第50話 ポリス・イン・ワンダーランド5

「お腹すいた」

「へ?」


 ユリウスの箸から稲荷寿司がぼとりと落ちる。女の子は弁当箱の中へまた戻っていった稲荷寿司を見つめながら、もう一度「お腹すいた」と言った。


「えー……と。ええー……これ、あの、ど、うしたのかな~? 迷子?」


 戸惑いながら、女の子に問いかけたが、彼女の興味はユリウスより目の前の弁当にあるようだ。

 もう一度、きゅるる、と小さい腹の虫が鳴いた。


「た、食べる?」


 ばっ!と長い髪をはためかせて、女の子が首を縦にぶんぶんと振る。よく見れば、青い袖付きのサマーワンピースも白いサンダルも所々汚れていて、保護者とはぐれてからどれくらい経つのだろうか、と考えて少し同情した。


「じゃあ、この椅子に座って。お箸使える?」


 こくりと頷く女の子に新しい割り箸を渡して、お弁当を目の前に置く。

 すると腹を空かせた犬のようにがつがつと食べ始めて、若干呆気にとられた。


「おい、ユリちゃん。どうしたのその子」


 丁度追加の飲み物を取りに行っていた毒島と犬飼が帰ってきて、目の前の光景に目を白黒させている。


「僕も何が何だか……弁当食べようと思ったらいきなり来たんですよ……で『お腹すいた』って……」

「で、あげちゃったわけ?」


 呆れたように言う犬飼に、面目なさそうに頷いた。隣に毒島がパイプ椅子に腰を下ろす。大柄なリザード族の体重にぎしりと椅子が悲鳴を上げたが、女の子は気にも留めていなそうだ。毒島が小さな頭を見下ろして、首を傾げた。


「で、迷子なの?」

「さぁ……でもこのくらいの年の子が一人で来た筈はないので……。えーと、お名前、教えてくれるかな?」


 一心不乱に太巻きに噛り付く女の子にユリウスが問いかけるが、彼女は目の前の寿司に夢中だ。


「お嬢ちゃん、リンゴジュース飲む?」


 パックのジュースを毒島が差し出すと、少女はこくり、と頷いて、太巻きを平らげ、掃除機のような勢いでリンゴジュースを飲み干した。あまりの食いっぷりに、三人は顔を見合わせる。


「お祭りは、お父さんとお母さんと来たの?」


 犬飼の問いに、少女はふるふると首を振るが、何も言わない。なので、ユリウス達はこの戦法で行くことにした。もう一度、犬飼が少女に目線を合わせて問いかける。


「一人で来たの?」


   首を振る。否だ。


「一緒に来たのは、お兄ちゃん? お姉ちゃん?」


 こくり。タイミングが前者だったので、彼女は兄と来たようだ。ささやかな手掛かりに少しだけホッとする。


「お兄ちゃんとはぐれちゃったのかな?」


 少女が再度頷いた。どん、と大きな音が夜の会場に鳴り響いた。そろそろ打ち上げ花火が始まる時刻だ。

 弁当を食べ終えた毒島が活動帽を被り直して立ち上がった。


「俺、課長に話してくるわ。で、役場のテントにも伝えて迷子放送してもらうよう頼んでくる」


 役場の実行委員会のテントには防災無線用のスピーカーがある為、迷子や連絡などがある場合には、これを使って放送をする。毒島は少女の風体や着衣の特徴をメモしてから「お前達はこの子連れてちょっと一回りしてみたらどうだ?ここにずっといても可哀想だろ。もしかしたら、兄ちゃんみつかるかもしれないからな」と言い置いて、席を立った。

 残った二人はサンダル履きの足をぶらぶらとさせる少女を見て、肩を竦めた。

 ユリウスがつまらなそうに行き交う人々を見つめている少女に、意を決して声を掛けた。


「あ、あの、お巡りさんたちと、お兄ちゃんを探しに行く? 花火も上がってるから、探しに行くついでに観に行かない?」


 少女のつぶらな瞳が、ユリウスを見上げる。よく見れば、目鼻立ちも端正で子役に居てもおかしくはないくらい整っていた。しかし、この年頃ならもっと表情があっても良いのではないだろうか。もしかしたら、迷子になって心細いのかもしれない。そうユリウスは考えた。

 少女の眼が期待と戸惑いの色を滲ませる。妹のソフィアなど、この年頃の時は生意気でしょうがなかったなと、ユリウスは苦笑した。


「大丈夫だよ。こっちの強そうなお巡りさんもいるし、一緒に行こう」

「おう、犬のお巡りさんが抱っこしてあげるからな。花火が良く見えるぞ~」


 犬飼が黒々とした獣毛の生えた耳をぴこぴこ動かしながらにこりと笑うと、少女の口元が僅かに綻んだように見えた。


「じゃあ、行こっか」


 ユリウスに向かってこくりと頷く少女を、犬飼が優しく抱き上げて肩に乗せた。「ちゃんと掴まっててね~」と言えば、小さな手で肩にひしと掴まる。無口だが健気で素直な少女に、「いってらっしゃーい」「見つかればいいね」と警備本部にいた警察官達が笑顔で送り出した。その光景を少女は眼をまんまるにして見つめていたが、やがてにこりと微笑んで、控えめに小さな掌を振るのだった。


 ────


 どん、どどん。と腹に響く音が鳴り響く。黒いペンキを塗りつぶしたような夜の空に、赤や、青や緑の華が大きく咲いては散ってゆく。

 来場客は皆、夜空に花咲く色とりどりの色彩に釘付けになっていた。犬飼の肩にちょこんと座る少女も同じように、大きな瞳にきらきらと花火の光が映りこんでいる。


「これでお兄ちゃんが見つけてくれるといいけど」


 きょろきょろと周りを見渡しながら、ユリウスが言った。すると犬飼が「まぁ、この人出だ。見つかればいいけどねえ」と溜息を吐いた。


 約2メートルのワーウルフの警察官が肩に女の子を乗せている絵面はかなり目立つ。もしもまだ会場内を必死で探しているのであれば、見つけてくれるかもしれない。また、警備本部の方に来てしまったのなら、その旨は彼等に無線で伝達されるため、行き違いも防げるのだ。

 二人は立ち止まって空を見上げる人々の間を歩きながら、少女の兄らしき人間がいないか眼を凝らす。


 どどん。ぱちぱちぱち。


 4尺玉の花火が大きく夜空に花開き、後に金色の枝垂れ桜が余韻と共に消えてゆく。

 それを視界の端に収めながら、そう言えば、打ち上げ花火なんていつぶりに見ただろうかと思い出す。

 浴衣姿やラフな格好の人々と、分厚く重い制服を着て同じ花火を視界の端で見る自分とのギャップに、何だか可笑しくなってくる。


「お嬢ちゃん、お兄ちゃんいた?」


 ユリウスは犬飼の声で我に返った。仕事中だ、集中しろと自分を叱咤して彼女を見た。

 だが、少女は全くと言っていいほどに聞こえていないようで、夜空に咲く花の饗宴を、まるで食い入るかのように見つめていた。

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