第51話 ポリス・イン・ワンダーランド6

 どど、どどん。

 五重芯変化菊が幾つもの形や色を変え、空に色とりどりの花を咲かせる。

 犬飼とユリウスが少女と共に会場を回っている頃、ハーフエルフの女性警察官で、ユリウスの同期であるエルミラは、会場から少し離れた交差点の歩行者天国の規制線の前で交通整理をしていた。


「ラヴィネから警備本部、B1地点、渋滞等の異常無し」

≪警備本部了解≫


 ハーフエルフならではの色素の薄い、端正な面立ちが蒸し暑さに辟易したように眉を寄せる。会場警備程ではないが、仮設トイレの場所や、会場の場所などを聞いてくる一般客がそれなりに多くいるので、流石のエルミラも疲労の色が滲んでいた。


「早くシャワー浴びたい……ホント人混みって嫌いだわ」


 聞かれないようにぶつぶつと独り言を言いながら、活動帽を脱ぎこめかみに伝う汗を手の甲で拭っていると、目の前の交差点で、中年の男性が何やら怒鳴っている。その向かいに、黒いTシャツにカーキ色のハーフパンツを着た10代前半くらいの少年が、強張った表情で自分を怒鳴りつける男を見上げていた。

 エルミラがそれを見て小走りで駆け寄り、声を掛ける。


「どうされました?」

「どうもこうもねぇよ! このガキがね! 俺の財布を取ろうとしたわけ!」


 でっぷりとした中年の男性は酒臭い息を吐きながら声を荒げていた。かなり聞し召しているようで、呂律も怪しい。

 男は今にも少年を掴みかかろうとする勢いだったので、エルミラは丁寧に男を諭して少年と距離を取らせた。

 少年を見ると、俯いたまま気の毒なくらいに肩を震わせている。


「大丈夫、落ち着いて。さっき起きた事を教えてくれる?」

「……あのおじさんがよろけて来て、避けきれなくて、ぶつかったんです」

「成程。それで?」

「財布が落ちてたから、拾ったら、すごい勢いで怒り始めて……」


 少年の全身をざっと眺める。Tシャツが少し汚れているのは、そのせいだろう。怪我がないのは幸いだった。


「貴方、年齢は?」

「16歳です」

「高校生?」

「はい」

「今日は誰と来たの?」

「え、あ……一人です」


 しどろもどろになる少年の細い右手首にキラリと光るものを眼に留めて、エルミラは首を傾げた。


「貴方、それ……髪ゴムよね? 小さい子用の」

「なあお巡りさん! 早く捕まえてくれよ!」


 少年の髪は前髪長めではあるが、留められるほど長くはない。だが、苛々と向こうで待つ中年男の胴間声に、エルミラの質問は遮られ、内心舌打ちした。


「お静かに。いい年して酔っ払って醜態を晒す成人男性の怒鳴り声より情けないものはありませんよ。それと、あまりやりすぎると未成年に対する暴行罪として立件するようになりますがそれに関しては如何ですか」


 今度こそエルミラは怒りを滲ませて絶対零度ともいえる声音で男に言い放つと、男は眼をまん丸とさせてから、エルミラの殺気ともいえる威圧に恐れを成したように背中を丸めて「あ~、えーと。勘違いだったかもなぁ~。ははは」と眼を泳がせた。


「勘違いでしたのならそれで結構。怪我がないのは幸いでしたが、あまり酔い過ぎないようにしてください」

「はい……」


 回れ右をして歩き出す男の危なっかしい足取りを呆れながら見送り、エルミラが少年に向き直ろうとした時だった。


「ごめんなさいね……あれ?」


 振り返れば、少年はもうそこにいなかった。焦りながら周りを見渡すが、何処にもいない。どん、と花火が打ち上がる音が響き渡る。エルミラの脳裏には、少年の細い手首に巻き付いていたクリスタルの青い星の髪ゴムが焼き付いていた。


────────


「お兄ちゃん見つからないねぇ~」


 肩に少女を乗せたまま歩いていた犬飼が溜息を吐く。警備本部を出て、そろそろ30分になる。本部からの連絡はない。ユリウスは周りを見渡した。立ち並ぶ露店と、人、人、人。この中からただ一人を見つけようなど、藁の中の針を探すようなものだ。


≪警備本部から会場警備C班≫


 胸の無線機が鳴り響き、ユリウスがそれを取った。


「C班ですどうぞ」

≪事案多発中により、早急に警備本部に戻り来場者対応願います≫


 つまりは、かなりの来場者数の為、事案が多発し警備本部の人手が足りないという事らしい。ユリウスは慌てて了承の旨を告げると犬飼と迷子の少女と共に急いで警備本部に戻っていった。


「わぁ」

「えぐいな」


 急いで警備本部に戻ったユリウスと犬飼が同時に口を開いた。警備本部と印刷された紙がおざなりに貼られた長机の前には長蛇の列ができている。その最前列で、オーガ族の緒方会計課長が汗みずくになりながら書類を作成していた。

 彼は遺失拾得担当で、遺失届の作成や拾得物の届け出の手続き、その拾得物を返還する手続きを一人でやっていたのだが、あまりの人の多さにたまらず無線番で忙しい地域課長に救難信号を出したのであった。


「ガーランド君、犬飼部長! お願い手伝ってー!」


 筋肉質の腕をぶんぶん振って必死で応援要請する緒方課長の姿は、屈強なオーガ族の姿と相まって少し面白いと思ったが、二人は顔を見合わせてから応援に向かうべくテントへ向かった。

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