第肆話 御館様(修正版)
激しく燃え上がっていた大樹はその後、駆けつけた村人たちの消火活動によって一、二時間ほどで鎮火した。
全てが終わるころには、日はとうに暮れ辺りは夜闇に包まれてしまっていた。
今俺がいるのはこの村の中でもひときわ大きな屋敷、御八家の一つ、
一段落がついたところで使いの者が来て御館様からの呼び出しを伝達され、この別荘へと出向いたのだった。
「挨拶が遅くなり、申し訳御座いませんでした」
「頭を上げろ御剣の三十六代目。……いや、元三十六代目だったか」
目の前に座る神経質そうに眉間に皺を寄せたこの男、通称御館様と呼ばれている
たしか、伊鎚の異能は《
自分の家の者以外の異能はほとんど目にした事がないので、その《昇華》という異能がどういうものかは知らないが。
ともあれ、そんな男がこちらの事情を知らないはずがない。
なのにわざと言い間違えてみせるとは、見てくれは美男子と言ってもいいようなものなのに性根は聞いていた通りの人物らしい。
「今の俺はただのクオンです。もう御剣の三十六代目ではない身で、その名を名乗るわけにはいきません」
「……ほう。クオン、ただのクオンか。家の名も受け継いだ名も全て捨て、己には関係のないものだということか」
「その通りです。俺はもはや御剣とは無縁の者です」
「いいだろう。なら好きに名乗れ。ただし、それならば御八家の者として振舞う事は許さん。お前はただのクオンなのだから。家の権威を振るおうなどとはするなよ」
「承知しております、御館様」
「……ふん、お前はもう少し腹芸を身につけた方が身の為だぞ。お前の
いちいち刺のある言い方に腹が立たないわけではないが、どうやら表情に出てしまっていたらしい。
少し眉を潜めただけでその言われようとは。
いや、それよりもその後の部分だ。
最後に会った妹は、まるで親の仇でも見るかのような目を向けてきたが、そうかあれはそういう意味だったのか。
こんな男のどこがいいのか。
「お前とて理解している筈だが。我々御八家とは如何なるものなのかを」
言われずとも分かっている。
御八家は、異能を代々受け継ぐ特異中の特異たる者。
世界の理を律することのできる選ばれた血筋。
《
合わせて八つの家系よりなる異能の血族集団だ。
だが御八家の血に連なる者達はそうではなく、その異能を受け継ぐことができるのだ。
その血を、その異能を絶やさぬようにすることだけに執心し、一生の大半を異能の
人が見ればその有り様を異様と言うかもしれないが、それに対して我等が言い返すべき言葉はそれが御八家だという一言だけだ。
それだけだ。
それが御八家の全てなのだ。
「我らは優れた血を継ぐ者達だ。故に忘れるな。その異能も、権力も、我等が我等たるが故のものなのだとな。血に連なる者ではなくなったのなら、その力を無闇に振るおうとはするなよ」
「承知しております。御八家の名に泥を塗るような真似は致しません」
我々は他の者よりも優れている。
それは本当にそうだろうか。
俺達御八家は、すべてが他の異能者より優れているというわけでもない。
異能を引き継げることの代償か、それとも長い年月血族間での交配しかしていなかったからか。
御八家の人間はその精神に、なんらかの問題を抱えている者が多い。
全ての者がそうではないし、個人差はある。
だが異能の強大さに比例して精神はその歪さを増す。
家長となり正当な世継ぎを産むのもそういった者達だ。
御館様から視線を外し、周りに座る者達を
男が一人に女が三人。見知った顔も混ざっている。
みな歳はバラバラで見た目の共通点もない。
ここにいるということは、彼らも御八家の者達であるのは間違いない。
父上が以前話していたことがある。
その代の御館様を護るため、御八家の次男や次女、跡取りではない血縁が送り込まれるのだと。
彼らが恐らくそれなのだろう。
かく言う俺の家でもそれはあった。
