第39話 ポリス・スケアリー・ストーリーズ 3

 やっぱりなりふり構わずお願いして3人で行動するように頼めばよかった。

 ユリウスは永遠に続くのではないかという真っ暗な廊下をマグライトの明かりを頼りに進んでいた。時折パキパキと何かを踏みしめる音が鳴るが、それが何なのかを足を止めて確かめたくもない。一刻も早くここから立ち去りたいというのが本音であった。


「あー、うー……嫌だぁ……」


 よくわからない呻き声をあげながら、恐々と廊下を進む。閉じられた扉の上に掲げられたプレートにライトを向けると『第三病理解剖室』と筆文字で書かれていて、急いで照らしていたライトを外し見なかったことにした。外はあんなにも蒸し暑かったのに、何故かひんやりとした空気が肌を包み、夏服の半袖から出ている二の腕に鳥肌が立つくらいだった。


「何でこんな寒くなってくるんだよ……」


 ぶつぶつと文句を言っても仕方がない。職務だ。仕事だ。と自分自身に言い聞かせて深呼吸をする。廃墟特有の埃とカビが混ざった臭いが鼻につく。


「よし。あとちょっとだ」


 もうすぐ廊下が終わる。ほっと息をついたその時であった。


(あ…………ウ……す)


 背後から、何かが聞こえた。

 びしりと石になったかのように立ち止まる。こめかみを生温かい汗が伝うのを感じた。

 酷く息苦しい。口の中がからからに乾いてゆく。

 頼むから、空耳であってほしい。そう強く願った。


「あ……無線」


 そういえば、と胸につけている無線の存在を今更ながらに思い出す。震える手で無線の通話ボタンを押した。


「ガーランドから毒島部長、但馬班長。現在2階の東側にいますが、今人の声らしきものが聴こえましたどうぞ」


 震える声で何とか報告できた。だが、雑音のみで返答がない。だらだらと滝のような汗が全身から噴き出してきた。

 そういえば、ここは旧陸軍の病院だ。沢山の人が亡くなっているだろうし、何があってもおかしくはないかもしれない。もしかしたら、実験に使われたおぞましい化け物とかがいたりしたらどうしよう。

 先日ハーフエルフの同期であるエルミラに勧められて観たB級スプラッタ映画の内容を思い出してしまった。武器を無理やり合体させられた化け物達が沢山出て、登場人物たちが惨たらしく死んでゆくという身も蓋も無いものだったが、その舞台は廃病院だった気がする。


「よし、よし。大丈夫だユリウス。大丈夫」


 異常を覚知した以上、行かないという選択肢は警察官には存在しない。汗でぬるついたマグライトを握り直し、ユリウスは振り返った。

 誰もいない。


「一つ、誇りと使命感をもって、国家と国民に奉仕する事……」


 恐怖を紛らわせる為に、何か歌でもと思ったが、口をついて出たのは警察学校時代に嫌というほど覚えさせられた職務倫理の基本だった。


「人権を尊重し……公正かつ親切に職務を執行する事……ヒェッ!」


 こつり、と何かが爪先にあたって思わず情けない声が出た。ライトを向けるとコンビニエンスストアなどで売られているカクテルの空きビンだった。誰かが捨てていったのだろう。


