第捌話 走れガラン(修正版)

 「ふぅむ……」


 考え込むように拙者は顎を撫でた。


 学校へと向かうクオン殿達。

 それを本殿の中から見送ってから、しばらく経ったころ。


 ソラが用意した朝食も弁当も、そうそうに全て食べ終えてしまった。

 特にすることもない。ごろりと床に寝転がり頬杖をつく。


 暇だ。超絶暇だ。

 睡眠は十分取り、今は眠気もない。

 こうして横になったところで、冴え切ったこの頭では眠れそうもなかった。


 何とはなしに本殿の中を見渡す。

 昨晩は夜闇ではっきりと見えなかったが、相当に年季の入った建物のようだ。

 建てられたのは三百年か、四百年以上前といったところか。

 全く見覚えのない筈だが、何処か懐かしさを感じた。


「懐かしさ、なぁ」


 昨日、目が覚めるよりも前の記憶を覚えていない。

 自身が何者で、何をして、何故此処に居るのか、全く思い出せないでいる。

 今拙者にあるものはといえば、クオンに与えられたガランという名前だけしかない。


 手を見る。

 籠手を纏った、いや、そのような外観の金属質の手だ。

 己の姿が鎧武者を模した外観だということは理解できる。


 それはつまり、拙者には鎧武者の姿に関して見覚えや知識があるという事だ。

 記憶がないのではなく、今は思い出せないでいるだけなのだ。

 何らかの理由で思い出せないようになっているだけで。


「御神木の中におった事と関係があるんで御座るかな……」


 クオン殿はそれを知りたがっているようだが、それは拙者とて同じだった。

 何故拙者は焼け落ちた御神木の中から出てきたのか。

 鬼面の怪人とやらは御神木を燃やしたのか。


 ふと、ソラ殿が言っていた奥の間への襖が見えた。

 入ってはならぬとクオン殿は言われ止められていた。

 今はソラ殿もクオン殿もおらず、止める者はいない。

 そして何より暇だ。


 天井に角を当てないようそろそろと立ち上がると、興味と暇潰しの為おもむろに襖へ手をかける。

 その瞬間、突然白い光が瞬いた。


「あいたぁ!」


 襖に触れた腕に激痛が走った。


「な、なんぞ?」


 斬りつけられたのかと思ったが、違う。

 腕を引き裂くような痛みからそう錯覚したが、腕には傷の一つも見受けられなかった。

 痛みだけを与える結界のようなものが展開されているのだと思い至り、そんな知識がある事にまた首を傾げる事になった。


 ソラ殿がクオン殿を引き止めたのは、この結界の事があったからなのだろう。

 なかなかの痛みだったから、クオン殿ならばきっと泣いていただろう、間違いない。

 この襖はそうやすやすとは開けられそうにない。


 しかしそうなれば本格的に暇になってきてしまう。

 食事も眠気も、暇つぶしもないとくればやる事は一つだ。


「やはり外か。いやしかし、クオン殿が出てはならぬと言っておったし、言いつけを破ればやかましく怒りそうでござるしなぁ。でもでもだってここは暇でござるしソラ殿の料理がもう少しばかりほしいところでござるし何より外に出たいよぅし外に出るとしよう」