もう長い間顔を合わせていなかったが、つい先日まで妹がその役目を担っていたのだ。
家々の決まりごとでその家の者を二人以上この村に置いてはならないらしく、入れ替わるように妹は実家へと帰ってしまったが。
その決まりごとの意図や理由は知らされていない。
それが古くからの習わしなのだと父上は言っていたか。
ともかく、今ここに集っている連中は各家でも一、二を争う実力を持ち、かつ精神に問題を抱えた異常者共というわけだ。
「それで、クオン。来た早々に騒動に巻き込まれたそうだな。神社で火事が起きたと聞いたが」
「はい、その件でしたら無事に鎮火されました。幸い、御神木が焼け落ちただけで家や本殿には火は移ってはいないようです」
あの大樹が御神木だと知ったのは、消火を終えた後だった。村人達がずいぶん落ち込んでいたので何事かと思ったが、御神木が燃えたのならば当然の反応か。
「既に耳に入っている。そんな事はどうでもいい。……それで、そこで何か見たか」
空気が妙だ。
この場を急に肌を焼くような緊張感が支配したような気がする。
心なしか、周りの者達も身構えたように見えた。
それはつまり、彼らは何かを知っているということ。
隠しても無意味かもしれない。
しれないが。
「……いえ、何も。火事の原因も分からないままです。この村の中で御八家に危害を加えようなどという者はいないでしょうから、放火の可能性は低いでしょう。恐らくは落雷か何かでは」
「……。そうか、落雷か。なるほど、そうか」
薄い笑みを浮かべる御館様。その様子を見ながら思考を巡らす。
隠し通せるものでもないかもしれないが、今はあの鎧武者のことは黙っておいた方がいい気がした。
あの火事に関してこの者達は何かを知っている。
だがそれを知っていると明かすわけにはいかない何らかの事情がある。
何かが裏で動いている。
何が起きているのか分からないままで安易に見たなどと返事はできない。
それに、もう家の事情に振り回されるのはごめんだ。
そんなものに構っていられるほど、もう時間の余裕はないのかもしれないのだから。
「それで、お前はそもそもなぜあそこにいた。そもそも、なぜ今この村にいる」
「何を言っているのですか。俺がこの村に来る事は事前に通達があったはず。少々時間は早まりましたが、それでも通達が来るより先に来たなどという事はないはずです。ソラの、いや結女の巫女の家にしばらく居候させてもらう事になっているはずですが」
そう言った瞬間、周囲の空気が下がった気がした。
殺気とも違う。
ここにいる誰もが今すぐにでも俺を組み伏せようとしている、そんな気がした。
御八家の者達五人を相手にするのはいくらなんでも分が悪い。
たとえ己の持つ異能が最強であると自負するものだとしても。
御館様だけはただただ値踏みするように目を細め、やがて首を横に振った。
「そんな話は聞いていない。いったい、何が目的だ。結女に関わりのあることか」
どういうことだ。
父上はたしかに連絡をしたと言っていた。
それともお館様がとぼけているだけなのか。
ここまで来て追い返されてはたまらない。
本当の目的までは言わずとも、ある程度の事情は説明するべきか。
「大した理由ではありません。家を勘当されて行く宛がない。古い馴染みである結女の巫女のそばでしばらく己を見つめ直し、やるべき事を見定めたい」
嘘は言っていないが、これは目的の半分だ。
「……そうか、そういうことか。お前の事は後で問い合わせておこう。話すべきことは話した。早く帰って明日から学業に励め」
「は?」
何か一人で納得した風な御館様の言葉の中に、何やら耳を疑うような言葉がさも当然というように紛れ込んでいた。
「なんだ貴様その返事は。返事ははいだろうが。躾のなっていない奴め」
「いや、待て」
待って欲しい。
今学業に励めと御館様は言った。
それはつまり。
「俺に学校へ行けというのか」
