第46話 ポリス・イン・ワンダーランド1
警察官になると、今まで何とも思っていなかった事が苦手、または嫌いになったりする者が少なくない。
中でも季節の大規模なイベントや行事は、その最もたるものである。
イベントを楽しんでいる人々を横目に、クソ暑い装備を着け、炎天下、もしくは極寒の中をひたすらに警備する。県内外を問わず押し寄せる人の波は、一気に一年分くらいの出来事を流れに乗せてやってくるので、大きなイベントは警察官達にとっての鬼門なのだ。
「あ~。帰りてぇ」
地域課の事務室で、誘導灯の電池を取り換えながら、犬飼が本日5回目くらいのため息と台詞を吐いた。
他の地域警察官も若干憂鬱そうな顔つきで各々出動の準備をしている。
今日は境島市で開催される年に一度の例大祭である。山車、神輿が練り歩き、打ち上げ花火も上がるという、かなり大規模な祭礼で、特別区からも楽団や騎士団が招かれたりとイベントも多い。特別区(ガーランド王国)のイベントが見られると、毎年旅行雑誌やメディアに取り上げられたりもする。
ユリウスにとっては初めての祭礼警備なので、若干緊張もしていた。毎回大きな喧嘩が起きて誰かが怪我をするだの、ビール瓶を投げつけられただのと酷い話を聞いていたからだ。
「犬飼部長、それ、さっきも聞きましたよ……」
ブツブツ文句を言う犬飼に、ユリウスは必要な資機材を段ボールに詰めながら苦笑した。
「だってさぁ……今頃クーラー効いた駐在所でさぁ~ゲームしながらビール飲んでたのにさぁ~」
「あー、確か指定休変更になったんでしたよね」
「夏場に祭礼警備なんてさ~やるもんじゃないよ。心が磨り減る……おい丸山! 魔法少女がワイシャツから透けてんぞ!」
丁度更衣室から出てきた若い警官に、犬飼が叫ぶ。丸山と呼ばれた巡査は、やべ!と声を上げて自分の胸を見た。下に着ているTシャツのイラストがくっきりと映っている。慌てて耐刃防護衣を着て事なきを得るが、祭礼中にその耐刃防護衣はもう脱げないだろう。警察官たるもの、魔法少女が制服のワイシャツから透けてはならないのだ。
気の毒そうに丸山の背を見送りながら、ユリウスは無線を付けるために事務室の奥へ向かった。
「地域課の配置を始めます。本日は例大祭ですが、市の担当者によると、特別区から騎士団のパレードや、ネットアイドルなどのコラボレーションイベントなどで、通年より大幅な来場者の増加が見込まれる、との事です」
配置と呼ばれる事前会議の為、今日の祭礼警備に着く予定の地域課員が集まっていた。地域課長の杉本警部の淡々とした声が事務室に響く。通年より大幅な人出の可能性と聞いて、地域課員全体の心の士気が低下していくような気がした。
ユリウスはネットアイドルとは誰だろうか。と見当違いの事を考えていたが、杉本の銀縁のメガネがこちらを向いたので慌てて姿勢を正した。
「このようなイベント時は開放的になり喧嘩等の事案も発生しやすく、人混みに紛れてスリなどの窃盗事案も少なくありません。受傷事故等には十分に留意し、未成年者の犯罪被害を未然に防ぐための積極的な声かけ、抜け目のない警備態勢でお願いします。以上」
その言葉で、地域課員達は移動用の輸送車や公用車へ乗り込むために各々散って行く。刑事生安交通など含めて署内の7割近くの警察官が祭礼の警備に出発する様は中々に壮観である。
「ネットアイドルなんて誰だろう……」
輸送車に乗り込みながら、ユリウスがぽつりと呟くと、先程魔法少女Tシャツを指摘されていた丸山巡査が前の座席から振り返ってきた。
「お前知らないの? 猫耳地下アイドル【チカにゃん】だよ。最近すげえバズり始めたアイドルだよ」
「丸山さん詳しいですね。地下アイドルだから、チカにゃんなんですか……?」
「疑問に思う所そこかよ……何でも特別区の獣人の女の子で、今日初めてネット以外のメディアに出るってSNSで騒がれてたぜ」
「へえー」
色々な世界があるなあ、と変な所で感心していると、輸送車が止まった。窓から外を見れば、いつもガラガラの国道が、ゴールデンウィークの首都高の如く渋滞しているではないか。そして、その両脇の舗道を歩く人の波は皆一様に同じ場所を目指している。管内の普段の光景ではまず見られない人口密度である。
「何だよ、もう混んでるのか……何だありゃ」
丸山がうんざりしながら前の方を覗き込む。ユリウスも同じくそちらを見ると、大分傾いた陽の光を反射しながら、銀色の鎧を纏った集団が、嫌でも見覚えのある旗を靡かせて一列縦隊で歩いている。
周りにはそれを撮影する人間で既にごった返していた。
同乗している地域課員達がざわつきはじめ、ユリウスは気まずそうに溜息を吐いた。
(あ、帰りたいなこれ……)
犬飼の心境が嫌でも分かった瞬間であった。
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