 それによく考えれば人に見られてはならぬと言うのであれば、見つからなければ問題ないのだ。

 人目を避けて行動すればいい。

 なんて単純明快な解答。

 もっと早く気づけばよかった。


 思い立ったが吉日とばかりに本殿の扉を開けて左右を見渡す。

 右良し、左良し、もう一度右良し。

 ようし出陣だ。

 角を戸口に当てないよう身を屈めて外へ出る。

 外は生憎の曇天どんてん

 日差しも雲に隠れてほのかに薄暗い。

 御神木の隣を通り抜けて石階段へと差し掛かったところで。


 階段を登ってきた人物とばったりと出くわしてしまった。


「ぎょっ」


「ぎょ?」


 目の前に現れた人物、確かソラ殿の父親である純士殿を前に思わず仰け反る。

 早くも人に見つかるとは。

 しかも石階段の周辺には隠れる場所もない。

 いや、目の前に立っていたのだから今更隠れたところでどうしようもない。


 万事休す。

 一巻の終わり。

 思わず顔を覆い身構える。

 だが純士殿の反応は想像とは違うものだった。

 目の前にいるというのに、全くそれに気づいていない様子で周囲を見渡している。

 やがて空耳かと首を傾げながら家の方へと歩いていった。


 どういう事だ。

 見逃したという訳でも、見て見ぬ振りをしたという訳でもなく、まるで本当に見えていないかのような風だった。


「ふぅむ、よう分からぬが助かったようで御座るな」


 考えを放棄する。

 理由は不明だが助かったのならそれでいい。

 胸を撫で下ろすと階段を降りていく。

 この石階段からは村の景色が一望出来た。


 小さな村だ。

 覚えがあるような、ないような。

 細部は違えど、これと似た風景を知っている気がした。


「はてさて、クオン殿達が向かった学校とやらは何処で御座ろう?」


「おう、学校なら左の方角だぞ」


「ほああああ!?」


 独り言に返事を返され思わず素っ頓狂すっとんきょうな叫びをあげてしまった。

 その声は先程通り過ぎていった純士のものではない。

 もっと年若く、だが何処か気だるげな雰囲気を滲ませたものだった。

 振り返って背後を見やると、そこにはだらしなく衣服を着崩した青年が立っていた。


 クオン殿よりは年上だろうか。

 その立ち居振る舞いも服装と同じようにずぼらな様子で、紫煙を上げる白い紙筒を口に咥えているのが特徴的だった。


「学校行きてぇんだろ、この階段降りて左にまっすぐ進みゃ、木造のでかくてぼろい建物がある。それが学校だ」


 青年が指差す方向を見れば、確かに他の家屋よりも大きな木造の建物があった。

 あれが学校であるらしい。


「おぉこれはかたじけない。助かるで御座るよ、ええと……」


 この男は一体誰なのだろう。


「あー、俺か。俺は恋路れんじだ。御八家が一つ《設定》の鋳楔いくさびのな。家の名に覚えはねぇか?」


「はて、お主とは今が初対面の筈で御座るが?」


 頭をかきながら首を傾げる。

 小骨が喉に引っかかったかのような違和感はあったが、それだけだった。

 記憶を失うより以前に出会っていたのだろうか。


「おいおい、寝呆けてんのかそれともそりゃ演技なのか?」


 やれやれと言わんばかりに嘆息して見せる恋路。

 寝呆けているというのはあながち間違いではないのかもしれない。

 未だ頭の中には靄が掛かっていて、記憶は不鮮明なのだから。


 この男は拙者の事を知っている。

 それも今の拙者以上に。


「お主、拙者の事を知っておるので御座るか?」


 無意識にたじろいでいた。

 いや、これはたじろいだというよりも反射的に体が避けたのか。

 つい一瞬前まで丁度拙者の首があった空間。

 そこに何かを感じた。

 不可視の何かが弧を描くように通過したのだ。


「ほ?」


 斬撃か。

 何故かひどく冷静に判断する事が出来た。

 方法は不明だが、見えぬ刃で首を切り裂かれそうになったらしい。

 いったい誰に?

 それは無論、今目の前にいるこの青年に違いあるまい。

 登校前にクオン殿が言っていたことを思い出す。


『御八家の者に見つかれば八つ裂きにされるぞ』


 まずい気がする。

 そう直感的に感じてからすぐに行動に移した。


「さらば!」


「あ、おい待てよお前さん」


 言うが早いか、背後から聞こえる声に振り返らず石階段を駆け下りる。

 だが、あと少しで下りきるというところで右脚に痛みが走った。


「ほあぁあ!?」


 不意打ちで襲った痛みに堪らず体勢を崩して階段から転げ落ちる。

 幸いに無傷、というより階段から落ちた程度ではこの体は傷つかないらしい。

 その頑強な体の右脚に、鋭利な刃物で切り裂かれたような傷があった。

 傷は真正面から付けられたものだが、階段には何も仕掛けられてはいなかったし、恋路も背後にいた筈だ。

 恐らくこの傷を作った正体はあの透明な斬撃だろう。


「飛び降りるかとも思ったが、律儀に下りるんだな。変な奴だなぁ、お前さん」


 特に慌てるでもなく、のんびりとした様子で階段を下りてくる。

 先程は気付かなかったが、恋路の手には鞘に収められた長刀があった。

 あれが引き抜かれる事態になればまずい、きっとまずい、絶対にまずい。


「こりゃたまらん、どうにかしてあやつを、あやつを……?」


 どうするというのか。

 自然と頭に浮かんだ方法にかぶりを振る。

 それは良い方法ではない、気がする。

 では他に方法はあるのか。

 刹那の思考。

 即座に放棄。


「はひぃい、クオン殿ソラ殿、お助けー!」


 三十六計なんとやら。

 一目散に学校へと逃げ出した。

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