第47話 ポリス・イン・ワンダーランド2

「駄目だこりゃ。全然進まねえ。全員降車ー。歩いて会場行ってー」


 すっかり渋滞にはまり込んでしまい、1メートル進むのさえままならない。輸送車の運転席にいる但馬警部補が声を上げ、署員たちは溜息を吐きながら降車する準備を始める。ユリウスもそれに倣って慌てて荷物を抱えた。

 輸送車から降りれば、ムッとした真夏の熱気が全身を包み込み、途端に汗が噴き出す。周りには同じように徒歩で移動してゆく一般客たちが列をなしていた。


「あちゃー。遠いなあ」


 隣にいたワーウルフの犬飼巡査部長が人波の遥か彼方の祭り会場を見てげんなりしていた。他の署員も同じようだ。会場から距離が結構あるにもかかわらず、既に祭りの屋台が立ち並び、かなりの人の波にユリウスは驚いていた。


「このお祭りってそんなに人出があったんですね。昔来た時はそうでもなかったのに」

「新しい市長がさ、県と市のイメージアップの為に一昨年から特別区とのコラボを始めたんだとさ。メディアで大々的に宣伝して、好感度ワーストワンから脱却するとか言ってな。俺らからしたらいい迷惑なんだけどねえ」


 ユリウスの問いに、犬飼が溜息を吐いた。確かに子供のころに母に連れられて来た時は、もう少し規模も小さくて、お囃子を奏でる山車と神輿が練り歩き、屋台には子供たちが群がるような地域のお祭りといった風情であった。

 資機材の入った段ボールを抱えながら、そうなんですか。とユリウスが言った。


「あとここ数年で客のガラもかなり悪くなってるから気を付けろよ。あんな風に写真撮られても無視だ。無視」


 犬飼の視線の先に眼をやる。道路の反対側から派手な身なりの若い男達がにやにやと笑いながら不躾にスマートフォンをこちらに向けていた。

 恐らく、特別区出身の警察官の姿が珍しいのだろうが、あまりにあからさまな態度にユリウスの表情が曇る。それを見て、犬飼が肩を竦めた。


「ああいう類の輩は何処でもいるが、こっちは仕事だからな。相手したら負けだ。無視するに限るぜ」

「了解です」


 正直気分は良くないが、警察官である以上避けては通れない道だ。万民に好かれる事など無い。

 ふと、すぐ傍でピンク色の浴衣を着た小さな女の子が目をキラキラとさせながらこちらを見上げているのに気がついた。

 ユリウスは先程の事等忘れて女の子に笑いかけると、女の子は犬飼を見て声を上げた。


「ママー!犬のお巡りしゃん!」


 びしっ、とユリウスが笑顔のまま固まるのと、母親らしき女性が駆け寄ってきて「こら!」と女の子を叱るのは同時だった。

 みるみる女の子の目に涙が溜まり始め、ぽろりと雫が落ちようとした時。


「犬のお巡りさんだよ〜! かわいい浴衣だね〜!」


 犬飼が女の子に笑いかけ、手を振った。すると女の子はたちまち笑顔になり歓声を上げる。母親が女の子の手を引いて恐縮したように頭を下げたが「お母さんの言う事をよく聞いて、迷子にならないでね〜。行ってらっしゃい」とユリウスも手を振れば「お巡りしゃん!お仕事がんばってくだしゃい!」と大きな声で返されて、先程の嫌な気分も吹っ飛んで、ほっこりした気持ちになった。


「さぁて、お巡りしゃん達も祭礼警備頑張りますか」


 犬飼が親子の背を見送りながら呟いて、ユリウスは「かわいい応援も頂きましたしね」と答えた。



 会場は既に人でごった返しており、ステージでは何やらイベントも行われていて、大声で叫ばなければ隣にいても聞こえないくらいである。


『みんなぁ~!! 元気かにゃーん!? 今日はチカにゃんに会いに来てくれてありがと~!』


 一際会場に響き渡る高い声がマイクの雑音と共にユリウスと犬飼の鼓膜を直撃する。見ればパステルピンクとブルー、イエローのカラフルなニーハイソックスにミニスカート衣装に身を包んだ、猫耳の獣人族の小柄な女性が可愛らしい仕草で手を振っていた。観客席からの歓声は野太い。観客は殆どが男性ばかりである。


「うわっ、びっくりしたぁ……。あれが丸山さんの言ってたチカにゃんか」

「ユーチューバーから出て来たんだよな確か。儲かんのかねえ」


 犬飼が「俺も同じ獣人族なのにえらい違いだわー」と笑いながら言った。暫く人の波に揉まれながら会場内を歩いていると、ようやく警備本部に到着した。

 境島市と大きく書かれた白いテントに、長机がいくつか設置され、その上に資機材や署員の荷物、無線機が雑然と置かれている。

 警備本部の丁度目の前には、シシケバブの屋台が並んでいて、大きな塊肉とスパイシーなチリソースの香りが漂って来たのに、思わずつばを飲み込む。そう言えば昼飯を食いはぐれてしまったのだと、ユリウスは思い出した。


「お疲れ様です」


 杉本地域課長は既に到着していて、祭礼スケジュールと警備体制表を確認しているところだった。ユリウスと犬飼の声に、彼がバインダーから顔を上げた。


「お疲れ様です。渋滞が既に発生しているようですね。先程但馬班長から報告を受けました。大変ですが、時間が押しています。二人はすぐに雑踏警備に入ってください」

「了解です」

「それと、生安課長からですが……えーと、何とかというアイドルのイベントが開始されて、予想を上回る人出だそうです」


 生真面目な地域課長はそういう話題に疎いようで、それがなんのライブか分からないようである。ユリウスは笑いを堪えながら上司の指示を聞いていた。


「チカにゃんですね。ネットアイドルの」

「そうそう、です。盗難や盗撮に警戒をお願いしますね」


 犬飼の訂正にそれだ、と杉本が頷くが、若干の間違いを指摘する気力は二人には無かった。予想を上回る人出と5時半を過ぎたのに30度を越える気温に早くもげんなりし始めていたのだ。

 しかし、今警備本部には杉本とユリウス達しかいない。皆雑踏警戒に出ているのだろう。無線番も必要ではあるが、課長ひとり残していくのは些か戸惑われた。同じことを思ったのか、犬飼が口を開く。


「了解しました。その、いま私達が出たら警備本部は地域課長だけになってしまいますけど、大丈夫すか?」

「警備本部には緒方会計課長も遺失拾得担当で居てもらいますので問題ありません。あと数分で来られるはずですから」

「ああ~。成程」


 並の警察官なんかより遥かに頼りになりそうなオーガ族の会計課長を思い浮かべて二人は頷いた。彼が居ればどんな喧嘩も一発で収まってしまうのではないだろうか。


「それじゃあ課長。犬飼、ガーランド組、雑踏警戒行ってきます」

「お願いします」


 そうして、ユリウス達は人々と賑やかな音と食べ物の匂いでごった返している中へ歩いていった。


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