第54話 ポリス・イン・ワンダーランド9
「初めましテ。ワタシは、生活安全課の権田原(ごんだわら)といいマス。……ええと、おじちゃんはゴブリン族だケド、怖くないカラ安心してネ」
急遽呼び出されたため、ジーンズと黒いTシャツ姿で現れた生活安全課の権田原巡査長がバインダーを手にぺこりと頭を下げた。彼はホブゴブリンとゴブリンのハーフで、一般的なゴブリン族より逞しい身体つきである。少年は初めてゴブリン族を見たのか最初に彼が現れた時はぎょっとしたように凍り付いていたが、丁寧にあいさつをされて安心したのかほっとしたように小さく頭を下げた。
ユリウスはそのやり取りを聞きながら、離れた所で彼の妹の相手をしている犬飼とチカにゃんを見つめていた。
「お名前と年齢と、住所を教えてくれるカナ?」
「……伊勢崎諒太(いせざきりょうた)です。ええと、ごめんなさい、歳は、13歳です。住所は……」
権田原がバインダーに氏名と住所をメモしてゆく。高校生だと名乗っていた少年は実は中学生であり、驚いたことに彼らの住所は他県のものであった。
「○○県○○市って隣県だケド結構遠いネ、何で来たノ?」
「途中まで自転車です。パンクして壊れたから。それからは、歩いて」
「エ!? 妹連れて歩いてきたノ?」
「疲れたら背負ったりして。朝4時に出たから、夕方5時頃に着けました」
ぽつりぽつりと話し始める少年の話を、エルミラがどこか悲痛そうな表情で聞いていた。
ちかの兄である伊勢崎諒太(いせざきりょうた)の話は、ユリウス達の想像を絶するものであった。
「今日、妹の誕生日だったから。ちかは昨日から楽しみにしてたんです。ずっとケーキ食べたいねって母さんに言ってて」
父さんとリコンしてから母さんもしばらくは優しかったんだ。僕も父さんの事は大好きだったし、何回か会ったりしてた。でも、父さんが事故で死んじゃってから、色んな男の人たちが家の中に入ってきて、お酒飲んだり、大声で叫んだりして。
あの人は、機嫌が悪い時と良い時の差が激しくて……多分彼氏からのメールかなにか見たんだと思う。アイツ、もう僕達はどうでもよくて、彼氏のコトしか頭にないんだ。
それで、ちかが「誕生日ケーキは?」って言った瞬間、あいつ、ちかの事殴ったんだ。何度も。顔じゃなくて背中とか、身体。見えるところにやると駄目だって金髪の男の人に言われてからいつもそうだった。だから僕がやめてって言って、ちかに覆いかぶさって。沢山殴られたけど、よく来る男の人に殴られるよりは痛くないから。それで、母さんは怒ったままどっか行っちゃって。帰ってこなかった。いつもは数日で帰ってくるけど、もう我慢できなかった。ちかはずっと泣いてたんだ。ちかの誕生日ケーキなくなっちゃったって。
「ひどい……」
エルミラが思わず口に掌を当てる。ユリウスもあまりの凄惨な話に絶句していた。自分も妹がいる身だ。彼らの境遇が重く重く胸の裡に沈んで溜まってゆくようだった。
「どうシテ、此処に来ようと思ったのカナ?」
権田原が務めて優しい声で聞く。彼ら生活安全課員は、DV・虐待事案も扱う。昨今、DV・虐待事案の認知件数の上昇に伴い、警察庁は全都道府県警の生活安全課員への虐待事案の取り扱い教養に力を入れていた。
「僕、ちかが生まれる前、暫くおじいちゃん達の家に住んでたことがあって。二人とも優しくて、大好きだった。丁度、ニュースでこのお祭りの事見て、小さい頃おじいちゃんに連れて来てもらったの思い出したんです。だから、ここに来たら、おじいちゃんに会えるかもって」
ユリウスは思わず目頭が熱くなりかけていた。まだ中学一年生の少年が、幼い妹を守るために遠い道のりを歩いてきた事ではない。彼等の理不尽な境遇に対する怒りや、警察官としてなにもできない自分の不甲斐なさが入り混じった、ぐちゃぐちゃな感情からだ。
「おじいちゃんハ、此処に住んでるの? 名前はわかる?」
その問いに諒太が首を振る。彼によれば、5歳くらいの時から一年ほどして連れ戻されたらしい。
「おじいちゃんについて、何か覚えている事はないの?」
諒太の背後にいたエルミラが優しく問いかける。諒太は小さく首を傾げて考えるとハッと何かを思い出したかのように口を開いた。
「確か、古い洋楽が好きで、車ではビートルズが流れてました。レット……イットビーだと思う。おじいちゃんが、一番好きな曲だって、いつも言ってた」
ぽつぽつと懐かしそうに彼が言う。しかし、両親以外の親族又は身元引受人が分からない以上、住所地を管轄する警察署に引き渡すしかないであろう。そして、彼等は児童相談所に送られる事になる。
