第44話 騎士団長のお仕事 5

「終わっっっったあぁあ!」


 私物のノートパソコンのエンターキーを叩いて、ユリウスは万歳するように両手を上げた。傍らのプリンターから先程まで作成した書類がプリントアウトされる。窓の外はすっかり陽が暮れて城下の灯りが良く見えた。


「あああ! ありがとうございます!! 殿下!!」


 書類をホチキス止めしていたセシルが感嘆の声を上げる。途中で羊皮紙をコピーするときに内容が写らないというハプニングや色々とあったが、何とか完成させることが出来た。


「じゃあコレ僕が預かって、申請してくるよ。オスカーには伝えといてね」

「大丈夫です。あの筋肉バカ……いえ団長なら殿下のなさる事に異を唱える筈はございませんよ」

「今筋肉バカって言わなかった?」

「本当に助かりました。何とお礼を申せばいいか……」


 隻眼の鬼の副長と言われるセシルも余程困り果てていたようで、役に立ててよかった。とユリウスは笑った。


「いいよ。僕の仕事の範疇でもあったし。交通関係の事務は色々分からない事もあったから勉強になったよ」


 交通課の仕事は地域課であるユリウスには分からない物も多く、今回の道路使用許可の申請についてはとても勉強になったし、執務の参考になった。

 そう言うとセシルは何だか感動したように胸を押さえていた。


「聞かせてやりたい……あの筋肉ポジティブバカに……」

「なんて?」


 声が小さくて聞こえなかった為に、ユリウスが聞き返すとセシルは「いえ! 何でもありません!」と答えた。

 小首を傾げながら書類を丁寧にファイルに入れて鞄に入れていると、ドアのがやにわに騒がしくなり、ユリウスはバッ!と貌を上げて焦ったようにセシルを見た。


「やばい! 兄さんだ!」

「えっ!! 陛下が!?」

「見つかるとまずい! セシル! ちょっと隠して!」

「え、ええ?」


 戸惑うセシルの脇をダッシュで抜けて、彼女の机の下に入る。「絶対! 言わないで!」と唇に人差し指を当てるジェスチャーをすると、セシルがお任せくださいと言うように拳で胸を叩いた。

 すると間髪入れずにバァン!と派手な音と共にドアが開いた。


「おおセシル! 今日は残業かね。 だが今日は定時退勤デーだぞ?」

「陛下! 部下の残業は上司である私めの責任! 大変申し訳ありません!」

「はっはっは! 冗談だオスカー! お前達はいつも働きすぎるくらいだからな! もっと緩くても良いのだぞ!」


 テンションの高い騎士団長を伴って現れたのは、ゆるくウェーブの掛かった黒髪を後ろに撫で付け、彫りの深い顔立ちに深緑色の瞳の、どこぞのハリウッド俳優かと見紛う程整った顔立ちの背の高い男。口元から頬にかけて生えている不精髭がよりダンディさに拍車がかかっている。

 セシルは引き攣った表情でビシィ、と敬礼をした。


「へ、陛下! このようなむさ苦しき詰め所に、ど、どうなされたのです!?」


 思わずセシルの声が裏返る。そして、陛下と呼ばれたハリウッド俳優もとい現ガーランド国王、アレキアス・フォン・ガーランドは大仰なしぐさでちっちっち、と人差し指を振った。


「部下の勤務状況を知るのは雇用主たる我が務めだぞ……というのはまあそれもあるが、先程ロビーでユリウスが来ていると耳にしてな!」

「ファ!? い、いえ、その、ええっと……」


 主君に嘘を吐く訳にはいかないが、王弟であり仕事を手伝って貰ったという恩義があるユリウスの為においそれと居場所を告げるのもどうかと恐ろしい板挟みに冷や汗をかきながらセシルが口籠る。だが、アレキアスはハッ!?と何かに気づいたような仕草をして辺りを見回す。


「今! ユリウスの気配がしたぞ! そうか……かくれんぼだな! よぉし負けぬぞ!」

「陛下! 私も探しますぞ!」


 何だろうこの人たちのテンション。という目でその光景を見つめるセシル。その眼は明らかに死んでいた。

 だが机の下で息をひそめるユリウスは気が気ではなかった。だらだらと冷や汗が噴き出す。見つかる前にここを脱出しなければ。


(ええええ……何その謎センサー……やばいよこっち来る)


 そっと隣の机に移動する。3つ分移動すれば向こうに出られそうだ。向こうでは「どこだぁ~? ユリウスぅ~」という声が聞こえている。今しかない!と匍匐前進で移動しようとした時であった。


「どぉこへ行くのですかぁ……殿下ぁ……」

「ひぃ!」


 すぐ目の前に金髪碧眼の騎士がそのデカい図体を無理やり机の下にねじ込み蹲りながら、こちらを見つめていた。どこかのホラー映画に出てきそうな光景に思わず喉の奥から悲鳴が出る。

