラン。
その背後から歩いてやって来る人物を見て、さらに状況が面倒な事態になったのだと確信した。
「あ、わりぃねお二人さん。取り込み中だったかい?」
「…………」
現れたのは昨晩御館様の傍にいた、確か
この緊張状態に然したる驚きも見せずに割って入ってきた。
その手に鞘に収まった長刀が握られているが、わざわざ俺と明華の間に立つという事は加勢に来た訳ではないらしい。
状況から察するにガランを追ってきたようだが、やはり御館様側はガランの事は察知していたのか。
隠しているつもりだったが全て筒抜けだったらしい。
明華と鋳楔の青年、二人は警戒こそしているものの、ガランを見てもさして驚いた様子もない事からも明らかだろう。
「恋路、あんたどういうつもりよ。なんでむざむざそいつに村の中歩かせてるわけ?」
「まぁまぁ待てよ。この場で話す事じゃあねぇだろ」
恋路は何やら耳打ちすると、明華は何か言いたげに口を開くもやがて渋々といった様子で苦無を仕舞った。
「悪ぃな、こいつと俺はちょっとばかし席を外すわ。そいつはお前さんに任せたぜ、御剣のぼっちゃんよ」
「俺はクオンだ。もう御剣じゃない」
「ああ悪ぃ悪ぃ。じゃあなクオンの坊ちゃんよ」
そう言うと明華を連れ本当に去って行ってしまった。
去り際に明華にひと睨みされはしたが。
危機は去った、という事でいいのだろうか。
まあいい、とりあえずガランをどうするかを考えないとだ。
学校はまだ午後からも続くようだから、それまでこいつを何処かに隠しておかないといけない。
いっそ午後の授業は出ずに神社に連れ帰るか。
だがそうするにしても人目をどう掻い潜るかが問題だ。
「なんで学校にきた。神社で待っていろと言っただろう」
「いやぁ、暇で暇で仕方がなかったので御座るよはっはっは」
「それで、俺が言った通り見つかってる訳なんだが。目立つんだよお前は」
「ま、まぁほれ、確かにあの恋路とやらには見つかって追い回されはしたが、他の者には見られておらぬよ」
そんな馬鹿な。
神社から学校まではそれなりの距離がある。
真昼間の往来を、こんな目立つ外見の奴が出歩いていて人目につかない筈がない。
そう思うと同時に、ならば何故恋路以外の追っ手が来ないのか、騒ぎになっていないのかという疑問が浮かぶ。
「まるで見えておらぬような様子でな、誰も拙者を見向きもせんかったで御座るよ。ああいや、厳密には声には反応しておったが、拙者の姿を見ても何の反応も示さなんだ。村人も、それにソラ殿の父君も」
「そんな訳があるか。お前のその図体をどうやったら見逃すと言うんだ。いいから何処かに隠れていろ。これ以上人に見られでもしたら面倒だ」
「えー、せっかく学校に来たんで御座るしもっと見て回りたいで御座るよ。それに先程まで恋路とやらに追い回されてうえ、怪我もしておるでな。腰を下ろしてゆっくりと休みたいんで御座るよ」
そう言いながらガランは校舎の方へとのしのし歩いていく。
「怪我だって? っておい馬鹿、他の学生や教師に見つかったらどうするつもりだ」
それを止めようとした矢先だった。
「クオンくーん、そろそろ午後の授業よー?」
「クオンさん、もう時間が――」
校舎から出てきた二人、担任と吾郷とばったりと出くわしてしまったのは。
「ほ?」
「え」
だから、言わんこっちゃない。
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