「もう……脅かさないでくれよ……!!」


 視線を上げた時だった。廊下の先に何かがいる。白い、服のようなものを着た、異様に背の高いそれ。

 身体全体が石になってしまったかのように、床から足を離せない。浅く速い呼吸だけが、鼓膜に響く。

 それ、がゆらりと動いた。こちらへ向かってくる。

 およそ生物とは思えない滑る様な動きに、生理的な恐怖と嫌悪感が背筋に走る。

 足は相変わらず張り付いたかのように動かない。ユリウスは意を決して警棒を抜き、構えた。幼い頃に王城で学んだ、王家と近衛兵にだけ授けられた剣式である。

 白いものは滑るように近づいて来る。目の部分は血のように赤く、ライトに照らされてぎらぎらと光っている。

 警棒の先が震える。あまりの恐ろしさに卒倒しそうだった。しかし警棒の長さではもっと近づかせなければ間合いに入らない。

 あと2メートル。


「うわああああああ! 悪霊退散!」


 叫びながら渾身の力で踏み込み、右手の警棒を突き出した。その刺突技はユリウスが一番得意としていたものだった。

 しかし、その切っ先は虚しく空を切っていた。目の前には嘘のように何もいない。

 呆然としながらも胸を撫で下ろす。2人と合流しようと、振り返った時だった。

 がしり、と両肩を掴まれた。

 白い服のようなものと思っていたのは、上等そうなガウンだ。そして、丁寧に撫で付けられた髪に青白い顔と、真っ赤な眼がすぐ近くにずい、と寄ってきた。

 石膏がひび割れたような口がにぃ、と笑みの形に吊り上がる。


「その剣式。見覚えがあるぞ。懐かしい……おや? アウレリウス公の若き頃にそっくりではないか」


 その声を最後にユリウスは、今度こそ意識を失った。


 ―――――――


「騒がせて申し訳ない事をしたな。憲兵達よ」


 一階のロビーだったであろう場所で、白いガウンに身を包んでいたヴァンパイアは丁寧に頭を下げた。

 あれから、失神したユリウスは彼に運ばれてロビーの長椅子で目を覚まし、心配して近づいた彼の姿を見てもう一度気絶するという大失態を犯した。


「こちらこそすみませんでしたええと、ルーファスさん。情けない姿見せてしまいまして」


 恐縮したように謝るが、恐ろし気な見た目に反して紳士的なヴァンパイアは、鋭い犬歯を見せながら「気にせずともよい」と笑った。後ろの毒島と但馬も「いやぁ、俺達も勝手に入ってしまって申し訳ありませんでした」と頭を下げた。

 最初、連絡が取れなくなったユリウスを心配して合流しようとした但馬と毒島は、意識を失ったユリウスを運ぶルーファスを見て悲鳴を上げたそうだ。すぐに誤解は解けたようだったが、但馬が塩分タブレットを投げつけなくてよかったと心底ほっとした。


「あ、こちら問題ないですね。お返しします。そういえばユリ……ガーランドとルーファスさんはお知り合いですか?」


 ルーファスの在留証を確認していた毒島が言った。


「400年ほど前になろうか。かの獅子帝アウレリウス大公とともに不死の一族を率いて炎竜退治に出向いたことがある。顔はそっくりだが性はユリウス公の方が大分優しいようだな」

「獅子帝……不死軍、まさか【夜を歩く黒侯爵(ナイトウォーカー)】の?」

「はっはっは。そのような名で呼ばれていたのか。民衆は二つ名をつけるのが好きなようだ」


 アウレリウス王は歴代ガーランド王の中でも剛勇で知られ、その英雄譚は、ユリウスも幼い頃から何度も読んできたので知っている。3つの山と街を焦土にした邪悪な炎竜を500の兵とその途中で同志となったヴァンパイア、ワーウルフ、リザード、エルフ、ドワーフの一族と共に討伐したというガーランドで育った者なら誰もが知る伝承である。光を通さぬ漆黒の魔法鎧に身を包んだ200のヴァンパイア兵は炎竜の下僕たちを相手に獅子奮迅の働きをした。中でもその長たるルーファスという名のヴァンパイアは3頭の炎竜の息子達の首を獲った。その功績を讃え、アウレリウス王は爵位と領地を与えた。まさに伝説の人物である。

 ユリウスだけでなく、毒島も目を丸くして驚いていたが、但馬だけはピンとこないようなので、毒島が「関ヶ原闘いの本田忠勝が生きてたというような感じですよ」とよくわからない例えを出すと納得したようだ。

 本当は色々聞いてみたい所であったが、それをぐっと我慢してユリウスは己の職務を全うする事にした。


「そういえば、ルーファスさんはこちらで何をしていたんですか?」

「うむ。いささか向こうの地に居るのも飽いてな。新しき世界を求めてこちらに移住したのだ。在留資格も無論取得した。そして先日、売りに出ていたこの屋敷の土地から全てを買い上げたのだ」

