第拾話 結女様の守人に

 少年に引っ張られて連れていかれたのは校舎裏。

 周囲に人気はなく、聞こえるのは風の音と蝉の鳴き声くらいなものだった。


「お前、結女ゆいめ様に馴れ馴れしいぞ!」


 開口一番に少年はそう怒鳴ると、掴んでいたこちらの手を乱暴に払った。


「は」


 何を言っているんだこいつは。


「俺とソラが馴れ合っては駄目なのか」


「結女様はうつほ様って名前でソラって名前じゃねぇ!」


「ソラは愛称だ。愛称で呼ぶ事にいったい何の問題がある」


「あい、愛称……。結女様を、愛称で呼ぶとかお前……」


 何をそんな戦慄わななく事があるのか。


「お前、結女様は御八家の一つ、櫃木家の御方なんだぞ! 分かってんのか!」


 ああ、そうか。

 のだが、失念していた。

 この村の人間にとって、御八家の人間に話しかける事がどれほど大それた事なのか。

 あまつさえ弁当を用意してもらったり、教科書を共用したりするなど有り得ない事だろう。


「確かにお前の言う通りだ。俺が無用心だった」


「お前じゃねぇ、俺は稲田吾郷いなだあずまだ! 覚えとけ!」


 稲田。

 聞き覚えのない家名だ。

 少なくとも血縁は御剣の本家にはいないか。


「いいな、今後結女様に分不相応な態度とってみろ、この俺が容赦しねぇかんな!」


 少年、吾郷は腕組みして鼻息荒く怒鳴り散らす。

 腕組みも怒鳴り声も相手を萎縮させる為の威嚇だろう。

 周りに誰もいない、助けを呼べない場所に連れ込んだ事といい、随分と慣れているように見える。


 もしかしてこれが昔守人ひみこから聞いた餓鬼ガキ大将とかいう奴か。


「いいだろう、ソラ……じゃなく、結女様にはあまり近づかないようにしておく。これでいいか」


 これ以上事を大きくしたくもないし、ここは大人しく言う通りにしておくべきか。

 とは言うものの、帰る場所が同じ以上どうしたとしても離れる事はできないのだが。


「……ほんとに分かってんのか。まぁ、それならいいけどよ。もう舐めた真似すんじゃねぇぞ」


 不承不承といった様子ではあるが、納得してもらえたようだ。


「ああ。……用が済んだなら俺はもう戻るが、いいか」


「―――」


 問いかけに返事がない。

 こちらを見ているのに意識はこちらに向いていない。

 何故いきなり呆けているのか。


「吾郷?」


「―――いいや、やっぱりお前には痛い目を見せなきゃなんねぇ。結女様に悪い虫がつかねぇよにしねぇとなぁ!」


 溜飲りゅういんが下がったのかと思いきや、再び噴火し始めた。

 その様子が、少し不自然に感じた。

 思い当たる節があるが、それを確かめる事は中断せざるを得なかった。


 吾郷は小さな円柱状の物体を数本取り出してみせた。

 蓄電池だ。

 電気を保存しておけるという珍妙な固体燃料で、国から配給されている貴重品だ。

 懐中電灯や無線電信機ラヂオを動かす為に必要な代物なのだが、街にいた頃でも実家以外では見た覚えがない。

 それがこんな田舎の、それも餓鬼大将が持っているとは驚きだ。


 吾郷は蓄電池を両手で包んだかと思うと、弾けるような音と共に両手の中に青白い光が溢れ出した。

 吾郷がゆっくりと手を開くと、青白い光が両手の間を何度も駆け巡っているのが見えた。


「見やがれ、これがこの俺吾郷様の操る異能、《導電(どうでん)》だ!」


 自然を操る異能、その中でも電気に関連するものは珍しい。

 物珍しさに無用心にも棒立ちでそれを眺めていた。


「くらいやがれ!」


 吾郷が光を握る手を振り上げる。

 咄嗟に顔を腕で庇ったのと、光球が打ち出されたのは同時だった。

 光球は引き寄せられるように俺へと命中し、右腕に痛みと痺れが走る。

 見た目には大した傷は負っていないが、右腕中が痺れ痛んだ。


 電気という半ば未知の力と見た目の派手さ、そして生まれて初めて受ける痛みに面食らう。


「どうだ、俺はいずれ結女様の守人になる男だぞ。異能も使える、腕っ節だって立つ、喧嘩だってこいつで負けた事はねぇ!」


 ソラは確か、櫃木の家は守人を持たないと言っていた気がするが。

 こいつが天然の異能使いだとしても守人になれるかは怪しい。


 御八家内にも天然の異能使いの守人は何人かいる。

 珍しくはあるが、だからといって彼らが特別扱いされている訳ではない。

 精々が他より使い道のある守人という程度のものだ。


「ぽっと出の余所者が、結女様はな、優しくって分け隔てのない人なんだよ。ちょっと抜けたところもあるけど、それをお前みたいに勘違いして寄り付く悪い虫は俺が退治してやらぁ!」


「――――」


 己の修行不足を恥じた。

 その言葉を聞いた瞬間、どうしようもない怒りを覚えたからだ。

 ソラの事をまるで知らない者が、ソラがどういうものかも分かってない者が、分かったような口振りで彼女の有り様を話す事が、どうしても我慢ならなかった。


 優しい?