 そういえば、自分を呼ぶ声が消えたとユリウスは気が付いた。

 ぎぎぎ、と頭を横へ向ける。机の上から端正且つダンディな顔が覗いていた。


「見ぃつけたぁ」

「ぎぃやああああああ!!」

「おお! 愛しの我が弟よ久しぶりだな! 兄は嬉しいぞ!」

「痛たたたた! 髭が痛い!」

「何故中々帰って来ぬのだ! お前といいソフィアといい! 兄はこんな所で一人寂しいのだぞ!」


 ずるずると引き出され、いささか力強すぎる抱擁を受ける。背骨が軋む。髭が痛い。助けを求めるようにセシルを見たが、「無念です……」という表情がありありと浮かんでいて最後の希望はぶっつりと絶たれていた。


「久しぶりに会ったのだ。晩餐を用意しよう」

「いや、兄さん、僕もう帰りますよ」


 その言葉に兄はバッ!と身体を離し、驚愕の表情を浮かべてユリウスを見つめた。


「なん……だと? 帰……るのか?」


 如何にも悲しそうにこちらを見る眼はいささか大袈裟ではあるが、彫りの深いダンディな面立ちはそれですら何か映画のワンシーンのような空気に変えてしまう。しかしユリウスは慣れっこであった。


「明日仕事だし……」

「なぜだ! お兄ちゃんは寂しいぞ! ユリウスと一緒にご飯食べたい!」


 やだやだ!とイヤイヤ期の幼児の如く駄々をこねる兄を心底疲れたような表情になるユリウス。しかしオスカーはそんな2人を「微笑ましいな! なぁセシル!」と笑いながら見つめていた。この2人、どこか似た者同士なのがタチが悪い。


「わかった。分かりました。一緒に食べますよ兄さん」


 げんなりとしながら言うと、アレキアスはパッと笑顔に戻り「よし、今日は新たな契約が成立した祝いだ! パァーっと飲むぞ!」とユリウスを引きずりながら詰所を後にした。


 ――――――

「まさかの食堂……」

「どうしたユリウス! たんと食え! 飲め!」


 通されたのはまさかの騎士団や城の従士が普段使う食堂。オーク材の分厚い長テーブルと長椅子が広いホールに並べられている光景はファンタジー映画に出てきそうだが、所々に設置されたテレビがそれを台無しにしている。騎士たちは思い思いに食事をしながらテレビに映る野球中継に見入っているようだ。

 しかし、食堂といってもビュッフェスタイルのそれは中々にオシャレである。ホテル並みの高級な料理が並んでいて、ユリウスは本日のシェフのおすすめであるスズキのポワレ、フレッシュトマトソース添えをぱくつきながら素直に感心した。


「でも兄さん、一応国王なのに此処で食事してるんですか?」

「む? ああ、晩餐室は展示用にしてしまったからな。面倒だからここで食事も酒も飲めるようにした」

「展示って、あれ兄さんの仕業ですか……」

「よい考えであろう? お前の幼少期の部屋も展示しているぞ。肖像画もな」


 アレキアスがワインをあおりながら上機嫌で言うのでユリウスは思わず咳き込んだ。


「やめてください! 既にもう色々情報過多で処理しきれてないんですから」

「殿下が城を出られてから陛下は随分と城の中や騎士団、議会を刷新されましてな! 戦が無くなり張り子の虎と呼ばれていた我が騎士団も新たな役目を授かり光栄でありますぞ!」


 隣で豪快にローストビーフに食いついていたオスカーが笑う。アレキアスは更に機嫌を良くしたのか「そうだろうそうだろう!」と新しいワインを注ぎながら頷く。それよりも野鴨のコンフィ、オレンジソース掛けに夢中だったユリウスはふとオスカーの一言が気になり顔を上げた。


「新しい役目? 何それ」

「ふぃるむ・こみっしょんなるものに御座いますよ殿下」

「いや、何それ」


 オスカーの言い方だと全然頭に入ってこない。ユリウスは今度は自分でレモンサワーを作り始めた兄に顔を向けた。酒好きな兄は食堂にマイ冷蔵庫を持ち込んでいるようだ。


「城の展示と同じ、新たな事業のひとつだ。名付けて【GKフィルム・コミッション】! 我が国に映画やドラマの撮影を誘致し、エキストラとして騎士団の貸し出しも行っている。しかも本職の騎士だからその辺の素人とは迫力が違うとオファーが殺到中だ!」

「殿下! 我が騎士団も海外ドラマに出たのですぞ! 騎士役で!」

「兄も出たのだぞ! 敵の国王役だがな!」


 兄からスマホを渡される。そこには兄と誰もが知っている世界的有名な映画監督が笑みを浮かべて握手をしている画像があった。合成ではないようだ。何だか色々な情報が多すぎて頭の中が非常に大変なことになっていた。


「今度の行軍訓練も次の撮影の為の予行演習なのですよ! はっはっは!」


 大ジョッキでビールやらレモンサワーをあおるオスカーと兄を尻目に、ユリウスは「チーズケーキおいしい」と現実逃避するしかなかった。

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