第55話ポリス・イン・ワンダーランド10

 その後、無事に他県警の管轄署に連絡が付き、彼等の家庭は管内の児相でも度々話題になる程の問題のある家庭だと判明した。母親と内縁の夫との4人で住んでいたが、ネグレクトなどの虐待の兆候ありと児童福祉課の職員が警察署に報告した為、早々に児相と連携して両親との分離措置がなされる矢先の騒動であった。伊勢崎諒太、ちかの兄妹は父方の祖父、矢来健三(やらいけんぞう)が引き取るという事に落ち着いた。

 金髪の男によるユリウスへの公務執行妨害は立件される予定だが、驚いたことにまた別容疑が浮上した。


 それは、ユリウスが刑事課へ事の顛末の報告書を提出に行った折に、刑事課長である黒柳から直接聞いたものであった。

 相変わらず山積みのデスクトレーの間から、いささか早すぎる昼飯を食い終えた黒柳が顰め面でユリウスを見た。

 ユリウスの顔面には痛々しい痣がまだくっきりと残っていて、名誉の負傷と呼ぶにはどうにも居心地が悪かった。

 自分は殴られただけだし、男を投げ飛ばしたのはエルミラである。翌日その一部始終がニュースで流れた時、ユリウスは消えてしまいたいほどに恥ずかしかった。


「あいつな、シャブ食ってたわ。前も3つくらいついてる。筋金入りのポン中(薬物中毒)だよ」

「えっ。そうなんですか」


 シャブを喰うとは薬物使用有りとの事である。ちなみに前科三犯、全て薬物絡みで逮捕されているとの事であった。


「今度向こうの刑事と合同でガサに行くけどよ。ユリちゃんも手伝い来てもらうから……今母親が居所不明で探してんのよ、まあ、あれだと母親もやってるだろうね」

「わかりました」

「あ、あとさぁ。署長から今度DV・虐待防止キャンペーンの一日署長になってくれる人いない?って聞かれてさ〜。俺アイドルとかわかんねーしよぉ。誰か心当たりない?」

「えぇ~、いるかなぁ。あっ」


 誰かいるの?マジで?と黒柳が前のめりに聞いてくる。ユリウスは期待しないでくださいね、と一応釘を刺して、スマートフォンを取り出した。



 数日後、早朝、C県某市内にて。

 濃紺のジャンパーを着た刑事課員と生安課員が、二階建てのアパートの一室の前で、畳まれた段ボールを手に待機していた。物々しい雰囲気に、周りの住民がぎょっと見つめていた。その中でユリウスも同じジャンパーを着て、段ボールを手に緊張した面持ちで佇んでいる。


 アパートの大家らしき男性にC県警の生活安全係長が裁判所からの家宅捜索令状を読み上げる。

 契約者の女、ちかと諒太の母親が行方不明の為、その部屋の管理人に許可を取る必要があるからだ。


「それでは、裁判所から伊勢崎A子(仮名)宅への家宅捜索令状が出ております。容疑は、児童虐待防止法違反と保護責任者遺棄罪です。また、此処に住んでいた内縁の夫C夫にも覚せい剤取締法違反で令状が出ております。大家さん、開けて頂けますか」


 男性がマスターキーで鍵を開ける。それと同時に「では、5時25分。着手」と言う声が響き、課員達が一斉に動き始めた。

 部屋の中は、食べ物が腐った凄まじい異臭が漂い、ゴミや衣服、請求書が散らばっていた。マスクをしていても鼻をつく臭いに思わず顔を顰める。

 赤ちゃんの時から使っていただろうピンク色の小さな椅子が、ゴミに埋もれて哀し気に放置されていた。

 その中に、赤と青のクレヨンでぐちゃぐちゃに表紙が塗りつぶされた自由帳を見つけた。

 証拠品を入れるための段ボールを床に置き、それを取り、パラパラと開いた。


「……ッッ!!!」


 明らかに子供が描いた人と円形の何かの絵と共に描かれていたのは、


 ──ちかが、ままにけーきつくってあげたら、わらってくれるかな。


 ユリウスはやるせない感情を無理矢理に飲み込んで、黙々と作業を続けた。

 押入れを探っていた若い男性課員が、何かを見つけた。


「課長、パケとポンプ(注射器)見つけました」

「そのままにして写真撮れ、それから持ってきた封筒に入れろ」


 その後、20キロほど離れたT市内で発見された母親A子は身柄を確保され、児童虐待防止法違反、保護責任者遺棄罪で逮捕されたれた。また、後に部屋で見つかったパケと注射器からA子の指紋や血液が検出され、覚せい剤取締法違反で再逮捕された。現在は身柄を送検され、M拘置所にて拘留中である。