 分け隔てがない?

 抜けたところがある?


 それが一体どうしてなのかを、こいつは知っているのか。

 いや知っている訳が無い。

 知っていたなら、こいつはソラを忌避する筈だからだ。

 かつての俺のように。


「その程度の異能が何だ。自分では電気を生成できず、既にあるものを操る程度だろう。異能の中では下位も下位だ」


 切り替える。

 即座に右腕の痛みは消え去り、拳を握り込む。


 こちらが怯むどころが戦意をみなぎらせた事に慌てた様子で服を探る吾郷。

 蓄電池を探しているんだろうが、それを探し出す前に走って距離を詰める。

 見たところ吾郷の《導電》は攻撃までの予備動作に時間がかかりすぎ、咄嗟とっさに反撃出来ないという欠点がある。

 それを吾郷も理解しているのだろう、切り札と思われる《導電》を諦め、蓄電池を投げつけてくると迎撃の上段蹴りを放ってきた。


 蓄電池は目潰しのつもりか。

 普通の相手ならばそれを振り払う為に動きを止めるか、顔に当たって咄嗟とっさに目を瞑るかするだろうが、俺には無意味な行為だ。

 顔に当たるものだけを的確に掴み取った後、《切替》で半歩後ろへ、蹴りの届かない位置に立つ。

 そして上段蹴りが空回りして驚く吾郷の顔へ目掛け、応酬しかえしとばかりに蓄電池を投げつけた。


 《切替》で難なくかわしたが、吾郷の蹴りはただの喧嘩殺法ではない、明らかに訓練を受けた動きだった。

 ソラの守人になると言っていたが、口先だけではなかったようだ。

 吾郷は驚きの表情を浮かべたまま、衝撃を受けたように蹌踉よろめき俺から距離をとった。

 

「い、今の、御八家の《切替》じゃ。じゃあ、こいつ、御剣の、紅瞳くどう様の……?」


「なんだ、お前紅瞳いもうとを知っているのか」


 それを聞いて見る見るうちに顔を青ざめさせる吾郷。

 急に妹の名前が出てきて疑問に思ったが、そういえばほんの数日前まで妹はこの村にいたのだ。

 俺と同じく学校に通っていたかはともかく、知っていてもおかしくない。


「す、すいません御八家の方とは知らず御無礼を!」


 見ているこちらが気の毒に思うほど顔面蒼白になった吾郷は、居住まいを正すと慌てて頭を下げた。

 その姿を見てはっとする。

 御八家の威光を振りかざすなと御館様にも釘を刺されていたというのに、何をしているんだ俺は。


「すまない、俺も熱くなっていた。謝る必要はない」


「で、でも」


「いいんだ、構わない」


 己の未熟さに顔を覆いたくなるのを我慢しつつ、吾郷をなだめる。

 思い返してみれば、今の出来事だけではなく、他の場面でも同じような失態を犯していた可能性がある。

 同級生達の微妙な反応は、つまりはそういう事か。


 今後は気をつけねばなるまい。

 気を取り直し、先程の吾郷の言葉の中で一点疑問に思っていた事を聞いた。


「聞きたいんだが、紅瞳が異能を行使するような事態がこの村であったのか」


「いやその、実家に帰る前に喧嘩っていうか私刑に遭って、その時異能使われて滅多打ちにされたもんで」

 

 お前さっき喧嘩で負けた事がないって言ってなかったか。

 しかし私刑ときたか、あいつらしいと言えばらしいが。

 あのきつい性格は家の外でも相変わらずらしい。

 懸念が杞憂だった事と妹の村での様子に苦笑する。


「えっとそれじゃ、御剣クオン様?」


「様はいらない、ただのクオンでいい。それに今の俺は訳あって御剣とは無関係の身だ。だから他の生徒と同じように接してくれないか」


「お、おう。じゃあ、クオンさんで!」


 切り替えの早い奴だな。

 だがありがたい。


「ともあれ、これでお前との揉め事は終わりだ。先に教室に戻っていてくれ。俺は少し用を済ませないといけない」


「了解っす、教室で待ってますんで!」

 

「ああ、また後でな」


 吾郷が立ち去るのを見送った後。


「おい、そこにいるんだろ。そろそろ出てきたらどうだ」


 俺は物陰からこちらを伺っていた者へと、いやこの面倒事の首謀者へと呼びかけた。

 こいつは吾郷ほど簡単にはいくまい。

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