「ソレだけかぁ……うーむ」
ボールペンで頭を掻く権田原を、ユリウスは祈るように見つめた。
「権田原さん、この子たちの扱いは、どうなるんでしょうか……」
「うーん、難しい所ダナ。取り敢えず住所地の管内の署に連絡を入れるしかなイダロウ。課長にも判断を仰がんといけないカラナ」
両親と連絡が取れない以上、自治体の児童福祉課や児相とも連絡を取らなければならない。祭礼どころではなくなったユリウス達の周りもやにわに騒がしくなり始めた。
「この子らのお爺ちゃんが見つかればナぁ」
権田原が溜息を吐く。諒太が悲しそうな表情で項垂れた。
だが、重苦しい雰囲気を破るように明るい声がテント内に響いた。
「あの!! すみません!」
ちかの相手をしていたチカにゃんがほっそりとした両手をぶんぶんと振りながら大声を上げていた。
「あっ、あの、その、あたし猫人族だから耳が良くって、聞こえちゃってて……えっと……もしかしたら、お力になれるかもしれないんで、いいですか……?」
警察官達は藁にも縋る勢いで、猫耳地下ネットアイドルの提言に耳を傾けていた。
──────
「みんなーー!!! チカにゃんだにゃーん! あいるびーばぁぁぁっく!!」
最後の演者が演奏を終えた後、チカにゃんは運営スタッフに何とか頼み込み、一度だけという条件で再出演をするまでにこぎつけてくれた。
その前にチカにゃんはSNSでゲリラ的ではあるが、再出演をする旨を拡散していた。その為、イベントが終わりに近づいても、観客の数は衰えるどころかむしろ増えているようだった。
華やかな衣装を着てキラキラにデコレーションされたマイクを手に壇上に立つ彼女を、諒太とちかが舞台袖で目をきらきらさせながら見つめていた。それをユリウスとエルミラが緊張した面持ちで見守っている。
一際大きな声援が観客席から響き渡る。
「今日はねー! チカにゃんのおともだちの為に、歌いたい歌があるんだ~☆」
その言葉に、「なーにー!! !!」という野太い声が観客席の方から響く。
「そのお友達はね、小さい頃生き別れた家族を探していて、思い出の曲しか分からないんだ」
いつになく真剣で、真摯な彼女の言葉に、会場内は水を打ったように静まり返った。
「だから今日、もしかしたら、此処にいるかもしれない。これを聴いて心当たりがあれば、会いに来てほしいんです。お願いします……それでは歌います。ビートルズの『レットイットビー』」
しっとりとしたピアノの前奏がスピーカーから流れて、マイク越しにチカにゃんが小さく息を吸う音が聞こえ、歌い始めた。
普段なら激しくサイリウムが動く会場も、彼女の歌声に聞き惚れるように静まり返っている。それ程に普段のテンションの高い曲とのギャップが激しかった。70年代に大ヒットしたこの曲を驚くほどの歌唱力で歌い上げる彼女に、ユリウスも思わず聞き惚れていた。
曲が終わり、割れんばかりの拍手が鳴り響く。涙を流す者さえいた。それ程に彼女の歌声は聴く者の心を打ったのだ。
「あっ!」
「諒太君!?」
唐突に、諒太が観客席を見て声を上げ、ユリウスが止める間もなく舞台袖から飛び出した。
諒太はステージを一直線に横切ると、そのまま舞台から飛び降りる。ユリウスがそれを追い、観客たちが騒めいた。
「おじいちゃん!!」
「えっ!?」
観客席の隅の方へ走ってゆく諒太が、大声で叫んだ。その言葉にユリウスが声を上げる。更に諒太の視線の先を見て、二重に驚いた。
「諒太……なのか?」
観客席の一番端に隠れるように佇んでいたのは、先刻、チカにゃんのライブ会場で観客とトラブルを起こした男性であった。
「あ……さっきライブ会場にいた……」
「諒太!? お前ェ、どうやって此処まで来た! 怪我、してねぇか!? もう、もう会えねぇかとよぉ」
男性が諒太の肩を掴み、必死な表情で問いかける。その眼には涙すら浮かんでいる。
「あの、すみません。伊勢崎諒太君のお身内の方で、宜しいですか……?」
思わぬ再会に喜ぶ祖父と孫に、ユリウスが遠慮がちに声を掛けると、男性は手の甲で目元を拭ってから、頷いた。
「すいません。この子は、死んだ息子の嫁さんの子で、大分前に暫く預かっとったんだけども、いきなり無理矢理返してくれっていって、連れて行っちまって。あの嫁は、俺が言うのもなんだけど、素行が褒められたもんでねぇから。ずっと心配しとったんです。ちゃんと育てて貰ってんのかって」
「だから、お祭りの時、もしかして会えるかもしれないって探していたんですね」