「まさかの旧陸軍病院に買い手が……」


 呆気にとられる但馬を尻目にルーファスが続ける。


「我らは日光を好まぬ。なのでこの屋敷を改築し一族や眷属達が滞在できる今流行りのゲストハウスにしようと思ってな」

「ゲストハウス」


 古風なヴァンパイアの口から飛び出た言葉を思わずユリウスがオウム返しする。


「昨今は我ら一族もそこのリザード族のように外界へ出て行くものも多いのだ。最近我が玄孫(やしゃご)がこの地でバーテンダーとして働き始めてな」

「なるほど、それは心配でしょう」

「うむ。一番の末っ子でな。我の言う事など聞こうともせぬ。将来はお笑い芸人になりたいなどと言いおって全く……」


 照れくさそうに深紅の瞳を細めて笑う伝説のヴァンパイアの姿は孫を心配する祖父そのものだった。意外な姿にユリウス達もほっこりする。


「それで改築の構想を練ろうとしていたら、地下の……あー『遺体安置所』であったか。そこで眠ってしまったのだ。そこに貴公たちが現れた」


 なるほど。ガウン姿なのはそういう訳か。とよく分からない納得をしたが、そういえば、とユリウスは顔を上げた。


「あの、失礼なことをお聞きするようで申し訳ないんですが……お、お食事とかは……大丈夫なんですか……?」

「心配せずともよい。要は鉄分とたんぱく質さえ摂れればよいのだ。衝動さえ抑えれば血など吸わずとも今は色々な食事ができるようになったからな。私が今気に入っているのはハンバーガーとポテトだ」


 あ、結構ジャンクでも大丈夫なんだ。という声が但馬から聞こえた気がしたが、ユリウスは無視した。


「成程……こちらこそお騒がせしてすいませんでした。ルーファスさん」

「いやいや。王族の身ながら官憲となり民の為に働く貴公の高潔さには感銘を受けた」

「あはは、僕は王族である前に、警察官ですから。ガーランド巡査と呼んでください」


 ユリウスは「もし何かありましたら、連絡してくださいね」と名刺を渡した。


「ふむ『境島警察署地域課』とな。承知した。近くに来たならいつでも寄ってくれたまえ。貴公らなら歓迎しよう」

「どうもお邪魔しましたー」


 ルーファスが見送る中、3人はパトカーに乗りG病院、もとい未来のゲストハウスを後にした。


「……ヴァンパイアって初めて見た」

「俺もっす」

「僕もです」

「すごい紳士だったね……」

「めっちゃ高そうな時計してたっスね」

「オーラが違いましたね……」


 ハンドルを繰りながら、狐につままれたような心地で呟く但馬に2人が同意する。彼等は陽の光の下に出てこない夜の民だ。基本昼間に活動する自分達とは生活サイクルが違うので遭遇率が低いのかもしれない。お笑い芸人になりたいがために故郷から飛び出した玄孫(やしゃご)が心配で追いかけて来た伝説のヴァンパイアが、廃病院を買い上げてゲストハウスに改築しようとしていました、などどうやって報告書に書けばいいのだろうか。そんな事を考えているとユリウスはふと思い出した。


「あ!そういえば無線で呼んだのに来てくれなかったじゃないですか!」

「え? 何も聞こえなかったよ? 雑音しか」

「俺も聞こえなかったけど」


 口々に言う2人にむっと口を尖らせるが嘘をついている雰囲気ではない。渋々引き下がると、今度は但馬が訝しげな声を上げた。


「あれ……? あそこ、花なんかあったっけ」


 来るときに通った県道に続く一本道。丁度さっきバッテリーが上がったタクシーを手助けした場所だ。

 藪に隠れるように密やかに置かれたそれは、白色と黄色い花を薄紫色のフィルムで包んだ花束のようであった。

 それが意味するのは、一つしかない。


「ねえ毒島ちゃん。昔強殺(強盗殺人)があったのって、どこだっけ」

「確か、この近くでしたね……」


 嫌な空気が車内を包み、3人に暑さではない汗が流れる。


「被害者って、誰だっけ」

「個人タクシーの……」

「あの、思ったんですけど、これ一本道で病院で行き止まりでしたよね……? あのタクシーどこから来たんでしょうか」

「…………」


 ユリウスの言葉に、暫しの間沈黙が流れた。


「は、ははは。はは。帰ろっか! ね! 帰ろ!」

「腹減りましたしね! コンビニ寄っていきますか! な! ユリウス」

「はい! そうですね! 減りました!」


 空笑いで無理矢理明るい雰囲気を取り繕いながら、3人の乗せたパトカーはスピードを上げてその場を離れた。

 あのタクシーが何だったのかは不明であるが、その後、市の観光ホームページにヴァンパイアが経営するゲストハウスが掲載され、話題となったらしい。

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