「当たり前だろう、お前はまだ十五歳だろうに。入学の手続きと教科書の用意はこちらで済ませておく。あとはその教養の足りん頭を持って行って、知識を詰め込んでくるがいい」
馬鹿な。
その言葉に
幼い頃から修行、修行、修行とそればかりの日々で、生まれてこの方学校など行ったことがない。
そんなもの御剣には不要だと父上から言われ続け、自分もそういうものなのだと思い込んでいた。
まさかこの期に及んで学校に行くことになろうとは。
「いまさら勉強をしてどうなる、学んだところで俺にはもう意味のないものだぞ」
「ああ分かっているとも。だがな、お前と違って結女は普段から学校に通っている。結女が勉学に励んでいる間、お前は家で
ぐうの音も出ない。
たしかにそれはここに来た目的に反する。
「ま、毎日か」
「日曜は休みだ。それぐらい覚えておけ馬鹿者め」
まいった。
学校の存在を完全に失念していた。
学業に時間を取られてしまうのでは、目的を果たす前に時間切れになってしまうかもしれない。
いや、学業を通してソラと接触を図ればいいのか。
考える事は多そうだ。
それに御館様達に隠している問題もある。
ここで頭を抱えている場合ではない。
「それではこれで……」
「待てクオン、忘れ物だ」
足早に立ち去ろうとしたところで御館様に呼び止められた。
忘れ物とは何だ。
ここには何も持ってきていないのだから、忘れ物などあるはずがない。
村に持ってきた荷物もソラの家に預けてあるし、それ以外の荷物もない。
「おい、あれを渡せ」
御館様の声に応じ、そばに控えていた取り巻きの一人が立ち上がりこちらへ寄ってくる。
俺よりは少し幼いだろうか。
長い前髪で目元を隠しているうえ伏し目がちではあるが、髪の間からかいま見える顔立ちは綺麗に整っていて、衣裳人形を思わせる。
これは確か《収束》の家の娘だったか。
その手には少女の背丈と同じほどの長大な木箱が携えられていた。
「数日前、お前の家から送りつけられたものだ。最初は何事かと思ったが、これはお前の物だろう」
伏し目の少女がおずおずと差し出すそれを受け取ると、思っていた以上に重い。
その時点でこの中身がいったい何かなど見当はついていたが、それでも封を解いてその姿を見た時には息が詰まった。
木箱の中に入っていたものは、一振りの刀だった。
それも柄の作りからして真新しいもの、もしくは今まで使われずに死蔵されていたものだろうか。
傷も汚れも全くない、新品同然の代物だ。
しかし何故父上は刀など送りつけてきたのだろう。
いや、あの薄情な父上に限ってそんなことは有り得まい。訝しみながら刀に触れた瞬間。
ぞっ。
震え上がるような怖気が走った。
思わず取り落とし、いや投げ捨てた。
「なんだこれは」
「見て分からんか、私には刀にしか見えないが」
「どこが刀だ。見た目はそうでも、まるで違う。これはまるで」
触れた瞬間に感じたのは言葉無き言葉、名状しがたい意志の
そんなものを発する刀など在ってたまるか。
とうてい無機物とは思えない、まるで刀の振りをした生物だ。
妖刀。
悪霊でも憑いていそうなこの刀を呼ぶとすれば、その呼び方が一番しっくりくる。
「いいから持っていけ。ここにあっても邪魔なだけだ。それとこの村にいる限り、それを常に持ち歩け。そして決して夜中に一人で出歩くな。これは村の決まり事であり私の命令だ。必ず守れ」
聞かされた決まり事とやらに首を傾げる。
狼か熊か、猛獣でも出るというのか。
「刀が必要になるような事態になるとでも言うのか」
「さてな。お前自身で考えろ」
気に食わん。
何かを企んでいるのは明白なのだが。
嫌々ながら投げ捨てた刀を拾い上げる。
じかに触れ続けるのも嫌気が差し、早々に木箱にしまい直した。
「失礼する」
こんな場所に長居は無用だ。
形だけの礼をして早々に
家の思惑に振り回されるのは、もうこりごりだ。
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