ライブ会場の騒音が煩いとトラブルを起こしたのは、年々耳が遠くなっていた自分が、孫の声を聴きとれるのか不安だったからだと申し訳なさそうに男性は語った。
「諒太君に妹さんが居るのはご存知ですか? 今日は妹さんを連れて、おじいちゃんに会うために徒歩で来たそうです」
「そうだったんですか……。初耳でしたが、どちらにしろ、俺には可愛い孫に変わらねぇよ。諒太よ、頑張ったなぁ」
祖父の大きく無骨な手に頭を撫でられた少年は、ずっと耐えてきたものが堰を切ったかのように流れだしたのか、声を上げて泣き始めた。ユリウスも、これには思わずもらい泣きしそうになってしまう。
「では、お話を聞きたいので、警備本部までお越しいただきたいのですが……」
ここから早く移動しようと二人を促した時、別の場所から聞き覚えのある鋭い声が聞こえた。
入場口ゲートの方からだ。
「やめなさい! この子から離れなさい!」
エルミラが、怯えてしがみつくちかを後ろに庇いながら、目の前の男達に対して鋭い声を上げている。
諒太を彼に任せ、ユリウスは急いでそちらへ向かう。そこには、派手な身なりの若い男数人が二人を囲んでいた。
「だぁから~。そいつは俺の娘なんだっつーの。てかお前、何勝手に家出てんだよ!クソガキ!」
怒鳴られてちかがびくりと身を縮こませる。エルミラが怒気を滲ませて男を睨みつけた。男達はかなり酔っているようで、呂律があまり回っていない。その一番前に居た金髪の男がエルミラを舐めるように見つめ、にやにやと脂下がった表情で口を開く。
「てかそれコスプレ? マジで超美人じゃん、ねえおねーさん。俺達とちょっとあそぼーよ」
「あんたら……」
今度こそブチ切れたエルミラがぎろりと男を睨み付けた時、ユリウスが双方の間に滑り込んだ。
「あーっと! 落ち着いてくださーい。境島署でーす。ね、落ち着きましょう」
酔っ払った男は唐突に現れた男性警察官を見て唐突に興奮したように声を荒げるが、ユリウスは落ち着かせるように両掌を見せて冷静に声を掛ける。この手の酔客の扱いには今日一日で慣れ切っていた筈だった。
「うるせぇんだよ! 落ち着いてんだろーが! あぁ? 何だテメー!」
「境島署の警察官です。お兄さんたち、ちょっと飲み過ぎですよ、もうちょっと落ち着きましょう。ね?」
「うるせぇ!ぶっ飛ばすぞコラ!」
その言葉と、ユリウスの顔面に男の拳が入ったのは同時だった。目の前に火花が散る衝撃と痛みの後に一拍置いてあ、殴られたな、と思った時、男の身体は宙を舞っていた。
紙吹雪の残骸が散らばる地面に強かに背を打ち、げう!という奇妙な声を男が上げた。
「ガーランド君! 手錠! ライブ会場前で公務執行妨害(コウボウ)事案発生!至急応援願います! !」
エルミラがなおも暴れる男をうつぶせにさせて腕を極める。ユリウスが殴られた時、エルミラが素早く懐に入って、見事な背負い投げを決めたのだ。エルミラは柔道と逮捕術の特別練成員で、自分の倍以上ある相手を軽々と投げ飛ばすくらいの技量の持ち主である。ユリウスは流れる鼻血をそのままに、後ろ手に極められた手に手錠をかける。
無線を聞いた署員たちが続々とやって来た。鼻血まみれのユリウスを見た犬飼と毒島が殺気立ったように男達の前に立ちはだかる。2メートル越えのワーウルフとリザード族の警官に睨まれた男達は先程の勢いは何処へ行ったのか、風船がしぼんだように大人しくなっていた。
「ちかァ!! テメー俺から逃げられると思ってんじゃねーぞ! ! テメーの兄貴もバラしてやっからな!」
がっちりと脇を固められ引き摺られてゆく金髪が、往生際も悪く怒鳴り続ける。周りの警察官が𠮟責しようとした時。
『ふっざけんなよ!』
きぃん、とマイクのハウリングで耳が痛くなるくらいの大音声が会場内に響き渡った。
『子供はお前らの奴隷でも、所有物でもないんだよ! お前が殴ったり、煙草の火を押し付けてきた子供の気持ち、少しでも考えたことあんのか!? 子供が反撃できないからって最低なんだよ! ! 恥を知れ!! お前の弱さを子供に押し付けてんじゃねえよ!!! そんなお前が親になる資格なんか、一ミリだってねぇよ! 』
慟哭とも言えるチカにゃんの叫びに、ライブ会場、いや祭り会場自体が静まり返る。
マイクが彼女の嗚咽を拾い、辺りに響いた。
金髪の男は呆けたような表情でステージを見ていたが、やがて署員たちに引き摺るままに、力なく連れて行かれた。
こうして、ユリウスの初の祭礼警備デビューである、大波乱の例大祭は幕を閉じたのであった。
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