第漆話 三人の食事(修正版)

 目を開ければ見慣れぬ天井がそこにはあった。


 この村に来て最初の朝が来た。

 御剣の屋敷以外で寝泊りしたのは、果たしていつぶりだろうか。

 五、六歳の頃にこの村に来ていたはずだが、それから今まで他所で一日以上滞在した記憶はない。

 いつもの習性で早くに起きてしまったが、学校の時間には早すぎる。

 鍛錬でもして時間を潰すか。

 そう思い立つと布団を片付け、手早く着替えて外へ出た。


 見上げた空はまだほの暗く、太陽の明かりもまだ山から顔を出していない。

 境内けいだいに足を運ぶと焼け落ちた御神木の枝を手にとった。

 本当なら刀の方がいいのだが、生憎そんなものは村に持ち込んでいない。父上から贈られた刀は気味が悪く触りたくはない。

 それに誰かと打ち合う訳でもないのだから、これで十分だろう。


 昨日の鬼面の怪人との戦いを思い出す。

 不覚にも異能を不発し窮地きゅうちに陥った。

 決して油断していたわけでも、集中力が落ちていたわけでもない。

 そのはずだ。

 だが事実として俺は異能の発動に失敗した。


 俺は一族の中でも異能の力が弱い。

 発動範囲が両手を広げた程度のものなど、前代未聞だという。

 妹でさえも十丈30メートル程の距離から瞬時に背後を取ってくる。

 父上の本気を見た事はないが、聞いた話では一里4000メートル先まで一瞬で移動する事も出来るという。

 そんな家族の中で、俺の異能の力は分家筋の者にさえ劣る。


 俺が次代を担う世継ぎとして認められたのは、ひとえに異能の発動速度が他の誰よりも抜きん出ていたからだろう。

《切替》を発動した際に見える、無数の可能性の自分。

 その中から最適解を選び出し切り替える速度が、俺は一族の中で誰よりも早かった。


「ふ、ぅ」


 息を吐き、吸い、異能を発動させる。

 正眼の構えから上段、下段と切り替えていく。

 御剣が打ち込みで敗北を喫する事はない。

 いや、まず鍔迫り合いとなる事がない。

 一瞬で構えを変幻自在に変え、相手の死角をとり、負傷さえもなかった事にしてしまう。

 斬ったと相手に思わせた瞬間、背後から斬り伏せる事とて可能なのだ。


 一通りの動作を終え一息つく。

 異能の発動は問題ない。

 三回、四回、安定して連続発動出来る。

 それなら何故あの時、《切替》が発動しなかったのか。


 もしや。

 そう思い胸を押さえる。

 掌に感じる規則正しい鼓動。

 もしや、これが原因か。

 偶然、あの時に限って不具合を起こしたという事なのか。


 そう考えを巡らせていたところに、神主の格好をした男が一人竹箒を片手に境内へ現れた。

 ソラの父親であり、この櫃木神社の神主である櫃木純士ひつぎじゅんしだ。


 純士は俺がいる事に気づくと、人の良さそうな柔和な笑みを浮かべて歩み寄ってきた。


「おや、おはようございます、クオン君。朝は早いのですね」


「はい、おはようございます、純士さん。習慣が体にしみついているみたいで、早くに目が覚めてしまうものでして」


 彼は年下の俺相手にも丁寧語を遣ってくるので、少々戸惑ってしまう。

 他の御八家の人間達とは違う、どちらかと言えば守人達に近しい雰囲気がある。

 それに居候の件も快く受けてくれた。

 詳しい事情や目的は話していないが、ソラの父親であれば彼女の事について気づいているはずだ。


 この人にだけは全てを話しても大丈夫な気がした。


「それにしても災難でしたね。来てすぐにこんな騒ぎが起きてしまうなんて。まさか、御神木が燃え落ちるなんて事が起きるとはね」


「……原因は分かったんですか?」


「いえ、まだですよ。火事が起きた時私は用事で御館様の屋敷にいて、神社に帰ってきた頃には火はもう消えかかっていました。何が何やらという感じで」


「それは俺もです」


「それにしても、呆気ないものですね。こんな、呆気なく」


「純士さん……?」


 焼け落ちた御神木を見上げながら呟く純士の表情は、悲しんでいるような、笑っているような、色々な感情がないまぜになったものだった。

 御神木が焼け落ちたことが、それほどに堪えたのか。


 いや、そうではない気がする。

 それなら悲しみか怒りのはずだ。

 あの笑みとも取れる表情は一体どういう理由だ。

 俺の視線に気付いてか、純士は苦笑しながら頭をかいた。


「いや、すまないね。大した事ではありませんよ」


「この御神木には、何か特別な思い入れがあったんですか」


「……まぁ、そうかな、そうかもね。ああそういえば、君も今日から学校でしたね。どうですか、学校は楽しめそうですか?」


 話を逸らされた。

 話したくない事情なのだろう。

 居候の身で無遠慮に根掘り葉掘り聞くことでもないか。


「学校というもの自体初めて行くので、何とも」


「おや、そうなんですね。それでは、楽しい学校生活になるといいですね。学校でも空と仲良くしてやって下さい」


「それは、もちろん」


 正直胃が痛むところではあるが、そんな事は純士の前では言えない。


「もうそろそろ朝食です。あの子の体内時計は正確ですからね。いつも同じ時間に朝食を用意してくれるんですよ」


 そうだろうなとは思った。

