第玖話 名前はクオン、家名は無い
「御剣様、じゃなくってクオン君……でいいのよね。事情は御館様から承っているわ。すぐに教室に案内するから」
たおやかな笑みを浮かべる担任教師の後について教室へ向かう。
こちらの事情は学校や担任の教師に既に通っているらしい。
昨日の今日で手回しが早いのは流石だと感心する。
この村の学校は
校舎は木造の一棟しかなく、学年別の教室も一つずつしかないらしい。
いや、村の人口を考えれば当然か。
教師も数が足らず、担任教師がその学年の全教科を担当するのだとか。
前を進む担任教師の顔を後ろから盗み見る。
まだ年若い、妙齢の女性だ。
これぐらいの歳の女性なら、村の外に出て御八家のいずれかの守人となっていそうなものだが。
他の教師達は壮年に差し掛かった者ばかり、若い教師は彼女しかいないようだった。
案内途中で上級生の教室を通りすぎた時、教室内で守人らしき人物と会話している明華と偶然目が合った。
彼女はこちらを一瞥すると、興味がないと言わんばかりに目を逸らした。
「…………」
なんとも気まずい。
出来るだけ顔を合わせないようにしよう。
***
案内された教室にいたのは、二十人ほどの同年代の少年少女達。
その多くはいずれ御八家の守人となるべく勉学を学んでいるだろう者達だ。
その中にソラと、そして帯包の少女がいた。
ソラは相変わらずとして、帯包の少女からは警戒心を向けられている事だけは分かった。
長い前髪が視線を隠し表情は見えないが、纏う雰囲気がそれを物語っている。
それにしても、だ。
何故か二人の周りだけ空席が目立つ気がする。
避けられているのか、それともソラのあの事について同級生は既に周知なのだろうか。
それならば納得はいくが、帯包の者にまで避けられているように見えるのは何故だろうか。
「はい皆さん、急な話ですが今日から新しい学友が増えます。クオン君、挨拶して」
「クオンだ。今日から世話になるので宜しく頼む」
「クオン君、家名は無いんですか」
生徒の一人が手を上げ質問してくる。
「無い。ただのクオンだ」
「あの、ええと、家名が無いって……」
無いと拙かっただろうか。
御剣の名を出す訳には当然いかず、さりとてらしい家名も思いつかない。
「ああ、あの、クオン君は家の事情でこちらに引っ越してきて、家名も事情があって名乗れないというか、ないんです、ええ」
返事に困っていると、慌てた様子で担任が補足を加える。
「そういう事だ。気にしないでくれ。呼ぶ時はクオンだけでいい」
微妙な空気が教室に流れている。
おかしい、変な発言はしていない筈だが。
「ええと、それじゃクオン君の席は……」
「ソラの隣でいい」
「え、ソラ……?」
しまった、愛称では確かに伝わるまい。
「すまない、訂正する。櫃木空の隣がいい」
「ゆ、結女様の隣……?」
教室の中が騒然となる。
生徒どころか担任や帯包の少女でさえも驚いた様子だった。
何故正気か、という空気になっているんだ。
「何か問題があるのか。席は空いているようだが」
「え、ええとそうですね。問題はその、ど、どうぞ?」
担任の顔が引きつっていた気がするが、気のせいだろうか。
気にせず席へと座り、隣のソラへ視線を向ける。
ソラは教科書の準備をしていて、俺の事は特に気にも止めていない。
予想していた通りではあるが、少し落胆してしまう。
「それで一限目を始めますね。昨日の続きからです、教科書を開いて下さい」
「……む、しまった」
うっかりしていた。一時限目の教科書を持ってきていない。
あまり気乗りはしないが、ソラにお願いするしかない。
「ソラ、すまないが教科書を見せてはくれないか」
「うん、いいよ。一緒に見よう」
「……離れていると見づらいな。机を近づけられないか」
「先生、いいですか」
「え、ええ、構いませんが。あの……」
担任はまた顔を引きつらせている。
いいのかなぁ、という呟きが聞こえたが、何を心配しているんだ。
それから授業は
授業の内容は家にいた時に守人や父上から教え込まれた事の復習に近かった。
学校に行く必要性や価値がないと言い捨てていた父上の言葉を思い出す。
確かにそうかもしれない。
単に勉学を学ぶだけなら屋敷の中でも十分だろう。
「はい、それでは午前の授業はここまでにしておきましょう。昼食の後に続きをしますね」
「昼食か。ソラ、俺の弁当を出してくれ」
また教室内がざわめいた。
「べ、弁当……?」
「結女様に、弁当を用意させたのか……?」
何故こいつらは事ある事にざわつくのか。
「はい、これクオンの分」
「ああ、すまないな」
弁当を受け取り、いざ手をつけようとしたところで。
唐突に、一際大きな音が響いた。
何事かと音のした方を見れば、床に倒れた椅子と険しい顔でこちらを睨みつけている少年の姿があった。
憤懣を隠そうともしない様子に首を傾げる。
いったいどうしたというのか。
怒れる少年はどたどたと足音を立てながら俺の目の前までやってくると、腕組みをして俺を見下ろしてきた。
「おい、余所者。黙ってついてこい」
「何故だ? 今昼食中なんだが」
「いいから来い!」
腕を取られ無理矢理に引っ張られて席を立つ。
振りほどく事も避ける事も容易い事ではあったが、そうすれば荒事になる可能性があった。
せっかくソラが作ってくれた弁当が被害に遭う事は避けたい。
「ソラ、少し席を離れる」
「うん、いってらっしゃい」
ソラは特に気にも止めずこちらを見送る。
ここでソラからこの少年に一言あれば解決しそうな気もしたが、ソラにそれを期待するのは難しいか。
渋々ながら連れていかれる事にした。
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