 現在、伊勢崎諒太、ちかの兄妹は祖父の元で幸せに暮らしているという。





 ──────


「みんなー!!! チカにゃんだにゃーん! 今日はぁ、境島警察署の一日署長に任命されましたー!」


 県警本部から貸し出された女性警察官の制服を着たチカにゃんが警察署前の駐車場で、数十人の記者やファンに囲まれて、マイクを手に笑顔を振りまいている。

 あの後、彼女の動画がSNS上で拡散され、ワイドショーにも取り上げられるほど話題になり、多くの物議が醸された。

 否定的な意見も無くは無かったが大部分が彼女を肯定し、勇気を讃えるものであった。


 祭礼終了後、ユリウスは彼女へお礼を言いに行ったときの事を思い出した。

 鼻血は拭き取ったが、殴られて顔を腫らしていたユリウスの事をチカにゃんは酷く心配して、ライブ用の冷却剤をくれた。


『あの子達見てたら子供のころの事、思い出しちゃって。我慢できなかったんです。ごめんなさい』


 チカにゃんこと佐伯チカは、ガーランドの北東の山間部の出身で、幼い頃から父親から虐待を受けていたサバイバーだった。挙句に父親は売春斡旋のブローカーに彼女を売り渡し、保護されるまで過酷な日々を送ってきたという。

 だが、彼女は持ち前のポジティブさと負けん気で在留資格を取り、働きながら動画配信の勉強を独学で行い、猫耳地下ネットアイドルチカにゃんとしてデビューするまでになったのだ。

 ライブ中は天真爛漫な猫耳アイドルに見えた彼女の横顔は酷く哀し気で、様々な苦労や苦難を乗り越えてきた一人の女性、佐伯チカのものであった。

 ユリウスは今回のお礼と今後表彰などで連絡があるかもしれないので、と告げて、自分の名刺を渡した。


『ユリウス……さんですね。ふふ、じゃあもし、あたしも何かあったら連絡ください!』


 そう言って、彼女は自作であろう、パステルカラーの可愛らしい名刺をユリウスに差し出した。裏には電話番号が書いてあったのだが、残念ながらユリウスには、その意図するところは全く持って伝わらなかった。


 しかし、ユリウスの申し出に彼女は快く応じてくれ、無事にキャンペーンの一日署長は決定した。

 当日はどこまでもぬけるような晴天で、雲一つない穏やかな空の下での開催となった。


「ほらほら、署長さん! チカにゃんポーズはこうやるにゃん!」

「え、こ、こうですか」


 隣にいる署長に、動画の締めに行う決めポーズをチカにゃんが教え始めたのを見て、ユリウスは回想から現実に引き戻される。可愛らしい獣人族の猫耳アイドルと、一角の警察署長が「にゃにゃにゃにゃーん! 」と猫ちゃんポーズをしている光景はシュールを通り越してレアである。 その隣の副署長は笑いを噛み締めているのか、元からの凶相が更に恐ろしいことになっていた。記者に混じって、警務係の浅野係長がその光景を一心不乱にデジカメに収めている。後で本部の警務課に写真を送付するのだろう。

 微笑ましそうに輪の外からそれを見ていたユリウスの制服の裾を、誰かが引っ張った。振り返ると、ピンク色のワンピース姿の少女が満面の笑みでユリウスを見上げていた。


「お巡りさん! ちかも、チカにゃん見たい! 抱っこして! 」


 兄と祖父が後ろから慌てたように走ってくる。ユリウスは彼等に向かって手を振ると、少女に言った。


「うん。喜んで」


 ユリウスはちかを抱え上げ、楽しげな少女を声を聴きながら、少しだけ泣きそうな笑みをこぼした。

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