 ソラは時間や予定には正確だ。

 機械的なほどに。


 その後、ソラと純士の三人で卓を囲んで朝食をとった。

 正直なところ、こうして誰かと食事をするのは初めてだ。

 御剣の家にいた頃は、家族全員が集まって食事などまずあり得なかった。

 守人達が用意した食事を一人で黙々と食べるだけ。

 同じ御八家でありながら、櫃木の家はまるで違う。

 不便は多々あるが、温かさもあった。

 もちろん、歪さもだが。


 食事中も純士はどこかぼうっとした様子だった。

 それがいつも通りではないことは、心配そうな風に声をかけるソラの行動から判断出来た。

 先程聞いた時ははぐらかされた点を鑑みるに、踏み込んでいい話題ではないのかもしれない。

 そう内心で結論づけて、黙々と食事を続けた。


   ***


 食事も終わり、そろそろ登校しようかという時間になった頃。


「ソラ、そろそろ登校の時間だぞ。……ソラ?」


 朝食の片付けをしているソラに声をかけようと台所を覗いてみると、何かの支度をしていた。

 食器の音もしないので、片付けに時間がかかっているわけでもないようだが。


「待って、クオン。お弁当用意してるから」


「弁当? 学校では食事は出ないのか」


「うん、学校はみんなお弁当だよ」


 ソラが支度しているのを横から盗み見てみると、朝食に出たものとは別の料理が敷き詰められていた。

 今朝のうちに朝食と弁当のどちらも用意していたとは。

 しかし困った。

 てっきり食事は用意されるものだとばかり思っていた。


「すまない、ソラ。簡素なものでいいから俺の分も用意してはくれないか」


「うん、クオンの分も用意してるよ」


 そう言ってソラが指さした弁当の数は四つ。

 その内二つが俺とソラ本人、もう一つは純士の物として、一つ多い気がするのだが。


「ソラ、弁当の数が多くないか。何故四つある」


「ガランの分のお昼ご飯だよ」

 

 昨日大量のおにぎりを頬張っていた姿を思い出す。

 そうか、あいつも食事はとるんだったか。


「そういえばソラ、櫃木家の守人は何処にいるんだ。村に来てから一度も見ていない気がするんだが」


 そもそも、炊事洗濯は守人の仕事ではないのか。

 俺も鍛錬の一環として行ったことはあるが、それも常にではない。

 その疑問に対する答えはあっさりとしたものだった。


「いないよ。櫃木家は守人を持っちゃいけないの」


「持ってはいけない? どういう事だ」


「そういう決まりなの」


「いや、そうではなく……」


 恐らくソラはそれ以上のことは知らないのだろう。

 そういう決まりになっていると教え込まれて、それをそのまま覚えている。

 詳しく聞くなら純士か、御館様だろうか。

 特に急ぐ話でもない、学校の帰りにでも聞くとしよう。


うつほ、今日の買い出しで買ってきてほしいものがあるんですが」


 ちょうど純士がやってきてソラに言付けを頼み始めたので、その横を通って外へと出た。

 手にはガランの弁当。


「先に行っているぞ、ソラ。純士さん、行ってきます」


「うん、わかった」


「ああ、ええ行ってらっしゃいクオン君」


 純士に見られては怪しまれるし、弁当を渡すついでにあいつに一言言いつけておかなければならないこともある。

 本殿の扉を開け中に入ると、昨晩のようにおにぎりを頬張るガランの姿があった。


「おお、クオン殿。おはようで御座るよ。今日も良い天気で御座るなぁ」


「ああそうだな。そんなことより、いいかガラン。俺とソラは今から学校に行ってしばらく戻ってこない」


「学校? 学校というのはなんで御座るかな?」


「勉学を学ぶところだ。言っておくが、付いてくるんじゃないぞ」


「む、それは何故?」


 自分の外見に自覚はないのかこいつは。


「お前みたいな見た目の奴が出歩いたら騒ぎになる。いや、村人なら逃げるだけだろうが、御八家の連中に見つかってみろ、八つ裂きにされるかもしれんぞ」


「はっはっは、ご冗談を」


「冗談なのはお前の頭だ馬鹿」


 実際のところどうなるかは分からないが、ただでは済むまい。

 それにこいつの存在を、御八家の者達に知られるわけにはいかない。


「夕方まで戻ってこないから、大人しくしていろよ。いいな、絶対にだぞ」


「承知承知、任されよ。二人が帰ってくるまでここで待っておるで御座るよ」


 不安だ。

 だが鎖で縛ったとしても怪力であっさり引き千切ってしまうだろうし、この本殿で自主的に隠れておいてもらうしかない。

 ガランへの言いつけを済ませたところで、ソラが家から出てくるのが見えた。

 ソラは俺に気づくとぱたぱたと走り寄ってきた。


「クオン、お待たせ。はい、これがクオンの分」


「ああ、ありがとう。……あ」


 ソラから弁当を受け取ったところで、父上が送りつけてきた刀を忘れていることに気づいた。


「まぁ、いいか」


 御館様は持ち歩けと言っていたが、置いていくことにした。

 ただ学校に行くだけだ。刀が必要になるような事態が起こるなど。


 まず、起こり得ないだろう。

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